表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

262/783

256 レオンくんの依頼


男はレオンのくんのことをじっと見つめると、深い溜め息をついた。


「このパリィの悪臭は、どうにかならないもんかな? 夏が近づくにつれてすごいことになってるぞ。あんたらは何も思わないみたいだけど」


「悪臭、ですか?」


 そういえば、レオンくんも田舎から出てきたばかりの頃はどこからともなくただよってくる腐敗臭に頭を悩ませていた。どうにかしようと思ったが、臭いというのは防ぎようもなかった。


 けっきょく有効な手段はなにもなく、ただ時間が経つのに任せていたら慣れたのだが。


「こんな悪臭をほうっておいて歴史の時間を進めないって言うんなら、やっぱりディアタナとかいう女神はとんでもないやつだな」


 なんだかとても罰当たりなことを男は言う。


 べつにレオンくんは特別熱心にディアタナのことを信仰しているわけではない。普通だ。しかしこの異世界の人間は普通にディアタナに好意的な人間が多いので、批判めいたことは一切言わない。


 言うのは異教徒くらい。


 もしかしたら自分はとんでもないところに来てしまったのではないかとレオンくんは思った。


 けれど彼にはここに来た理由が、目的がある。すごすごと引き下がるわけにもいかない。


「あの、それで。ギルドから紹介されてきたんですが」


「依頼?」


「そうです、受けていただけますでしょうか?」


「そもそも内容を聞かないことにはなぁ。それにしてもギルドも面倒なことをはじめたよな、依頼主の方を逆に派遣するってのは」


 ギルドの依頼というのは通常、ギルドにある張り紙などを冒険者の方で確認してどの依頼を受けるのか決めるものだ。


 しかしここ最近、ギルドは新しい試みを始めた。それがこの、依頼に応じて相性の良い冒険者をギルド側で斡旋あっせんするというもの。


 こうすることによって、張り出されたまま誰も受けない依頼をなくすことができるということだが……。


「そもそも俺は反対だったんだよな。それをシャネルのやつが、自分たちで仕事を探さないで良いぶん楽だって言って。なあ、あんたに聞くけどこの依頼、嫌だったら断っても良いんだよな?」


「もちろん良いですけど、ギルドの評価が下がるらしいですよ」


 少なくともレオンくんはそう聞かされた。


 この斡旋システムはできるだけ冒険者の人たちにもメリットがあり、かつ依頼の遂行が可能なレベルのものを選んでいる。そしてもしも依頼を拒否した場合ギルドでの評価がいちじるしく下がるので、そうそう断られることはない、と。


「ギルドの評価なんて気にしたことないなぁ……。でもまあ、とりあえず依頼内容だけ。つまらなさそうだったら断るぞ?」


 男は窓際から立ち上がる。


 すると、思ったよりも身長が高いことに気づいた。体つきは細そうに見えるが、よく見れば筋肉が引き締まっている。


 壁際にかかった棒状のものを手に取ると、それを腰にくくりつけた。


 ――あれは剣だろうか? レオンくんは日本刀というものを知らないので、その細身の剣がレイピアのような武器であると思った。


「それで? あー、そう言えば名前をまだ聞いてなかったな。名乗ってもいないし」


 男は壁際におかれていたワインのコルクを抜く。


 飲むかい? と、いうような仕草をする。


 喉がなった。


 アルコールなんてここ最近、飲むような余裕はなかった。けれどレオンくんはアルコールがむしろ好きなくらいだったので、機会があれば飲みたいと思っていたのだ。


 さきほど、ロドルフに会ったときはやっとその機会が巡ってきたと思った。


 けれどそれはご破産になった。


「あ、あの。じゃあお願いします」


「よし来た。あんまり1人で飲んでるとシャネルに怒られちゃうからな。客が来てたって言えば言い訳になるってもんだ」


 さきほどからシャネルという女性の名前がちらほらと出てくるが、恋人かなにかだろうか?


 コポコポとコップにワインが注がれる。


「先に言っておくけど安物だぞ」


「そっちのほうが飲み慣れてますよ」


「あんた、面白いこと言うな」


 男はまったく面白くもなさそうだ。


 辛気臭い顔で椅子に座り、あおるようにしてワインを飲む。


 たぶんもともと少し酔っていたのだろう、頬が少しだけ赤い。けれど酔って正体をなくすようなタイプではないらしい。


 レオンくんも一口、ワインを飲む。


 たしかに安物のワインの味がした。


 けれどべつに目の前の男が自分と同じ貧乏人というわけではないだろう。着ている服も上等なものに見えるし、壁にかかったジャケットなどはいったい何フランするのか分からないほどだ。


 もっとも、お金がなくても服だけ上質なものをこしらえている人間などこのパリィには掃いて捨てるほどいるが。


「榎本シンクだ」


「えっ?」


 いったいなんのことか分からない。


「名前だ、あんたは?」


「ああ、名前ですか。あの、レオンです」


「レオンか、いい名前だな。格好いい」


「はあ、そうですか?」


 これまでの人生でそんなことを言われたことは一度もなかった。


 むしろレオンくんからすれば「エノモト」なんていかにも異国チックな名前のほうが格好良く思えるくらいだ。


「それで、依頼の内容は?」


「あの、俺いま付き合ってる女性がいるんです」


「へえ」


「グリゼットをやってる子なんですけど――」


「グリゼット?」


「あの、針仕事をしてるんです」


「お針子か?」


「そうです、その彼女なんですが……こんど結婚を考えていまして」


「そりゃあ良い、おめでとう」


 男――もとい、シンクはまたもや仏頂面で言う。このぶんならまったく祝福などしていないだろう。むしろリア充爆発しろ、なんて思っているかもしれない。


「なのですが、その……お金がなくて」


「ふうん。そういえばこんな言葉を昔聞いたことがあるぞ、貧乏が玄関から入ってくると愛は窓から逃げていくってな。悪いことは言わないから、金が無いのに結婚なんてやめておくんだな。楽しいんは最初だけさ」


「経験者は語る、ですか?」


 レオンくんがそう聞いた時の、シンクの顔ときたら。


 さきほどまでの仏頂面が嘘のように気まずい表情だった。


 そして一言、


「俺はまだ童貞だ……」


 と呟いた。


「あ、その……すいません」


「いや、良いんだ。それでそのお針子の彼女と結婚したいと? べつに俺は公証人じゃないぞ、ただの冒険者だ」


 このパリィには公証人と呼ばれる職業の人がいて、役所に提出しなければならないような資料のほぼ全てをこの公証人と呼ばれる人たちが作る。


 結婚とてその例外ではなく、むしろ神の御前に行くよりも前にこの公証人のところに行かなくてはならないくらいだ。


「あ、いえ。違うのです。あの、シンクさんに頼みたいのはそういうことではなくてですね。指輪の材料をとってきてほしいのです」


「指輪の材料?」


「はい、指輪というとどうしても高いものでして。知り合いに腕の良いアクセサリー職人がいるんですが、そいつに話をしたら材料さえあれば作ってくれるというのです」


「ふんふむ、それで?」


「しかし指輪の材料はパリィ郊外の危険な場所にあります。もしもモンスターに襲われれば、俺ではひとたまりもありません」


「なるほど、つまりはその材料を冒険者にとってきてほしい、と」


「そうです。お願いできますか?」


「報酬は?」


「あの、少ないんですが2エキューでどうでしょうか」


「すまないがフランで言ってくれないか」


 おかしなことを言う人だな、とレオンくんは思った。けれどシンクは見るからに異国の人だし、お金の価値をよく分かっていないのだろうと納得した。


「10万フランです」


「10万円か……相場が分からないな」


「あの、かなり安いと思います」


「あんた、正直だな。気に入ったぞ。でも悪い、いちおうシャネルに相談してからだ。ま、シャネルはこういうの好きだしな。たぶん良いって言うだろう」


「本当ですか!」


「おう」


「ありがとうございます! それで指輪の材料なのですがゴザンス山という場所でとられる花なのです」


「花? 花が材料って不思議だな」


「金属花と呼ばれるものなんですが、山頂近くにしか咲かないもので――」


「ふうん。ま、なんでも良いや。そこらへんはギルドでちゃんと聞くわ」


「そうですか。あの、では俺はこれで――」


「ああ、そのワインさ。なんなら持って帰ってくれよ」


「え?」


「あんまり美味しくなかったからな」


 シンクはそう言って仏頂面をしているが、たぶんそれは照れ隠しだ。


 この人は優しい人だなとレオンくんは思った。貧乏な自分に施しをくれたのだ。


「ありがとうございます」


 この人の持ってきてくれる指輪の材料ならば、きっと素敵な指輪ができる。レオンくんは根拠もなくそう思った。


「あんまり期待するなよ、しょうじき俺にもシャネルの考えてることは分からないからな。もしかしたらダメって言うかもしれない」


 けれど、たぶん大丈夫だろうとシンクは心配そうに続けた。


 それでもいいとレオンくんはペコリと頭を下げた。


 なんだか涙が出てきそうだった。人に優しくされたのは久しぶりに思えたのだ。たぶんそんなことはないのだろうけど。


 レオンくんは来たときよりも少しだけ軽い気持ちで家に帰るのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ