304 誰がために剣を振る
ココさんが距離を詰めようと一歩動く。
その瞬間、俺はココさんの雰囲気に飲まれた。
――来る!
後ろに下がる。
だが何も来ない。
おかしい、ココさんはあのまま俺に飛びかかってくるはずだったのに。俺の勘がはずれた? いや、違う。いま俺は勘によって下がったのではない。ただ恐怖して後ろにひいたのだ。
「うふふ、どうしたんだい? 私はまだ何もしてないよ」
分からない、なぜ俺はこの人をこんなに恐れているんだ?
強いだけの相手ならばいままで何度も戦ってきた。
けどこの人は違う。底知れない恐ろしさがある。
「あんた――何者だ」
俺は問う。
「ココ・カブリオレさ」
しかし答えに意味などなかった。
手に持つ刀がずいぶんと頼りなく思える。あきらかに自分の持つ刀よりもさらに細いココさんのレイピアが、とても巨大な武器に見える。
だとしてもやるしかないのだ。
こういう場合、ビビったらなんにもならない。
狙いは先手必勝。
「うらあっ!」
怯える心を無理やりせいするように叫んだ俺は走り出す。
振りかぶった刀を反転させる。みねうちだ。俺はココさんを殺すつもりなどない。
一瞬にして間合いに入り、振り下ろす。
『武芸百般EX』による達人級の一撃。
しかし、
「じつに安直な攻撃だよ」
ココさんは簡単にそれをよけた。
刀を振り下ろした体勢で無防備になる俺。しかしそんな瞬間はほんの刹那だ。普通だったらすぐに立て直して次の行動にうつる。
だが、今回はそれができなかった。
腹部に衝撃がはしった。
蹴られたのだと気づいたのはその場に崩れ落ちた後だった。
タイミングを合わせられた、俺の攻撃がよまれたいのだ。
「キミさ、言っちゃ悪いけど本当にSランクの冒険者かい?」
腹をおさえて、息ができない。
なにか答えようにも新鮮な空気が肺まできてくれない。人体の急所の一つであるみぞおちを蹴られたのだ。
俺は睨みあげるようにココさんを見た。
ココさんは俺が回復するのを待っているのだろう、余裕の表情だ。
少しだけ息ができるようになって、俺は立ち上がる。
「いまので目が覚めたよ」
「そうかい、それは良かった。まだ酔ってたのかい?」
「女に暴力をふるうのは苦手だったけど、あんたは別だ」
そもそもココさんは男なのだ。
「おや、手加減してくれてたんだね。ありがとう。それにしても奇遇だね、私も手加減してたんだよ」
言ってろ、と刀を握り直す。
もうみねうちだなんて言ってられない。
この人は強い、そんなこと最初から分かっていたじゃないか。
「目の色が変わったね。いいよ、それくらいでなくちゃ」
「あんたが死ねばシャネルが悲しむからな」
さっき言われたようなこととそっくりな事を言ってやる。
「ああ、そうかい。シャネルはまだ私をそんなに思ってくれているんだね」
「ああ、そうさ。殺したいほどにな。俺があんたを殺せば、シャネルの復讐を奪うことになる」
「復讐――やめたまえ。そんなくだらないことに人生の貴重な時間を使うのは。シャネルにそう伝えといてくれ」
「悪いな、俺もその無駄なことに人生ささげてるクチなんだよ」
ゆっくりと呼吸をする。
冷静になれよ、俺ちゃん。
師匠に教わった水の教えを忘れるな。水のように流動的に、流れるように相手の攻撃をいなす。
「ほう、さらに雰囲気が変わったね。それが本気かい?」
俺はなにも答えない。
戦いの途中にペラペラと喋るのは嫌いだ。
ゆっくりと距離をつめた。
ほぼゼロ距離に近い。
「なんだい、キスでもしてくれるのかい?」
刀を切り上げた。
「わっ! 不意打ちかよ!」
ココさんは慌てて下がる。
追撃に一歩踏み込み、刀をつく。
だが、それはレイピアでいなされた。細身な割に耐久度はあるようだ。
「やってくれるじゃない」
今度はココさんが距離をとるばんだ。
まるでワルツのステップでも踏むように下がる。
「もしこのまま剣をひくなら、冗談だったってことにする」
警告だ。
しかしココさんはやれやれというふうに笑った。
「冗談? 冗談というならばこっちだってそうだ。シャネルが冒険者をやっているってだけで悪い冗談だっていうのに、魔王を倒しにグリースへ行く? バカにするなよ」
またココさんの雰囲気が恐ろしくなる。
しかし水面のように平穏な俺の心はそんなものに惑わされない。
ココさんがレイピアを真正面から構えた。突き技の構えだ、そもそもレイピアとはそういう武器であるはずだ。
ならば――と俺は大上段に刀を構える。
ココさんが突いてきたその瞬間に、その細い剣をたたっ斬ってやるつもりだ。
「一つ聞いておこう、シンク。キミは誰がために剣を振るう」
「シャネルのためだ」
俺は彼女を守るために、ここまで強くなってきたんだ。
復讐のために剣を振るう。それ自体は間違っちゃいない。けれど、やっぱりシャネルがいなければ俺はどこかでダメになっていた。
彼女がいたからここまで来られたのだ。
「ではさらに聞く、それをあの子が望んだかい?」
「なんだと?」
「シャネルはキミに守られることを望んでいたのかい?」
俺は考える。
分からない。
たしかにシャネルは俺に守られることを望んではいなかったかもしれない。そもそもシャネルは誰かに守ってもらうような人なのか?
「男はいつもそうだよ、自分勝手に女の気持ちを決めつける」
「あんただって男だ」
「けれど、シャネルの気持ちは分かるさ。キミに守られたいだなんて思っちゃいないはずさ」
「ずっと一緒にいなかったくせに、勝手なことを」
「それでも分かるさ、シャネルは守られたいのではない、だというのに彼女を守りたいのだと言うならばそれはキミの傲慢だ」
「そうかもしれないな」
だからどうした?
「それでもキミはシャネルを守るというのかい?」
「当たり前だ!」
俺が言い切ると、ココさんは気味が悪いほどシャネルに似た笑顔で笑った。
「すばらしい――ならば試してやろう。このココ・カブリオレがシャネル・カブリオレの兄として、姉として、キミがシャネルを守れるかを」
ココさんのレイピア、その刀身が炎をまとった。
一瞬、俺はたじろぐ。そんなのありか?
振りかぶり、距離をつめてくる。どう見ても突き技ではない。意表を突かれた。
それでも刀で応対する。
鍔迫り合いの。
至近距離にココさんの美しい顔がある。
「シンク、キミはイイ男かもしれないよ!」
お褒めに預かって光栄だ。
ならば剣を引いてほしいのだが、無理だろう。
だってココさんの目は、びっくりするくらい楽しそうなんだから――。




