325 霧の街
プラットフォームに降り立った俺とシャネルを、大型のしかし持ち運びのききそうなカメラを持った人間たちが囲んだ。
たぶん記者のたぐいだろうと、俺はとっさに顔をかくした。
「大変なことになりましたね!」
はて? もうテロリストたちに列車が襲われたということが伝わっているのだろうか。
そういう疑問は記者が次に言った言葉で解消された。
「他の列車では乗客が全員死亡していたり、そもそも列車が駅につかなかったりとなりましたが、どうしてこちらの列車だけ大丈夫だったのですか?」
そういえば、テロリストのボスはそんなようなことを言っていたな。
どこかの列車に魔王が乗っているから、全部を狙ったのだと。
俺たちの乗っていた列車以外が全滅ということは、魔王も死んだのだろうか?
「おい、そんなこといきなり聞いたって状況がつかめてるわけないだろ」
俺がなにも答えないので、混乱していると思ったのだろう。他の記者が注意する。
「あ、そっか。あの、そもそもお乗りになっていた列車は大丈夫でしたか? 誰かに襲われたなどとは――。こちらの情報では橋が一本、爆破されたとのことでしたが」
「さあ? すいません、急いでますんで」
面倒なのでそう答える。
「そう、わたくしたち急いでますの。新婚旅行なのよ、邪魔しないで」
シャネルはさらっと嘘をつく。
嘘だよな?
聞いてないぞ、新婚旅行なんて。
「あ、そうですか」
俺たちは逃げるようにしてその場を離れた。
良かった、嫌な予感がしたのでさっさと列車から出て。俺たちの後から出た乗客たちは記者たちになんと説明するのだろうか? それはわからないし、どうでもいいことだった。
駅は広く、天井はアーチ状をしていた。
天井は外からの光をふんだんにさしこんでいる。よく見ればガラスでできているようだ。
くもり一つなく磨かれたガラスは、この国の高い工業生産能力を証明しているようだった。
「それにしても情報の早い記者たちだわ、まるでバッタみたい」
「なんだよ、その比喩表現」
「このぶんじゃ、明日の新聞には記事が載ってるわね」
「やれやれだな。写真、撮られてないよな?」
「あれ未だに怖いわ、どうして風景が写るのかしら」
「ま、いろいろあるのさ科学にも」
シャネルは俺に身を寄せた。
こうしていると本当に新婚の夫婦みたいだった。
「さてと、とりあえずここ――駅よね。駅を出ましょうか」
「見てかなくても良いのか? 駅ビルとかで買い物できるかもよ」
あるわけないと分かりつつ、言ってみる。冗談のつもりだったが、もちろん面白くもなんともない。
シャネルは首をかしげて俺を見つめた。
「駅ビル?」
「いや、なんでもない。それよりも、とりあえずは宿探しか」
「そうね」
新天地ということで、なによりもまずは住む場所が必要だ。
衣・食・住、という言葉もある。
なんでもいいけど、どうしてこれって衣類、食事、住居の順番なんだろうね? たしかにどれも大事だと思うけど、この中で衣類が一番大事なのか? それとも順不同なのか。
「ちなみにお金はいかほど?」
「そうねえ、こっちの物価がよく分からないけど、それなりにあると思うわ。ギルドからも少しだけお金が出てるしね」
「そうだったか?」
「そうだったのよ」
そこらへんの事情も全部シャネル任せ。
衣食住はすべてシャネルの担当です。
じゃあ俺は? そりゃあもちろん戦闘、兼、癒やし担当だよ。はい、後半は嘘です。
「とりあえず宿を探すか、どれほど泊まることになるだろうな」
もしも長いことグリースに滞在するのであれば、それなりの居住地がいる。
けれどすぐに帰るならば、ちょっとした宿でいい。あたかも金のない若者が旅先のネットカフェに泊まるように――。
俺たちは駅を出た。
すると、目の前にモヤのような空気の汚れがあることを感じ取った。
「なんだ……これ」
「夜かしら?」
「いや、そうじゃないだろう」
空を見上げればくすんだ太陽が見えている。あの角度からして……夕方くらいか? なんにせよまだ日は沈んでいない。
「霧、じゃないわよね? この感じ。」
「霧……か? そういえばグリース、もといロンドンっていえば霧の街ってイメージだけど」
「やあね、シンク。ロンドンだなんてなまっちゃって。ちゃんとロッドンって言わないとオノボリさんが丸わかりよ」
「ああ、そうかそうか」
霧にしてはおかしい気がする。なんだか青みがかっている。
「ううっ……なんだか頭が痛いわ。酔いそう」
「大丈夫か?」
「ねえシンク、この霧、変よ。なんだか魔力がこもってるみたい」
「魔力が?」
そりゃあまたおかしな話だ。なんだここ、パワースポット的な?
わからないな、どういうことだろうか。
駅から出てきた人を眺める。人々は駅から出るやいなや、なにかマスクのようなものを顔に装着した。そのマスクはまるでカラスの頭のような不気味なもので。
なんだっただろうか、あれ。
ああ、そうだ。ペスト医師だ。たしかあんなくちばしのような形をしたマスクをつけていたはずだ。
それを男女とわず、外に出た人がつけているのだ。不気味を通り越して奇妙な連帯感のようなものを感じた。
「あれ、こっちのモードなのかしら?」
流行に敏感なシャネルはさっそく気になっているようだ。
「勘弁してくれ、あんなもんつけて隣を歩かれたくないぞ」
「そうね、言っちゃ悪いけどこっちの人たちはセンスがないわ」
とはいえ、怖いのがあれをお洒落でつけているわけじゃない場合だ。
なにか理由があってあんなカラスのくちばしのついたようなマスクをつけているとしたら? そう考えればきちんと目もおおっているあたりがますます怪しい。
もしかしてこの霧か?
人体に有害な霧かもしれない。
「シャネル、大丈夫か?」
「なにが?」
「体調が悪かったりしないか」
「いいえ、問題ないわよ」
それなら良いけど……。
さてはて、どうしたものか。右も左も分からない街をあてもなく歩くというのは、いささかいきあたりばったりというものだろう。
「とりあえずそこらへんの人に宿の場所を聞いてくるわ」
「どうぞ」
シャネルは歩いている人に向かっていく。。
男か女かもわからない、奇妙なマスクをつけた人に話しかけている。
俺は少し離れた場所で小石を蹴った。
――さて、どうしたものか。
俺は考える。
金山は生きている、それは確実だ。
とりあえず俺は金山に合流するべきか? しかしどうやって?
あいつは生きているとしても、いまどこにいる? あの峡谷から流されて、川の下流にでも行ったのだろうか?
とはいえ、幸いにも俺たちには共通の目的がある。
つまりは魔王討伐だ。
俺が魔王を討伐すれば、金山も俺のことを見つけることができるだろう。
最悪、その後にドレンスに帰ってしまえば良い。そうすれば金山とも合流できるだろう。
そして、俺は金山を殺すのだ。俺の手で。
「とりあえず、聞いてきたわ」
シャネルが戻ってきた。
「うん、それでなんだって?」
「宿はあるらしいけど、やってるか分からないですって。それよりもマスクを持ってないことを注意されたわ。やっぱりあれ、いるらしいわ」
「まいったな、どこで買えば良いんだろうな」
「さあ?」
ふむ、問題は山積み、か。
いなくなった金山。
討伐しなければならない魔王。
そしてなによりも俺たちの健康――マスクが必要だ。
なんにせよいまは、宿だな。宿。
俺はシャネルについて歩き出すのだった。




