251 ポイントオブノーリターン
たがいに攻撃が通らないように思われる間合い――。
しかし俺はモーゼルを抜きざまに撃つ。
完全に隙きをついたつもりだった。
だが俺のモーゼルの弾はメイスに防がれる。なんという反射神経か。そして驚嘆すべきは他にもある。あの重たそうなメイスを、目の前の武僧は軽々と振り回してみせたのだ。
「確認しておきますが、榎本さん。貴方はここを押し通るつもりですね」
慇懃な言葉だが、その裏にはどことなく怒気が含まれている。
「銃を突きつけられてから聞くってのもおかしな話だよな」
しょうじきなところ俺は戦いの最中に喋るのが好きではないのだが。
だがこの武僧とは因縁浅からぬ――と言えば少し違うが、知らない間がらではない。なにせこの男の兄弟と俺は少しの間パーティーを組んでいたのだから。
良いやつだった。
ヒクイドリに殺されたときのことはいまでも覚えている。
パーティーを組んでいたのはごく短期間だが、それでも本当に仲間だと思っていたのだ。
――だからどうした?
もし昔の俺だったならば、この状況でグチグチと悩んでいただろう。
仲間だった男の兄弟を殺しても良いのか、と。
だがいまの俺は違う。
完璧にバランスを崩した男だ。目の前の男を殺めることに躊躇はない。
「そういえばあんた、名前を聞いてなかったな」
俺はふと思い立ちたずねてみる。
べつに知らなければならないことでもないが、名前も知らない相手を殺すというのもおかしな話に思えた。
俺はバランスを崩しただけであって、殺人鬼ではないのだ。人を殺すことに快楽を覚えているわけではない。
「異教徒に名乗る名などありませんよ」
「俺が異教徒か」
ひどい決めつけだ。
思わず笑ってしまう。
「兄は私と違い武に生きました。あるいはそれは生臭い行為だったかもしれません。しかし、僧にその身を捧げる私には分かります。榎本さん、貴方からは因業の臭いがする!」
「どうだかね――俺がアイラルンの信者なんじゃなくて、あっちが俺のことを好きなだけかもしれないぞ?」
もうこれでお喋りはやめよう、そう思った。
相手も同じ考えなのだろう、メイスを構える。
さて、どう動くか。こちらから攻めるのもありだが――しかしその思考の間に、男は動きだした。メイスを振りかぶり、こちらに向かって投げつける。
縦方向に回転したメイス、俺はそれを楽々と避けた。
――どういうことだ?
わざわざ自分の武器を手放した、意味が分からない。
だが次の瞬間、背後から猛烈な嫌な予感が迫ってきた。
俺は無理やり体をよじらせ、倒れ込むようにしてその場を移動する。
風切り音。
回転したメイスは俺の元いた場所をすごい勢いで通り過ぎていった。
「ほう、避けましたか」
なぜ背後からメイスが戻ってきたかは分からない。ブーメランのように戻るのとは軌道が違う。おそらく魔法かなにかだろう。
男がもう一度メイスを投げてくる。
ワンパターン。タネが割れてしまえば恐れることはない攻撃だ。
投げられたメイス、その質量を俺の手持ちの武器で迎撃することはできない。なので避ける、そして背後を振り返り――。
俺の背後ではメイスが中空で停止していた。まるでトンボが中空で停止するように。しかし回転だけは続いている。
それがいきなり勢いづいてこちらに飛んでくる。
大したことはない、よければ良いだけだ。こういうのを芸がないというのだ。
男がメイスをキャッチする。
――さっさと終わらせるか。
そう思い、俺は歩き出す。
間合いをつめる。
まるで水の流れのようにゆっくりと。
俺の歩みはまるで無防備に見えたのだろう。男はメイスを振り上げた。
「覚悟――!」
振り下ろされるメイス。それを紙一重でかわす。
相手からすればかわされたというよりも当たるべき攻撃が当たらなかったという感覚だろう。
驚愕に見開かれる目。
俺は無感情で目を合わせる。
だがそれも刹那。
逆袈裟に刀を振る。
腰から肩にかけての一閃。
妙な感覚がした。
たぶん魔法の防壁のようなものが張られていたのだろう。しかし俺のクリムゾン・レッドはそんなものを物ともせずに切り裂いた。
肉がそげる。
終わったな、と確信する。
俺は距離をとる。吹き出す血をあびないために。
「うっ――があっ!」
男は最後のちからを振り絞ったのだろう、横薙ぎにメイスを振ってくる。
あたれば痛そうだ。あたれば、の話だがね。
すごい覚悟だな、と俺は感心した。火西のためにここをどうしても死守するつもりだったのだろう。それにしてはたった独りで防衛していたというのは迂闊だったが。
男は何かを言っている。
呪詛の言葉か?
神への祈りか?
面倒になった俺はモーゼルを2発、男の顔面に撃つ。まるで顔にできたニキビがはじけるように、汚い液体を吹き出して頭がはじけとんだ。
「あーあ」
俺は顔をしかめる。けっきょく血をあびることになった。
洗濯したら落ちるだろうか? せっかくシャネルに新しく用意してもらったのに。
「なあ、あんた――」
俺は顔のなくなった死体に言う。
「――俺の目の前に来なきゃ、あんたも死ななくてすんだんだぜ」
それは、不器用なりに俺の手向けの言葉のつもりだった。
べつに申し訳ないとも思わないが。
――ポイント・オブ・ノーリターン。
そういう言葉がある。
それ以上進めばどうやっても元の状態に戻ることのできない地点のことだ。
このさきに進めばもう戻れない。俺は教皇と呼ばれる男を殺すことになる。
だからどうした?
目の前にある巨大な扉。
この先には大聖堂の聖堂たる部分がある。
力を入れて扉を開ける。
もう戻れない地点を超える。
ドクン、と心臓が鳴った。
緊張しているのか? なにを今更。
聖堂には外からの光が差し込んでいて、電気もないのに周囲が輝いて見えるほどに明るかった。
奥に見えるディアタナとやらの偶像。地面まで髪が届くほどに長い女性の像。それに向かってひざまずき、熱心に祈りを捧げている男が1人。
耳が聞こえない男だ、俺が入ってきたことにも気が付かないだろう。そう思ったのだが、男――火西はゆっくりと振り返った。
薄く濁った目は、期待に満ちた目で俺を見つめていた。
気持ちの悪い目だ。
俺は最初の言葉を選べないでいた。なんと声をかければいいのか?
悩んでいるうちに、あちらから口を開いた。
「やっと来てくれましたね――」
その言葉に俺は怒りを覚える。
やっと来てくれた? まるで俺のことを待っていたかのような物言い。
「そういう言葉は、美少女に言われたかったぜ」
俺は怒りを押さえつけるためにも、できるだけ軽くこたえる。見方によってはイキったセリフを吐くのだった。




