303 ココの怒り
胃がひっくり返りそうになっている。
俺はちゃんとまっすぐ歩いてるのだろうか?
分からない。
「キミ、どこに住んでるんだい?」
ココさんが聞いてくるが、まともに返事ができなかった。
「あっち」
「そうかい、あっちかい。帰れるかい?」
「もちろん」
大丈夫かな?
これ、外で寝ちゃったりしないだろうか。
ときどきいるよね、外で寝てる酔っぱらい、駅とかに。俺は子供の頃に見てびっくりしたもんだ。あの人はいったいなにをしているんだろうか、と。
でも自分もアルコールをたしなむようになって分かった。
酔ってからの睡魔というのは、あらがいがたいものがある。
「大丈夫かい、キミ。ほら、これでも飲みたまえ」
いきなりコップを手渡される。
……このコップ、さっきの酒場からパクってきたな。
中に入っているのは水のようだ。
「この水を飲めば少しは楽になるからさ。私が魔法でだした水だよ、酔いによくきく」
「魔法は便利だなー、シャネルもこういうのできないかな」
「おや、シャネルはまだ水魔法が苦手なのかい?」
「苦手なんてもんじゃないっすよ。あいつにできるのは火属性の魔法を思いっきりぶっ放すだけ!」
いちおう少しくらいは治癒みたいな魔法をも使えるけど、そんなのツバでもつけとけば治るってレベルの気休めだ。
「そうかいそうかい、私の妹が迷惑をかけるね。2人での旅は楽しいかい?」
そんなの答えは決まっていた。
「楽しいっすよ」
酔っているから言葉は正直だ。
「そうかい、それは良かった。ふつつかな妹かもしれないが、これからもよろしく頼むよ。ときにシンク――」
「なんっすか?」
「キミたちはさっさとこのパリィを出るべきだと、私はそう思うけどね」
「なぜ?」
水を飲むだけで本当にマシになった。
これはプラシーボ効果などではなく本当に酔いが覚めたのだろう。
「この国はいまから危険なことになる。その前に、シャネルと一緒にあの村に引っ込むべきだね。私はそう思うよ」
「あの村?」
「シャネルにはあの村で出会ったのだろう? 名もなき村、歴史の影に隠れた……」
「あなたが滅ぼした村でもある」
「そう意地悪言わないでくでれよ、私にだって事情があったのさ」
「その事情って?」
「言えないよ、言いたくもない」
「帰ることはできませんよ、シャネルはこの街を気に入ってる」
街路灯の光が、どこか無機質に俺たちを照らす。
最近、電気が通ったというパリィの街には幻想的な雰囲気よりも、むしろ工業的な冷たさがあるように思えた。
「だろうね、あの子はこの街に昔から憧れていた。好きな人とこの街にいられるだけで幸せだろうさ。けれど、この街はいまに戦場になる――」
「革命で?」
「いいや、この国自体がもう戦場になる。それを回避するには山奥にでも隠れ住むしかないのさ。そうだろう?」
俺は首を横にふる。
「無理ですって」
いまさら山奥で暮らすって?
たぶん俺にはそういう生活はできない。スローライフに憧れていたこともあったけど、いまはもう、もっと苛烈な人生を求めているんだ。
もしそういう平穏を手に入れるとしたら、それは醜い復讐を終えてからだ。
「そうかい、そうだと思ったよ」
「それに俺たち、こんどグリースって国に渡るんです」
「グリースに? なぜ?」
ココさんの雰囲気が変わった。
それに気づきながらも、俺は口を滑らせた。
「魔王を討伐しに行くんです」
それが地雷とも知らずに――。
一瞬にして、嫌な予感が俺を襲う。
まるで強制的に痛覚を刺激されるように、俺の皮膚がビリビリと震えた。
強い、強いプレッシャーが俺に降り注いだ。
それを放っているのは目の前のココさんだ。
「魔王を?」
ココさんの口調は冷たい。
返事をしなければならないというのに声がでない。
変わりに俺は刀に手をかけた。けれどこれは臨戦態勢ではない、恐怖に体が防衛行動をとっただけだ。
「もう一度聞くよ、返事をしなさい。魔王を倒しに行くんだね?」
「あ、ああ」
「知らなかったよ、キミがそんなにランクの高い冒険者だったとは、シャネルもかい?」
「――シャネルもだ」
ココさんが背中から細長い剣を抜いた。
レイピアだが、いったいどこに収納していたのか分からない。まるで魔法のように突然あらわれた。俺にはそういうふうにしか見えなかった。
「そうだな、腕の一本でも落とせば諦めるだろうか、グリース行きも」
恐ろしいことをさらっと言ってのけるココさん。さすがはシャネルの姉。いや、兄だ。
それよりもなによりも――この雰囲気。
強い、間違いなくだ!
剣を使うのか? 魔法でなしに?
どうする、逃げるか。あるいは謝って許してもらう?
まさか。
戦うしかない。なぜならココさんは間違いなく俺に敵意を抱いているからだ。
深呼吸を一つ。
「舐められたもんだな」
大丈夫、俺はまだ余裕がある。
「心配するなよ、殺さないようにしてあげるさ。キミを殺したらシャネルが泣くからね」
そう言って、ココさんはレイピアをふった。
空気を切り裂く音。
それに対応するように俺は刀を抜く。
鍔鳴りの音。
なぜココさんがこんなに怒っているのかは分からない。だけどここは――なんとかするしかない。




