266 シャネルの風邪、ふたたび謎の美女
なんということでしょうか――忘れようとしていて、実際その日の夜には忘れていた相手だが、意外なほどに再会は早くやってきた。
いや、再会なんてしたくねえよ。
人生っていうのは数奇なものです。ま、この場合は俺の運がないだけか。
はあ……。
「ねえ、ちょっと僕ぅ~?」
絡み酒。
「なんっすか」
俺は仏頂面でビールを飲む。なんだよこのビール、全然冷えてないぞ。
「そんな顔して、も~。こんな美人とお酒が飲めるのよ? もっと笑って笑って!」
「面白ければ笑いますよ」
「うふふ、じゃあ私はいまと~っても面白いわ!」
はあ……なんだよマジで。どうしてこうなった?
今日のことを朝から思い出してみよう。
どこで間違えたのか分かるかもしれない。
テンテンテン(効果音)。
「むうっ……ごめんなさい、シンク。ちょっと調子が悪くて」
朝、俺が起きるとシャネルが頭を抱えていた。疲れたような、それでいて青白い顔をしていた。
「調子が悪い? 珍しいな」
ああ、あれか。
俺は頷く。
ピンと来たね。
「だから今日は1日寝て過ごすわ」
「了解だ。俺は理解のある男だぞ、童貞だけど」
「……たぶんシンク、勘違いしてるわよ?」
「良いから良いから、そこに座ってろって。あ、氷とかいるか?」
氷ってのは買おうと思うと結構高いのだ。しかも面白いことに天然と養殖がある。天然の氷はどっかから運ばれてきたもので、これはもう庶民が手を出せるものではない。養殖の氷は魔法とかで作られたものだ。まあまあ高い。
「いらない」
シャネルはせっかく着た服をいきなり脱ぎだした。
「お、おい――」
「たぶんこれ、風邪だわ。ふう……あっつい」
シャネルは色っぽく吐息を吐く。
薄いシーツの下で、大きな胸がゆっくりと揺れている。上下に揺れるそれを見て、俺の心臓もドキドキと高鳴っていく。
どうやら女の子の日ではないようで。
「シンクは風邪、ひかないわね」
「そうだな」
この異世界に来てからというもの、大小とわず病気にかからない。
たぶんアイラルンがなにかやってくれたのだろう。俺の身体能力を底上げしたように、病気にも強くなったのだろう。
「なんとかは風邪をひかないらしいわよ……」
「ほう、なんだろうな。俺はそのなんとかだから知らないぞ」
シャネルはひらひらと手を振る。
「お疲れ様」
そう言うと、もう喋らなくなった。まるでテレビのスイッチを切ったかのように。寝たわけではないだろう。たぶんそうとう酷いのだ。
俺は外行きの一式を揃えて物音をたてないように部屋を出る。
そしてタイタイ婆さんのところへ行く。
「タイタイ婆さん、ちょっと」
「なんだね?」
タイタイ婆さんは道で占いをしていた。いつもそこらへんにいるから、まあ見つけるのは簡単だ。いちおうこの人はアパートの管理人なのだけど。いったい占い師とどちらが本職なのだろうか。
「シャネルの調子が悪いんだ、もしなんかあったら面倒みてくれないか?」
「はて、最近耳が遠くてねえ」
「業突く張りめ」
俺は笑いながら、占い台の上にコインを置く。この国のチップ文化にもとうに慣れた。
「ああ、調子が悪い。そりゃあ大変だ。分かったよ、なんかあったら任せておきなさい。それと昼もてきとうに何か食べさせようか。あんたのツレはブドウ酒は飲めたかい?」
「ああ、シャネルはウワバミだからなんでも飲むよ」
ウワバミというのは大きな蛇――ではなく、ここでは大酒飲みの意味だ。
もっともこれは冗談。
シャネルは酒に強いだけで自分から飲もうとはしない。それどころかアルコールばかり飲む人は嫌いだとか。みんなもアルコールは控えようね!
誰に言ってんだ、俺。
「そうかい。風邪には温かいブドウ酒が一番さね。あとでパンと一緒にあげとくよ」
「ありがとう」
ということがありました。
テンテンテン(効果音、2回目)。
さて、降って湧いた自由の日。
俺ちゃんはいったい何をすれば良いのでしょうか?
てこてことパリィの街を歩く。たいていはシャネルと2人の俺。こうして1人で歩いているとちょっとばかし不安にもなる。
「ったくよぉ……どうすっかなぁ」
べつに知り合いもいないし。
いや、いるぞ。
1人だけ。パリィの街に知り合いがいる。
ミナヅキだ。
治療院で働いているミナヅキ。この前パリィに滞在してたときにはいろいろお世話になったからな。
よし、そうと決まれば行くぜ!
道はだいたい覚えていた。
壁の白い建物が、ミナヅキの治療院だ。やっぱりどこの世界も共通で、医療行為をする場所というのは清潔感が大切なのだろう。
それにミナヅキは俺と同じ、異世界転移者だ。衛生観念もしっかりしている。
怪我をしたらここに来るのが一番だ。ま、俺は怪我してもだいたい放っておけば治るのだけど。
外から見たところ、お客さんはいないよう。
よしよし、と思い扉をあける。
「ミナヅキく~ん。遊びましょう」
奥からくわえタバコのミナヅキが出てきた。
「帰れ」
開口一番、そんなことを言ってくる。
「そう言わないでよ」
「こっちは忙しいんだ。いまに客がくる」
「そうなのか?」
「榎本よぉ、久しぶりに来たと思ったらお前……暇なのか?」
「だから暇なんだって」
「悪いな、俺は暇じゃない」
俺たちはにらみ合う。
プッ、とタバコをはかれた。
それをよける。
「遊ぼう!」
と、大きな声で言う。
「小学生かお前は。暇じゃねえって言ってるだろ」
「そっか……」
ショボーン。
まあ仕事してるからな、ミナヅキは。
俺はニート一歩手前の冒険者だし、立ち場が違う。しょうがないっちゃあしょうがない。
「お前も冒険者なら依頼でも受けてこいよ」
「うーん、いまはそういう気分じゃないから」
「そうかよ」
ミナヅキくんは新しいタバコを取り出すと、マッチで火を付ける。病院でタバコっていうのもどうなんだ、と思うけど。
まあいいや。
「とりあえず今度また遊ぼうぜ」
「せめて仕事のないときに来い」
「はいはい、どうせ俺は暇人だよ」
俺が外に出ると、入れ違いで婦人がミナヅキの治療院に入っていった。ペコリ、と頭を下げられる。俺も頭を下げる。
けっこう人気なのか、この治療院。治療師は無愛想なのにね。あまそれくらいのほうが腕の方も信用できるのかもしれない。
はあ……。
さてさて、どうしましょうか。
なんて思ってると、背後から声をかけられた。
「あれぇ? キミ、昨日の子じゃないか」
背中いっぱいに鳥肌が……。
ゆっくりと振り返る。
そこには白い髪の美女が立っていた。
妖艶な笑顔で俺を魅了している美女。
そういえば名前とか聞いてねえぞ。
でも忘れはしない。昨日、橋の上で俺がシャネルと勘違いした女だ。こうして見れば、どうしてこの人とシャネルを間違えたのかよく分からない。
後ろ姿か? 後ろ姿が似ているのか?
「うふふ、運命って知ってるかい?」
美女はわけのわからないことを言う。
「知りません」
そう言って立ち去ろうとするが、がっしりと腕を掴まれた。
い、意外と力が強い!
「まあまあ、ここで会ったのもなにかの縁だ」
「昨日もそんなこと言ってませんでした?」
「言ったかもしれないねえ。まあとにかく行くよ」
「行く? 行くってどこへ?」
「まあまあ、男ならつべこべ言わずに黙ってついてきたまえ」
「ついてこいって、引っ張ってるじゃないですか!」
これじゃあ連行だ。
「細かいことは言いっこなしよ」
有無を言わさぬ調子で美女は俺を引っ張っていく。
ああ。どこで間違えたのか思い出した。ここで無理やりでも逃げておけばよかったのだ。そうすれば良かったのだ。




