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311 ワインを売ってくれた商人


 汽笛の音がして、俺は甲板に飛び出した。


「ほら、見てみろよシャネル! 陸地だぞ!」


「そうね、久しぶりね」


 数日ぶりの陸地はいままでのドレンスではない新天地だ。


 俺たちの視線の先にはグリースの巨大な大地が広がっていた。


「いやー、リアス式海岸だわー」


 てきとうに言ってみる。


 でもたしか正しいはず。


 俺たちがいまからいくのはグリースで、それってつまりはイギリスのことだろう? たしかイギリスの下の方ってリアス式海岸だったはずだ。中学の頃に授業で習ったのをかろうじて覚えている。


 複雑な陸地。まるで俺たちの上陸を阻むようだ。


 船は陸地にそってゆっくりと進んでいる。


「あ、見て! あれなんだろう、動物かな。っていうかモンスター?」


 ツノのある馬が海岸沿いを歩いている。


 たぶんあれ、ユニコーンだ。格好いい!


「どこ?」


 シャネルは目を細める。どうやらここからでは見えないようだ。


「あそこにな、ピンク色の毛並みの動物がいるだろう?」


「うーん、いるような、いないような。シンク、本当に目が良いのね」


「アイラルンのおかげさ」


 というよりもスキルのおかげ。確実に異世界に来る前よりも目は良くなっていた。それに加えて『女神の寵愛~視覚~』のスキルがある。


 俺の目はいまマサイ族くらい良くなっているはずだ。マサイ族っていたよね? 目が良い部族。


「それにしても天気が良くて嬉しいわ。せっかくの上陸だもの、雨なんかじゃ雰囲気が台無し」


「本当になー」


 航海の間も嵐にあうこともなく安全そのものだった。


 もしも嵐にあった場合は覚悟しろ、なんて水夫の人たちに脅されたからビビってたんだけど。


「とりあえず町に降りたら、見て回るのは少しだけよ。なんせ列車の時間があるんだから」


「おう!」


 ワクワク。


 なんか知らんけど、グリースには列車が走っているらしい。俺たちはそれに乗って首都であるロッドンという街へと向かうのだ。


 いまから楽しみ。


 あっちの世界にいるときもあんまり列車とか電車には乗ったことがなかった。小学校は徒歩だし、中学高校は自転車で通学していた。だから俺はバスですら数えるくらいしか乗ったことがないのだ。


 ある意味では箱入り息子である。


 けれど田舎じゃあわりと普通だったりする。そもそも電車やバスの時間があいてるからな。あんまり便利なものじゃないのだ、田舎の公共交通機関っていうのは。


「いやー、でも本当にいい景色だぜ」


 俺は甲板の端っこの方に行き、海を見た。


 大きな船体は、力強く海面をかき分けて白波をうんでいる。海の色っていうのはどの世界でも同じようなものなのだ。


「うげ……ゲロゲロ」


 ふと、俺の隣でゲロを吐く男が1人。


「おいおい、飲みすぎか? えーっと、名前なんだったかな?」


「うるせえ、『月下の狂犬』ラムラ・シグーだ」


 ああ、そうそうシグーくんだ。


 すっかり忘れていた。なんでもいいけどその格好いい二つバカにしてます、毎回名乗っているんだろうか。


「陸地が近づいて嬉しくなって飲みすぎたんだな、その気持ち、分かるよ」


 俺も昨晩はシャネルにしゃくをしてもらってワインを飲んだ。都合の良いことに船内には行商人のおじさんがいて、その人にワインを売ってもらったのだ。


「そんなんじゃねえ!」


「じゃあ、なに? 吐いてんじゃん」


 あ、もしかしてノロウイルスとか?


 えー、いやだなあ。あれすっごい感染力あるからね。かかるとキツいし。


「お前……元気だな」


 シグーくんは青白い顔をして俺を見上げる。


「元気でもないけど、いつもどおり普通さ」


「そうそう、普通よ」


 シャネルも合いの手を入れる。


 もっともシャネルの場合は船に乗ってからこっち、テンションが高いままだが。


「俺はダメだ、船酔いでまともに歩けもしねえ」


「え、船酔い?」


 あー、なるほど。


 たしかにそういう顔してるわ。酒で二日酔いになったにしては血色が良いし、目線もしっかりしている。


 これで二日酔いだと口元も緩むものだけど、そういうふうにも見えない。


 つまりは船酔い。


 なるほど、得心がいった。


「なんだよ、お前。船には慣れてるのか?」


「いや、まったく。たぶん偶然だと思うけど。シャネルはどう、船酔いとか?」


「さあ、感じたこともないけれど」


「運の良い奴らめ。泣く子も黙るA級冒険者の中でも船酔いでヒーヒー言ってるやつらがいるっていうのによ。『熊殺し』なんて部屋から出られねえ、食事も喉が通らねえでヤバそうなんだぜ」


「へー。それはそれは」


「なんだよ、その言い方は」


「だってあんまり興味ないから、他人事だし」


 でもまあ、1つだけ訂正して置かなければ。


「へっ、さすがのS級冒険者様だぜ」


「まあね、でも言っておくぞ。俺は運がないんだ、だから船酔いにならないのも運じゃなくて実力さ」


 なんで船酔いがこないのかは自分でも分からないけど、運が良かったっていうのだけはありえないのだ。


「ふんっ」


 シグーくんはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、また海に向かってゲロを吐いた。


 俺はシャネルに見せないように体を間にはさんで、「行こうか」と提案した。


 シャネルは頷いて、移動をはじめた。


 さて、甲板は広いというのは何度か言ったことだ。


 シグーくん以外にも人はたくさんいた。


 その中で俺は見知った人の顔を見つける。ここ数日ワインを売ってくれたりした、行商人のおっさんだ。


 横には若い女性がいる。なにかしら危険な関係……ではなく娘らしい。女性、というよりも乙女とでも言う方が正しい可憐な人だった。


「せっかくだし、ありがとうを言っておくか」


「そうね、船の中でいろいろお世話になったものね」


 もちろんいろいろなものを買うにあたって料金は支払った。嬉しかったのは商人のおっさんはきちんとした適正価格でそれを売ってくれたことだ。


 他に商人なんていない船の上。


 つまりは市場を独占している状態だ。


 ふっかけようと思えばどれだけでも高値をつけられたはずだ。それでもちゃんとした値段で売ってくれたのはたんに商人としての嗅覚がないのか、それとも人が良いのか、あるいは将来的なものを見据えてか。


 なんにせよ、俺たちにとってはありがたかった。


「ごきげんよう」


 と、シャネルが話しかける。


「おお、これはこれはお2人様。もうすぐでグリースですな!」


 商人のおっさんは肥え太った腹をさすりながら言う。それがクセなのだろう、いままでも何度かみた仕草だった。


「それもありまして、最後かもしれませんのでお礼を言いに来たんです。いろいろと売っていただいてありがとうございました」


 シャネルが慇懃に言う。


 こういうとき、俺は口下手だ。なんせコミュ障だからね。シャネルがいてくれて助かっている。いや、本当に。


「いえ、こちらもそれが商売ですので。旦那様もどうでしたか、昨晩のワインは?」


「美味しかったです」


 もう少しなんか気の利いたことが言えないかな、と自分でも思うのだが。ま、この性格は治らないね、たぶん。


「それは良かった、なにせ我が祖国ドレンスのワインは世界一ですからね」


「そのとおりですわ」


 シャネルは口元に手を当てて上品に笑う。いちおう、シャネルも俺と同じで外行きの対応があるのだ。それは基本的に上品に拍車がかかるというものだが。


「ドレンスのワインはグリースでもよく売れますからね。私たちはそれを売って、グリースの進んだ工業製品を買い付けてくるのですよ」


 ほう、工業製品を……。


「お父様、仕事の話ばっかりですよ」


 娘さんが注意するように口をはさむ。


「おや、これは申し訳ない」


「いえ、良いんですよ」と、シャネル。


「こいつは早いうちに母親に先立たれてしまいましてね、大事に育てたつもりがことの他、気が強くなりまして。いまでは私が尻に敷かれていますよ」


「もうっ、お父様ったら!」


 商人の娘は恥ずかしそうに叫ぶと、ちらっと俺のことを見た。


 うん?


 なんだろうか。


「そうなんですか。シンク、行きましょうか。家族水入らずを邪魔してしまってすいません」


「いえ、良いのですよ。今後ともご贔屓ひいきによろしくお願いしますね」


「はい。ほら、シンク」


 俺はシャネルに手をひかれる。


「もう良いの?」と、聞く。


 もう少し話し込むかと思ったんだけど。


 甲板から居住スペースへと続く通路へ。


「いいのよ」


「ふうん」


「あの娘さん、美人だったわね」


「そうだね」


 ま、シャネルの方が美人だったけど。


「あれはシンクに気があるわね、間違いなく」


「え、そうなの?」


 まったく分からなかった……。


「そういうの、分かっちゃうんだから。女の勘で」


 ふーん、すごいんだね女の勘って。俺の第六感よりも強力そうだ。


 でもあの娘さんが俺のことを好き? ありえないと思うけど。


 なんせ俺、いままでモテたことないし。童貞だし。


 ……はあ、やっぱり言ってて悲しくなるね。これ。もう言うのやめよう。


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