286 落ちた底で
谷間から転がり落ちて、何度も体をうって、最後には底に投げ出された。
その瞬間、俺の体を魔法のエフェクトがつつんだ。『5銭の力+』が発動したのだ。なんとかなったということか。少なくとも命だけは助かった。
「いてて……」
つぶやき、立ち上がる。
体のふしぶしは痛いが、どうやら骨なんかは大丈夫らしい。
あたりにはコケがはえているが、そのコケがなんというか……蓄光しているのだ。
いや、蓄光というのはおかしいか。そもそもこんな場所に光はないんだからな。ためるべき光もはなから無いはずだ。
でもコケは光っている。なんでだろうねー?
しげしげと見てみる。なんだろうか、これ。コケに粉がふいている。触ってみると鱗粉のように手についた。
近くに落ちていた刀をひろった。
「おっ、ラッキー。ぜんぜん傷ついてない」
いや、そもそもこんな場所に落ちたのが不運か。
はて、そういえば他にもなにかが落ちた気がする。
あ、金山だ。
「あいつ、大丈夫か? 死んでねえだろうな」
こんな形で死なれても俺は嬉しくねえぞ。
ちゃんと俺が殺さなくちゃいけないんだ。
「ううっ……」
うめき声がした。
よかった、たぶんまだ生きている。
俺はそちらの方にいく。金山は地面に座り込んで、手を抑えていた。
「おい、金山。大丈夫か?」
「え、榎本……? お前こそ大丈夫なのかよ」
「無傷だ」
「すげえな……こっちは左手をやられちゃったよ。とっさに地面を柔らかい砂に魔法で変えたけど、どうしようもなかった」
たしかに金山のいる直下は砂場のようになっている。
「立てるか?」
「うん」
俺はなにも考えないまま手を貸してしまう。
金山はそれをとって立ち上がった。
「明るいね」
「コケが光ってるんだ。知ってるか、このコケ」
「いや、知らないよ。もしかしてこれ、持って帰ったらギルドで売れるかも。栽培できるならかなり良いだろうし。魔力がいらない光源なんてそうそうないから」
「松明でいいだろ、べつに」
「こういうのはさ、案外すごい思いも寄らない結果になるんだよ。遺伝子組み換えとかですごく光るようになったり」
「ないだろ、遺伝子組み換え」
「でも配合はできるでしょ?」
「メンデルもいないのにか?」
「メンデルはいなくても、同じような人はいるんだよ。ナポレオンはいないけど、ガングーはいるように」
「どういうことだ?」
「あれ、榎本は知らないの? この世界のこと」
「この世界……?」
「ふうん、知らないんだ」
イラッとした。べつに知らないことが悪いことじゃない。知らないことをそのままにしておくことが悪いことだろう。
なので俺は好奇心をちゃんと持っているのだ。
「教えてくれよ」
「本当にアイラルンに聞いてないの?」
「聞いてない」
金山は俺の言葉を聞いて、首を横にふった。
「なら俺から言うことじゃないよ」
「なんだよそれ」
「自分で気づくべきってことじゃないかな。あ、いや。意地悪してるわけじゃなくてさ。アイラルンがそう判断したんなら、そうなんだろうって」
「アイラルン、アイラルンって。ずいぶんと仲が良さそうだな」
べつに嫉妬してるわけじゃなんだからね!
ただ珍しいな、と思っただけだ。俺以外で、こちらの世界に来てからもアイラルンとコンタクトをとっている人間は初めて見たのだ。
俺たちのクラスメイトは異世界でそれぞれの生活をしていた。そこにアイラルンの影は一切なかった。
「にしても、ずいぶんと高くから落ちたね。これは登れないよ」
「シャネルのやつ、大丈夫かな」
「心配してるかってこと?」
「いや、あいつのことだからこの断崖、降りてきそうで」
「えっ?」
「そういう女なんだよ、あいつは」
とはいえ、この高さ。そして急さだ。あっちにはロープがあるとしてもかなり危ないだろう。
「おおい、シャネル!」
俺は腹の底から叫ぶ。
聞こえるだろうか?
そのとき、はるか上空からチカチカと光の点滅が見えた。モールス信号だろうか? いや、ただの規則的な点滅だ。たぶんシャネルの魔法だろう。
「これ伝わってるのかな?」
「さあ、分からねえ。でもとりあえず叫ぶしかないだろ。シャネル、こっちは2人とも無事だ! だから無理して降りてくるなよ! 分かったな! どうにかこっちが上に戻るから!」
分かってくれたのか、くれなかったのか。
しかし上でまたチカチカと光っているものが見えた。
たぶん分かったのだろう、と俺は勝手に納得した。
「よし、金山。さっさと上に戻るぞ」
「ちょっと待って。いてて……」
「折れてるのか?」
「分からない。けどヒビくらいは入ってるかも」
「ちょっと見せてみろ」
俺は金山の左手を近くで見る。肘のあたりが確かに変色してはれるが、たぶん骨は折れていないだろう。もっとも本人がどれだけ痛いかまでは分からないが。
それでも、
「大丈夫だぞ。たいしたケガじゃない」
気休めになれば、と俺はそう言った。
「本当? シンちゃん」
「シンちゃんって言うな」
虫唾が走る。
まったく、こいつは異世界に来てあちらの世界での記憶でもなくしているのだろうか。俺のことをイジメていたことなんてなかったことにしてないか?
「とにかく俺たちはなんとかして上に戻らなくちゃならない。もしその足手まといになるようなら置いてくからな」
「できるだけ頑張るよ」
……なんだか調子が狂う。
まあでも、もともとこいつは俺に暴力をふるったりするイジメをしていたわけじゃない。
どちらかといえば、月元や水口のかげに隠れて悪口を言っていたようなタイプだ。
ついでにいえば、俺に暴力的なことをよくしたのは、月元と火西だ。こいつらは俺のことをよく殴って、蹴って、土下座させていた。
水口はよく俺から金を奪った。木ノ下もだ。
でも金山は? いつも一緒に俺をイジメていただけで、イジメの主導はしていなかった。腰ぎんちゃく。ある意味では一番たちが悪いかもしれないがな。
だってそうだろう?
俺たちは友達だったはずなのに、こいつはその友達を裏切ったのだ。
そしてこっちの世界に来たら関係はリセット。
はい、また友達です。
って、そんな都合の良い話があってたまるか。
考えると腹がたってきた。
「ねえ、榎本」
「なんだよ」
「いや、なんでもないよ」
なら黙ってろよ。少なくとも俺は無駄にお喋りをするつもりはない。
歩き出した俺に、金山はついてきた。片手をかばうように抑えている。そういう姿を見せれば同情をさそえるとでも思っているのだろうか。
俺たちは谷間のようになった空間を歩いている。
両辺にはそりたつ断崖の壁がある。道具もなしに登るのは無理だろう。どうにか登れそうな場所はないものか?
しばらく歩いていると、壁によりかかっている死体があった。
その死体を発見したとき、俺はまたモンスターが中に入っているのではないかと思い警戒した。
「死体だ……」
「見れば分かる」
「これ、かなり古いよ。鎧だって腐敗してボロボロだ」
金山の言う通りだった。
その死体にすでに肉はなく、ただ骨だけになっていた。白骨化、というやつだ。
「わからんな、どうしてこんな場所にいるんだ。こいつは?」
「俺たちと同じじゃないかな、上から落ちたんだよ。きっと」
「間抜けな冒険者だぜ」
「それ、人のこと言えないよ?」
「俺は運が悪いんだよ」
だから、こんな場所で金山と2人きりになっちまった。
死体の周りには光るコケが無数にはえていた。まるでこの死体――おそらく男の墓標のように。
そして壁にはなにか文字が書かれている。
「――勇敢な男、ここに眠る」
「ん? お前、読めるのか」
金山はおそらく、壁に書かれた文字を読んだのだろう。
「え? ああ、うん。読めるよ」
「すげえな」
「べつに、古代文字くらい少し勉強したら誰でも読めるよ」
「古代文字?」
どうやらこの壁に書かれているのはそうとう古い文字らしい。俺はこの世界では文盲なので、そもそもこの壁の文字が現代の文字か古代の文字かすら分からなかった。
「もしかして榎本、文字が読めないの?」
「悪うございましたね。シャネルがいれば文字なんて読んでもらえるんだよ」
「でも榎本、本を読むのが好きじゃなかった? ほら、学校でよく読んでたでしょ」
あれは友達がいなかったから、本を読むしかできることがなかっただけだ。
でもそんなこと言ってもしかたがない。
俺は話を無理やり変える。
「書いてあるのかそれだけか? どうも文字が多そうに見えるが」
「えーっと。『友よ、さらば』って書いてあるね。あとは『俺たちはお前の分まで生きてやる』とか。たぶんこの人とパーティーを組んでた人たちが書いていったんだよ」
「そうか……」
俺は打ち捨てられた死体を見つめる。
いったい何十年。いや、何百年この場所にいたのだろう。ダンジョンから出るさいに連れて行ってもらうことも出来ず、捨てられた死体。
あわれだった。
そしていまも回収されていないということは、もしかしたらこの男の仲間たちもこのダンジョンの中で息絶えたのかもしれない。
「仲間……か」
金山が呟いた。
「お前にもいたじゃないか、仲間が。4人も」
俺は言ってやった。
誰のことをさすのか、金山はすぐに気づいたのだろう。悲しそうな顔をした。
「たぶん、榎本が思ってるほど、楽しいもんじゃなかったよ。例えばそうだな。もし全員でパーティーを組むとするだろう? 4人が定員のパーティー。そしたら確実に俺だけは外されたよ。そういう関係さ」
「ふんっ」
だからどうしたというのだ。
だから許してくれって言うのか、バカバカしい。
「絶対にお前のことは――」
許さないからな、そう宣言しようとした。
だが、それを邪魔するように地響きが聞こえた。
「じ、地震かな?」
「いや――違う」
嫌な予感がする。
なんだ、これは? このダンジョンに入ってから、一番の嫌な予感だ。というかこんなの、俺がこの異世界に来てからも数えるほどしか感じていない。
なんだ、なんなのだこれは?
谷間の先から、のっそりと姿を現すなにか――。
巨大な影。
その巨大な存在は、コケの放つ淡い光にうつされて、とてつもなく恐ろしく見えた。
そのなにかは俺たちの姿を認めると、たしかにニヤリと笑ってみせた。




