271 無言の女と最後の復讐相手
男が1人、女に話しかけている。その男の周りにあと2人、やいやと囃し立てるような仲間がいた。
冒険者だろう。
俺は耳をすませる。
「なあ、あんた1人だろ? 俺たちとパーティーを組もうぜ」
けっこう距離は離れているし、周りはそれなりにうるさい。それでも俺の耳はきちんと音を拾った。『女神の寵愛~聴覚~』のおかげだ。
「ナンパかしら?」
「そんな感じだな」
話しかけている男もそうだが、後ろにいる2人の男たちはそうとう酔っているようだ。下品に笑いながら、大声でなにやら叫んだり、奇声をあげたりしている。
話しかけられている女の方は、しかし何も答えない。
けれど嫌そうな顔はしてない。ただ微笑んでいるだけだ。それはにこやかというよりも、まるでお面を被るような、表情に張り付いた微笑みだった。
でもきれいな人だな。
髪の毛は赤みがかった金色をしている。肌は白を通り越して青い。四肢は不健康そうなほどに細くて、そのわりには体の出るところは出ている。
シャネルもたいがい病的ではあるが、それよりさらに細く見える。ちゃんと食べてるのだろうか?
「それで、お優しいシンクさんはどうするの?」
「へ?」
「いつもみたいに首を突っ込む?」
「いやいや」
俺いつもそんなことしてましたか?
「シンクはいつも、可愛い女の子には優しい」
「ソンナコトナイヨ」
じゃっかん否定できないところもあるが。
「だから私にはいつも優しい」
「お前なあ……」
自分で言うか、それ?
つまり自分が可愛いって言ってるんだろ?
なんか最近そういう人いたな、自分のことすっげえ褒める人。ビビアンだね。
「で、どうするの? 行くなら少しくらい手伝うわ」
「行かないよ。だってあの女の人だってまんざらでもなさそうじゃん?」
だって女はなにか拒否を示すわけでもなく、ギルドの待合椅子に座っているだけなんだ。膝に手をおいて、ただ置物のように。
そして声をかけてくる男の方をじっと見ている。
他の男が声をかけてくればそちらをじっと見る。
その繰り返し。
喋ってはいない。しかし異様な存在感を醸し出しながら。ああいうのを白痴美というのだろうか? 茫洋の中にある美しさ。
「そうかしら? こんなこと言ったら悪いけれど、あの人もしかして少し頭が弱いんじゃないかしら?」
「どうだろうな」
だとしたら、こんなならず者ばっかりがいるギルドの待合室に1人で置いておくべきじゃないだろう。獣の群れにウサギさんが一羽。声をかけてくださいと言っているようなものだ。
「おいおい、だんまりかよ」
しびれをきらしたのか、男が少しだけ気色ばむ。
けれどそれに対して女性は微笑んでみせた。それで男のほうも毒気を抜かれたようだ。
「どうだよ、俺たちと組もうぜ。こう見えて俺たち全員Cランクの冒険者なんだぜ」
男は自慢気に胸を張る。
「Cランクってどれくらいだ?」
「さあ? 知らないわ」
「そもそも俺たちって何ランクだ?」
「最後に見たときはDランクだったと思うけど」
「ふむ」
つまりあそこにいる男3人は、ランクだけで言えば俺たちよりも上と。
いやでもほら、冒険者の価値はランクだけじゃないから!
そもそも俺たちあれだったな、あんまり難しいクエストとかやってないしな。そりゃあランクも上がらないか。
いまだにしつこく勧誘をしている男たちに、俺は少々飽きてきた。
他人様のナンパなんて見ていてもなあ、楽しいもんじゃないし。べつに首を突っ込むつもりもない。
しかし、さっさと行こうぜ、とシャネルに提案しようとしたところで状況が動いた。
「おい――あんたら」
いきなり現れた男が、ナンパをしていた男たちと女性の間に割って入る。
「なんだよ、俺たちはいまこっちのお嬢さんと話してんだ。すっこんでな!」
ここからでは割って入った男の顔は見えない。
「彼氏かしら?」と、シャネルが興味深そうに言う。
「どうだろうな」
面白くなってきたぞ、と俺たちも待合の椅子に座る。
間に割って入ったのは赤毛の男。背はそれなりに高そう。俺よりも少し高い? いや、低いのか?
たぶん同じくらいだろう。
格好はいかにも冒険者という感じだ。鎧というには軽装すぎる防具を装着している。皮の胸当てをして、腰に吊るした剣は不格好なほどに大きかった。
「わるいがこいつは俺の女なんだ。あんたらこそ失せな」
ヒュ~。
俺の女ですって!
格好いいこと言うなあ。
ちなみに、口笛はうまく出ませんでした。
「お前の女って、なんも話してねえじゃねえかよ」
「彼女は口が不自由なんだ、だから喋れない。これ以上、無礼なことを言うなら俺がお前たちを倒すぞ」
「倒すだぁ? 俺たちはC級冒険者だぜ、それが3人もいるんだ。お前みたいな優男に負けるかよ!」
この言い方によると、C級の冒険者ってのはそれなりの地位らしいな。
「そうかよ――お前らC級か。ならばこの『金枝篇』の相手をしてもらおうか」
きんしへん?
「あら、もしかして二つ名かしら?」
シャネルが少し顔をしかめた。
「二つ名って?」
「A級以上の冒険者は自分で決めた二つ名を名乗れるのよ」
「え、なにその素敵な設定!」
か、格好良い。
つまりあれか、○○のシンクみたいに格好いい称号がつけられるってわけかよ。
良いなぁ……。
どうやら金枝篇というのは本当に二つ名だったようで、C級の冒険者たちはたじろいだ。
顔を見合わせて、誰からともなく「べ、べつにやり合うつもりなんてねえよ」なんて言いながら下がっていく。
格好悪い……。
なんならケンカでも始まってくれれば酒のサカナになったものを。
とはいえ……二日酔いはまだ治っていない。
「せっかく異世界なんだからよ、二日酔いを治す魔法とかねえのかよ」
「異世界?」
「あ、いや。こっちの話しだ」
さてはて、いつシャネルに俺のことを打ち明けようか。
なんだかんだと言っていたら、もうこんな場所まで来てしまった。
とはいえ、俺は自分のことをシャネルに言っていないように、逆にシャネルのこともよく知らないけど。
たとえば彼女の両親や、いまもどこかで生きているという復讐相手の兄のこと。なにも知らないのだ……。
「おい、ティア。大丈夫だったか?」
赤毛の男は女性に声をかける。しかし女性は肯定も否定もしない。ただ男を見るだけだった。
ふと、男が俺の視線に気がついたのかこちらを見た。
その瞬間、俺は初めて男の顔を確認した。
赤茶けた髪。大きく見開かれた黒い瞳。そして薄い唇と平たい顔。
俺はこの男のことを知っている。
そしてこの男も、俺のことを知っている。
いきなり心臓が早鐘をうち始める。
なにか、なにかを言わなくてはならない。
「シンク?」
となりにいるシャネルが大丈夫? と声をかけてくれる。
しかしそれに答えることはできない。
俺は男から目を離すことができない。あちらも同じようだ。
俺たちは無言で見つめ合う。
なにか、なにかを言わなくてはならない。
――なにを?
何かを言おうとしたとたん、俺にはなにもかもが分からなくなった。
俺はいったい何者だ?
いったいどこから来たのだ?
そしてどこへ行くのだ?
分からない。
俺はかつて友人であった男、そしていまは復讐を誓った相手を見つめた。
「シンちゃん……」
と、男――金山は昔のように気安い呼び方で、呟くように言った。
「キンちゃん?」
俺も思わず同じように言ってしまう。
バカか?
相手は俺のことをイジメていた男だぞ。俺を裏切って、率先して俺のことをイジメていた男だぞ。俺は知っているんだ、5人の中で最初に俺をイジメたのはこの男だと。
でもどうしてだろう、俺はいまこの瞬間に金山に斬りかかることができない。
まるで縫い付けられたかのように足が止まっている。
金山は少しだけ迷った素振りをみせた。しかし、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
俺の体は震えだす。
トラウマ――。
抜け、刀を。あるいはモーゼルを。
しかし動けない。
ただ、ゆっくりと近づいてくる金山を驚愕の瞳で見つめることしかできなかった。




