253 エピローグ1
イタリアって言ったらトマトだよなぁ~。
なんて、適当なことを考えながらみずみずしい野菜にかぶりつく。
「あ、朋輩。盗み食いですか?」
いきなり声をかけられた。後ろからだ。
「食っていいって言われたから食ってるんだよ」
孤児院の裏でアンさんが育てていたトマトが、収穫時になっていた。俺が想像する野球ボール大のトマトよりも少しだけ小ぶりだ。味も酸味が強い。けれど色は真っ赤だった。
「美味しいですか?」
「まあな」
お前も食べるか、と振り返りトマトを差しだそうとする。
――アイラルンは裸だった。
いや、厳密に言えば全裸ではない。下には布をかぶっている。しかし上半身はまったくの裸。胸を両手で隠しているが、おへそ周りはまったく隠れていない。
「朋輩、どうです?」
「ち、痴女だぁっ!」
俺は混乱してトマトを投げつける。
アイラルンはそれを器用に片手でキャッチした。もう片方の手では胸をかくしているので大事な部分は見えない。
「ご褒美ですわよ、朋輩」
「お、お前バカなのかよ!」
俺は目を閉じる。とにかく早く上をかくしてほしい。
「ミロのヴィーナスってご存知です、朋輩?」
「そりゃあ知ってるけど」
たしか全長が2・17メートル。あれ、2・14メートルだったか? よく覚えてないけど。
「あんな感じですわ。どうです、美しいでしょ?」
「コスプレならよそでやってくれよ!」
「はいはい。せっかく頑張った朋輩にお胸を見せてあげようと思いましたのに。それとも童貞さんには刺激が強かったですか?」
「……お前、そのあおり気に入ったのかよ」
「あら、わたくし女神ですわ。そんな下品な言葉を気に入るわけがありませんわよ」
女神だったら下品なのは嫌い、ってのはよく分からないけど。
俺はゆっくりと目を開ける。
良かった、アイラルンはちゃんと上にも服を着ていた。というよりもなんだこの服は、胸元がぱっくりと開いた白いドレス。腰回りは金色の帯でしめられている。いかにも上品な、言っちゃ悪いが女神っぽい服。あくまでぽいだけ、コスプレか?
「で、なんできたんだよ。アイラルン。まさかトマトの盗み食いをとがめにきたわけじゃないだろ」
本当にアンさんに食べていいって言われたんだよ?
いろいろ感謝の気持ちを込めて、ってことでさ。なんせエトワールさんは教皇になったから。すごいよな、教皇って。いちばん偉い人なんだろ? もう雲の上の存在だね。
そのエトワールさんはいろいろ仕事で忙しいのか、孤児院には1度きただけでそれからずっと大聖堂にいるそうだ。
「わたくしも朋輩に感謝しておりますよ。ですので、トマトではなくメロンをプレゼントしたわけです」
アイラルンはさきほど俺が投げたトマトをかじる。さっき女神だから下品なのは嫌いみたいなことを言っていたわりには堂々としたかじりかただ。
「メロンって……」
もしかしてその胸?
たしかにデカいけど。
「それも2つもありますわ。食べてみられますか?」
「やっぱりお前、下品じゃないか?」
「おほほ」
アイラルンはからからと笑うと、いきなり真面目な顔になった。
「――朋輩」
「なんだよ?」
「本当にありがとうございます。貴方のおかげでわたくしの目標はたしかに達成まで近づきましたわ。これでこの世界の時間は確実に進まる」
「時間……ねえ」
俺はしょうじきアイラルンがなにを言っているのか分からないのだ。
「わたくしの目的はこの異世界の時間を進めること。そしてディアタナはそれを良しとしない。この世界はいつまでもいつまでもわたくし達の世界で言うところの近世で時間が停まっております」
「うん? でも、ルオの国はけっこう現代的じゃなかったか?」
モーゼルとかもあったし。だってモーゼル拳銃ってかなり工業的な製品だろ? どれくらいの時代かしらないけど、たぶん第一次世界大戦とかそのくらいの……。
「そうですわ。それも時間を無理やり進めた結果ですの」
よく分からないが……。
「もしも朋輩がいなければ、エトワールさんは死んでいたでしょう。そうすればアドリアーノさんが教皇になっていた。ディアタナの予定どおり」
「ディアタナの予定……」
「そうです、そしてそれには異教徒たちの全滅も含まれておりました。朋輩のおかげで私の信者たちは多数命を救われたました。それに関しても感謝の念しかありません」
「いつもは困ったファンみたいに言ってたのによ」
なんだよ、けっきょく自分の信者のことも大切に思っていたんじゃないか。
ま、それはシノアリスちゃんへの対応を見ても分かることだけどね。
「ここまでくれば、もう少しです。もう少しでこの世界の時間は進み始める」
「それで、最後はどうなるんだよ」
俺は聞く。
「最後?」
「そう、それでこの世界の時間とやらが進んで、お前になんかメリットでもあるのかよ」
「ありますわよ」
「良ければ教えてくれ」
俺もそろそろ、この女神がどうして俺のこと――あるいは俺たちのことをこの異世界に送り込んだのか知りたかったのだ。
「いいでしょう、ここまでこられたのは朋輩のおかげですので。あのですね、そうなればディアタが作り出したこの世界は無茶苦茶になります。そしてあの女神に一泡吹かせることができるのです」
「つまり?」
「わたくしは、わたくしの復讐のために朋輩たちを利用しております」
「お前なあ……」
それ、普通はもっと隠すもんじゃないのかよ。
それをなんだ、利用しているって。
おいおい、まあ――良いんだけど。
俺は笑う。
「分かったぜ、つまりは俺が好き勝手やればアイラルン。お前のためにもなるってわけだな」
「その通りですわ、わたくしたちって相性バッチリですわね!」
「やれやれ、まったくお前は女神なんだか邪神なんだから――」
「もちろん前者ですわ!」
食い気味に答えるアイラルン。言えば言うほど怪しいというやつである。
だとしてもまあ、俺はこの女神様を信じてここまでやってきたのだ。そして、これからも。
あと1人なのだ。
「それにしても火西のやつはどうしてあんなことになったんだろうな」
あいつだってもともとはアイラルンがこの異世界に送り込んだ存在。つまりはアイラルンの目的のために利用される男だったのに。
「それは簡単ですわ。そこもディアタナの妨害。朋輩にアンさんがあてがわれたように、あの火西さんというかたにも様々な妨害があったのでしょう。そしてあのかたはその妨害に屈した。もっとも、わたくしもどうしてディアタナがあんな小物を自分の陣営に引き入れたのかはわかりませんが……」
「戦力は多いほうが良いってことじゃないのか?」
「さあ? じつのところ、わたくしがこの異世界を邪魔しようとしているようにディアタナもこの異世界をそのままの状態で保持しようと様々な手をうっております。そしてその手はわたくしの考えるものとは違い、二手も三手も先を行っている……」
「つまりよく分からないと?」
「その通りでわ」
俺はトマトをもう1つもぎりとってかじる。
「ま、俺には関係のない話だな」
言い切る。
だってそうだろ? そんな女神と女神のケンカなんて俺にはまったく関係のないことだ。だって俺はこの世界でとにかく復讐をしていくだけなのだ。
「朋輩はそれで良いのですよ。それでは朋輩、さようなら」
「おう、じゃあな」
アイラルンは消えた。
きっとまた思い出したころに俺の前に姿を表すだろう。
あ、そういや今回は増えたスキルの説明していかなかったな。忘れてたのかな。
まあ、火西の持っていたスキルは『女神の寵愛~聴覚~』だというのは知っている。
これで俺は「触覚」以外の五感を手に入れたわけだが……。
耳をすませる。
「シンク~?」
と、可愛らしい声が聞こえる。シャネルだ。
俺はその声に微笑むのだった。




