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258 男なら


 貧乏学生たちのほとんどは、毎日たいしてやることもないので暇を持て余すことになる。


 学生なのだから勉強をすればいいと言われればその通りなのだが、長い一日をずっと机の前で過ごすような真面目な学生などほとんどおらず、たいていは試験の前だけの一夜漬けだ。


 大学のある日はまだマシだ。講義を受けていればいい暇つぶしになって、終わる頃には恋人であるグリゼットたちも工場から帰ってくる。


 でもそうでない日は、ほんとうにやることがない。


 厳密に言えばやれることがない。


「しょうがない、散歩だな」


 ひとりごちて部屋を出る。


 夏が近づいてきたパリィは本当に暑い。家の中になんていられないくらいだ。


 なので一張羅いっちょうらを着て外に。もちろんハットもかぶる。これなくしてジェントルマンはありえない。


 セーヌ川沿いを歩く。


 涼を求める人の多さから、逆に暑く感じる。


「ちくしょう……暑いなぁ」


 しょうがないので噴水の周りにでも――と思い英雄通りの方へ足を踏み入れる。


 ここはかつて若き日の英雄ガングーが通いつめたと呼ばれる歴史あるカフェがある。そのたえ、後世で英雄通りという名が与えられたのだ。


 馬車が楽々とすれ違うことのできる広い通り。


 その両端にカフェが立ち並ぶ。


 オープンテラスの席にはたくさんの人が座っていた。


 レオンくんはその中に知っている顔を見つけた。一瞬、声をかけようかと迷った。


 ――知り合いと言っても一度会っただけだぞ?


 けれどけっきょくは話しかけることにした。


「シンクさん、こんにちは」


 声をかけらた黒髪の男は、ゆっくりと顔をあげた。


「ああ、あんたか」


 その手にはコーヒーカップがあった。どうやら今日はまだアルコールを入れていないらしい。


「たまたま見かけたので声をかけてしまいました、迷惑だったらすいません」


「……迷惑ってことはないがね」


 酔っていないときの彼はなかなかにシャイな男だ。


 いちおうは顔見知りであるはずのレオンくん相手にさえ少しだけ気後れしている様子。


 さて、とレオンくんは迷った。シンクの対面に座っている女性、その人のことを聞いて良いものなのだろうか、と。


 涼し気な白い髪をした女性だった。シンクと同じようにコーヒーを飲んでいる。


 一般に社交界の場なでは男は男の、女は女の世界を持っている。なのでことさら相手のパートナーに声をかけたりするのはマナー違反にあたったりすもするのだ。


 これがもし学生同士の付き合いならば「それ、お前の彼女?」なんて気安く聞けるものだが。


 しかしそれをためらわせるほどに、シンクと一緒にいる女性は美しかった。


 ――貴族の子だろうか?


 レオンくんがそう思ってしまうのも不思議ではない。


 なにせシンクと一緒にいた女性が着ている服は、これから社交界どころか晩餐会にでも行きそうなくらいに上質なものだったのだ。


 それに身にまとう雰囲気も気品がある。こういったものはもう理屈ではない、見た瞬間に感じ取れるものだ。


 ある意味ではこんなカフェには場違いともいえるほどの、美しい女性だった。


「その人、だあれ?」


 驚いたことに女性のほうから聞いてきた。


 たぶん無視されるだろうと思っていたのだが。けれど女性はまったくこちらに視線を向けようとはしない。


「昨日言った、レオンさんだ。俺たちに依頼を持ってきた」


「ああ、結婚相手に指輪をあげたいっていうね。健気ね。シンク、私も待っているのだけど?」


「ノーコメントで」


 この女性も冒険者なのだろうか、こんな美しい人がと驚きでもある。


「シンク、お友達も来たみたいだしどうする?」


「あー、下着だろ? しょうじき俺がついていってもなぁ……。なあ、あんた。どうだい、一杯飲んでいかないか?」


「すいません、ただちょっと声をかけただけなんです」


 お金がないのである。


「そういうなよ、おごるからさ」


 でしたら、とレオンくんは頷いた。


「じゃあ私は行くわ。お金、ここに置いておくから。あんまり飲み過ぎちゃダメよ」


「分かってるよ、シャネル」


 シャネルと呼ばれた女性はテーブルの上にコインを置いていき席を立つ。


 歩き方まで美しかった。


「さて、とりあえずシャネルは行ったな。なあ、あんた」


「はい、なんですか?」


「なに飲む? ワインで良いか?」


「ワインで良いですよ」


 はて、なんの話をしようかとレオンくんは迷った。せっかくだから冒険者ということでこれまでの冒険譚でも聞いてみようか。世の中、人の話を聞くよりも人に話しをするほうが好きな人のほうが多いからな。


 とくに酔っぱらいなんてものは。


「ああ、そうだ。昨日の依頼だけどな、受けることにしたぞ。シャネルはやっぱり気に入ったみたいでな、二つ返事だった」


「本当ですか! ありがとうございます!」


「とりあえずさっきギルドに行ってきた。依頼の内容もちゃんと聞いてきたけど、まあ明日から出るよ。1日じゃ終わらないからな、久しぶりの野宿だ」


「お願いします」


「3、4日はかかるかもな。山登りか、久しぶりだよ」


 ワインがきたのでそれを飲む。


 けっきょく、瓶は一本ではたりなくて追加で注文した。シンクはやはり飲むと辛気臭くなるような性格みたいで、自分から話しをふるようなこともなかった。


 夕方になって、工場から帰る人の通りが多くなってきた。


「パリィというのは不思議な街だと常々思うよ」


 シンクは茜色に染まる街並みを見て、しみじみとつぶやく。


「不思議、ですか?」


「いったいここはどこなんだって思うよ。中世かと思ったらそうでもなくてさ、この前なんて電気自動車のことが新聞の三面記事に載ってたよ。さすがにありゃあたまげたな。なんでもグリースの方には鉄道もあるんだろ? それは魔石で動くらしいけどさ」


「そういう話しは聞いたことありますけど。産業革命、ってやつですよね」


「そうそう! すごいよな、レボリューションだよ。やっぱりこの異世界はおかしな場所だぜ」


「異世界?」


「ああ、いや。こっちの話だ。ん……? なんか揉め事か?」


 シンクがつぶやく。


「揉め事?」


「いや、耳は良いんだよ。ここ最近な」


 シンクは通りの先を見る。


 レオンくんも同じ方を見た。女性が歩いてくる。いかにも仕事帰りの少し疲れた顔。そしてその後ろには2人の屈強な男が。


「なあなあ、良いじゃねえかよ」


「そうだぜ、俺たちと遊びに行こうぜ」


 たぶんナンパだ。


 そういうことはドレンス――とりわけパリィではよく見られる光景だ。なのでいつもならばスルーするのだが……。


 だけど声をかけられている人が問題だった。


「あれ、ナナだ」


「ナナ?」


「あの、俺の恋人です」


「そうか。それで、助けに行かないのか?」


 シンクはワインを飲みながら聞く。


 あきらかにナナは困っていた。


「ちょっと、やめてよ。私には彼がいるんだから」


「遊びに行くくらい良いじゃねえかよ、浮気じゃねえからよ」


「そうそう。それにどうせ相手だって遊びだろ? グリゼット相手によぉ」


「なんですって!」


 ナナは気の強い女の子だ。このままだったらもしかしたらケンカになるかもしれない。


 レオンくんは立ち上がる。


 しかし足が動かない。


「行かないのか?」と、シンクがもう一度聞いてくる。


「だって俺――戦えないし」


「でもこのままだとあの子、殴られたりするかもしれないぞ? 女の子が顔とか殴られたら悲しいだろ?」


「そうですけど――」


「やれやれ」


 酔っ払ってるから特別だぞ、とシンクはそこらへんにあった刀を掴んだ。


「そんな、無理ですって! だってあの人たちあんなに強そうで――」


 たぶんナナに話しかけてる男は冒険者だろう。いかにも筋骨隆々という感じで。たぶん2人がかりでも捻り潰されそう。


 それでもシンクはゆうゆうと歩いていく。


 そして、


「おい、あんたら」


 普通に声をかけた。


 レオンくんも慌てて駆けていく。さすがにここで隠れていたら、男がすたるというものだ。


「なんだよ!」


「その人、困ってるだろ。さっさとどっかに行けよ」


「テメエがどっか行け!」


 売り言葉に買い言葉。


 冒険者の1人が拳を振り上げる。


 その瞬間、レオンくんは見た。シンクが面倒そうにため息をつくのを。


 そして次の瞬間、男は拳を振り上げたまま静止していた。


 拳を振り下ろすよりも先にシンクの正拳突きが男のみぞおちに深々とめり込んでいた。


「ううっ……」


 男はうめき声をあげて崩れ落ちた。


「つ、強い……」


 レオンくんは思わず声をもらす。冒険者っていうのはこんなに強いのか。


 もう1人残った男が剣を抜く。


「お前、それを抜いたら手加減はできないぞ。俺は人殺しが嫌いなんだ」


 そう言って、シンクは刀に手をかけた。


 雰囲気が重い、殺気のようなプレッシャーがシンクから放出される。それは横で見ているレオンくんでさえ震え上がりそうなものだった。


 冒険者の男もそうだ。気圧されて、戦意喪失。


 倒れていた男を立ち上がらせて一目散に逃げていった。


「ふう……」


 シンクは面倒そうに頭をゴシゴシとかいた。


「あ、あの。シンクさんありがとうございます」


「べつに」


 少し不機嫌な様子。


「ちょっとレオン、この人だれよ?」


「あ、いや。ただの友達だよ」


「ふうん。あの、ありがとうございます」


 ナナに頭を下げられて、シンクは気まずそうにしている。


「俺、もう帰るわ。おいあんた」


「はい」


 シンクはレオンくんの肩に手を置いた。


「あんたも男なら、好きな人くらいは自分で守れねえとな」


 そう言って去っていくシンクの後ろ姿は、どこか大きく見えた。


 レオンは知らずしらずのうちに拳を強く握りしめる。なんだか自分が情けなかった。


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