314 星を見る人
「こんな話を知ってるか? イギリス人が日本でフィッシュ・アンド・チップスを食べた。けれどそのイギリス人は怒り出した、『こんなものは本物のフィッシュ・アンド・チップスじゃない!』ってさ」
「え、なに榎本。どうしたのさ、いきなり」
「まあ聞きねえ。そのイギリス人が怒った理由はこうだ。『これは美味しすぎる、本当のフィッシュ・アンド・チップスはもっと不味いんだ!』ってな」
「なんというか……皮肉の効いた話だね」
「含蓄のある話だろう? ――というわけだ」
俺は適当なことを言ってから、油っこいポテトを指でつまんで口に運ぶ。
なんだかよく分からない酸味が口の中に広がる、油が腐っているんじゃないのだろうか。
うーん、しょうじき言います。不味い。これが本場の味か。
「ねえ、シンク。イギリスってどこ?」
隣に座るシャネルが聞いてくる。
「グリースのことさ、日本はジャポネのことね」
「へえ、あっちだとそう言うのね、勉強になったわ」
シャネルは料理を一口だけ食べてからというもの、まったく手をつけようとしない。それが正解なのだろうけど、俺はもったいない精神をはっきさせて、先程からポテトを食べている。
ふらっと入った大衆レストラン、そこで注文したのは一番人気のフィッシュ・アンド・チップス。名前からも分かる通り、サカナとチップスはフライドポテトのことだ。
イギリスといったらこれ、ということで注文してみたが、失敗だった。
とはいえティアさんは1人だけせっせと食べている。
そんなにお腹が減っていたのだろうか。
「やめなさいよ、お腹壊すわよ」
見かねたシャネルが言う。
「あっ……?」
「まったく、貴女って味覚あるの? ねえ」
少しだけ詰問するような調子でシャネルが聞く。ティアさんのことを嫌いというわけではないのだろうが。
「あ……あぅ……」
その返事の意味はよく分からない。
けれどシャネルはそれからなにも言わなかった。
やれやれ、なんだかなあ……。女の子同士の関係って仲が良いのか悪いのか分からない。苦手だよ。
俺はふと隣の席を見る。
嫌な予感――というよりは、なんだか不思議な感覚がしたのだ。
隣の席には男性客が1人、座っていた。半袖短パンに、現代風の帽子をかぶっていた。
けれど俺が気になったのはその男ではなく、男のテーブルにある皿だった。
見たところパイのようだ。
お菓子のパイの実を大きくした感じ! いや、パイの実がパイを小さくした感じなのかな? じつは俺、ちゃんとしたパイを食べたことがないのである。タルトとはなにか違うのでしょうか?
とはいえ男の食べているパイだってちゃんとしたものとはいえない。
だってパイ生地からサカナの頭がこんにちはしているのだから!
すごいけどしょうじきグロい!
あれこそ伝説のスターゲイジー・パイ。星をみるひと、という名前をつけられたこのパイ。由来はパイから突き出したサカナが星空を見上げているように見えるからだとか……。
「……あれ、食べるのかしら?」
シャネルが気味悪そうに顔をしかめた。
「そりゃあ注文したんだから食べるつもりなんでしょう」
俺はどこかワクワクしている。
マジか、あれ食べるのか? というか食べれるのか?
男がナイフとフォークを持った瞬間、歓声をあげるほどだった。「やった、食べるぞ!」
はたして、男はスターゲイジー・パイを食べ始めた。
しかもその顔は満面の笑顔である!
「あ、あれ。もしかして美味しいのかな?」
金山が恐る恐るといった様子で聞いてくる。
「いや、あれは違うな。たぶんあの人は生まれてこのかた、あのパイしか食べたことがないんだよ。だからあんなに美味しそうに食べてるんだ」
「榎本……失礼すぎない?」
「やっぱりか? というか、もし本当にスターゲイジー・パイしか食べたことないなら、逆に飽きちゃってもっと嫌そうに食べるよな」
それを笑顔だって!?
さてはて、これはもしかしたら本当に美味しいのかもしれないぞ。
「あぁ~」
ちょうどそのとき、ティアさんがフィッシュ・アンド・チップスを食べ終わった。
「どうする、榎本……?」
「腹、まだ入るよな?」
というか俺たちはほとんど食べてないからな。
「そりゃあ食べられるけど――」
「よし、決まりだ!」
「え、マジで!?」
もう好奇心をおさえられない。
俺は店員さんを呼んで注文をする。
「あれ、あのスターゲイジー・パイをください!」
こういうときだけコミュニケーションをきちんととれる男、榎本シンク。
店員さんは愛想よく注文を聞いてくれて、下がっていく。
わくわくわくわく、わくわくさん。
いまから来るのが楽しみだ。
「食べて見たかったんだよね、人生で一回くらいは」
「そ、そうなの?」
「おう!」
というわけで、しばらくするとスターゲイジー・パイがきた。
俺は喜びいさんで食べた。
………………はい。
普通にまずかったです。
「私はやめたほうが良いって、最初から思ってたわ」
シャネルはそんなことを言うけど、むう……。しょうがないじゃないか。だって気になったんだもん。気になったらもう止めることなんてできないのだ。
「ま、なにごとも経験だわな」
いちおうは全部食べたが、もう一生いらねえわ。
「さて、じゃあそろそろ駅に行きましょうか。列車の場合も駅っていうのよね?」
「そりゃあね」
とはいえ、馬車の待合場所のことも駅というので、シャネルからすれば列車を乗り降りする場所を駅――ステーションというほうが不思議なのかもしれない。
俺たちは店員さんを呼ぶ。会計はそれぞれの席でおこなわれるのだ。
「はい、しめて2200ポンドですね。ときにお客様、それを全て食べてくれたようですね」
それ、というのは確実にスターゲイジー・パイのことだろう。
「食べましたけど、なにか?」
「いえ、シェフも喜んでおりましたよ。そちらのパイ、シェフの故郷の郷土料理らしく、味には自信があるそうなのですが、あまり食べてくれる人がいなくて」
味に……自信?
いや、なにも言わないでおこう。味覚は人それぞれだ。
「店長である私からも礼を言います」
「え、でもさっきあそこで食べてた男の人、いたけど」
「ああ、それはおそらくうちのシェフでしょう」
なんで?
いや、普通シェフは席で食べないでしょ、料理を。
もしかしてあれは宣伝だったのだろうか、分からない。だとしたらまんまと乗せられたみたいだ。いや、でもべつにスターゲイジー・パイ美味しくなかったし、一回食べたらもう食べないよ?
とはいえ、レストランの店長はそうとう嬉しかったようで、わざわざ外まで俺たちのことを見送ってくれた。
「またのおこしを」
そんな言葉とともに。
店の外にでると、通りがなにやら騒がしかった。
奥の方で人が集まっている、なんだか茶色い鎧のようなものを着た人間たちがいたのでよく目立った。
「ああ……またか」
レストランの店長がうんざりしたように言う。
「なにがまたなんですの?」と、シャネル。
「人狩りですよ、あれ」
「ヒトガリ?」
なんだか聞き慣れない言葉、けれど嫌な感じの言葉だった。
「魔王様の手下ですよ、ああやって人をさらっていくんです。それも合法に」
はい?
なにそれ、ここは法治国家ではないのですか?
人をさらうのが合法って聞いたことねえよ。
なんて思っていると、
「やめてください!」
と、声が聞こえた。
どこかで聞いたことのある声だった。
それは船の上で俺にワインを売ってくれた商人の声だった。
「娘を返してください!」
その言葉で、俺はあらかたを察した。
「シャネル――」
「シンクのお好きに、私は合わせるわ」
いい女だな、と笑いかける。当然、と笑い返された。




