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250 最期の演説、そして――


 アドリアーノの演説が始まった。


 投票前の最後の演説だ。


 けれどこの行為にはあまり意味はない。ここに集まっている人たちは全員、もうどちらの候補者に投票するかなど決めているのだ。


 そしてそれは全員の前で話をしているアドリアーノにだって分かっていることだ。


 ともすればそれは自身の意見を主張する場ではなく、どこか懇願こんがんめいた情けのない言い訳をする会場のように思えた。


 広場に顔を並べた聖職者たちはどこかしらけた表情でアドリアーノの演説を聞いてる。


 最初こそ虚勢をはってなんとか演説をしていたのだが、それが中盤に差し掛かるころには声も小さくなり、まばたきの回数も増え、口調に自信がなくなっていった。


 魔法で作られたスクリーンに映る表情もあきらかに青白く、誰の目から見えてもこの男が新しい教皇に相応しいとは思わなかった。


「人の生活を無茶苦茶にしておいて、自分だけは教皇の座につこうなんてムシの良い話なんですよ。ざまあみろです。うふふ……」


 シノアリスちゃんが悪い笑い方をする。


 そういう笑い方、悪役しかしないよな。どうでもいいけど。


「なんにせよもうあの男に求心力は皆無だわ。シンクのおかげ」


「べつに俺は自分のやりたいようにやっただけさ」


 それがたまたまエトワールさんの助けにもなった、というだけ。


 いや、そもそも俺がやったことはエトワールさんの助けになったのだろうか? エトワールさんはそんなことを求めていないと思うのだが。


「お、演説終わったぞ。次はエトワールさんか」


 本当はもっと候補者がいたのだけど。それらは全員死んでしまった。


 もしかしたら、その候補者が残っていればエトワールさんはいまほど票を集められなかったのかもしれない。票が割れて、最大勢力だったアドリアーノが難なく教皇になっていたかもしれない。


 そうなればアドリアーノは焦ることはなく、わざわざカタコンベに住む異教徒たちを皆殺しにしようともしなかったかもしれない。


 そう考えていけば、異教徒の人たちも自業自得である。


 そして、そのおかげでやはりエトワールさんは教皇になれる。様々な偶然が重なって今、エトワールさんは壇上に立つのだった。


 なんというか、壇上に立つエトワールさんは格好良かった。


 堂々としていながらも、しかしいつも通りの柔和な表情は崩さない。


 まるで孤児院の子供たちに説法でもしてやるような調子で、エトワールさんは口をひらく。


「皆さん、今日はコンクラーベの日ですね――」


 そんなこと、ここにいる全員が知っていた。


 なにやら魔法で拡張されたエトワールさんの声に、クスクスと笑い声がおこる。それだけで、一瞬にしてここにいる人々の心をわしづかみにした。


「――決まりだな」


 と、俺はしたり顔で言う。


「べつにもともと決まってたわよ、シンク。こんなのセレモニー。いちおう演説をしなくちゃいけないからしてるだけでしょ?」


「ま、そうだな」


 エトワールさんの演説は、カタコンベに住んでいた異教徒のことにも触れた。


「――先日の異教徒たち住処すみかでおきた痛ましい事件のことは、まことに残念でした」


 それは、そこで戦った武僧たちへの哀悼あいとうか。


 それとも異教徒たちへの哀悼か。


 どちらとも判別はつかず、もしかしたらそのどちらともなのかもしれない。俺はエトワールさんという人の全てを知っているわけではないけれど、エトワールさんがそういう人だということは知っている。


 誰にでも優しさを持つ、真に博愛たる心を持った聖職者。


 素晴らしい人。


 俺とは大違い。


 ははは、俺はかわいた笑いを浮かべる。


「なあ、シャネル」


 と、シャネルの大きな胸を見ながら言う。


「なあに?」


「行ってくるよ」


 そう言って、俺は広場から大聖堂の方へ向けてこっそりと歩き出す。シャネルはなにも言わずに俺の肩を撫でるように叩いた。


 たぶんそれがシャネルのエール。


「あれ、お兄さん?」


 目ざとく、というかシノアリスちゃんが俺についてこようとする。


「ダメよ」


 けれどそれをシャネルが止めた。


 ありがとう、シャネル。


 俺は空に薄くかかったような、魔法の防壁を見る。薄い、薄い防壁。これのせいで、この前は火西のことを狙うことができなかった。


 俺はいままで、自分の目的を誰にも言っていなかった。


 どうしてエトワールさんを護衛したのか。自分がやりたいのだからやるのだとうそぶきながら。


 しかしそれは全てこの時のため。


 防壁の内側に俺はいる。


 いま、俺を邪魔する者は誰もいない。


 行くぞ、火西。首を洗って待っていろ。


 俺はこの日、この時のために、ここまでやってきたのだ!


 大聖堂の中へなんなく入る。


 みんなエトワールさんの演説に夢中なのだ。それに集中している人たちは俺の存在など米粒、まるでそこらを歩き回るネズミのようにしか思わないかもしれない。


 それで良いのだ。


 そして俺はその間に火西を殺す。


 火西がこの演説を中から見ていることは知っていた。


 俺は大聖堂の中を歩いていく。誰もいない。


 広い、広い教会の通路。まるでお城のようで。


 コツン、コツン、コツン。


 靴の音。いちおう靴もシャネルに新しいのを買ってもらった。シャネル好みの編み上げのブーツ。俺はこういう靴が好きじゃない。なにせ履くのが大変だからな。


 でもまあ、格好いいとは思うけど。


 誰もいない廊下だと思ったけれど、俺の行く先に1人の男が立っていた。


 禿髪とくはつ――つまりはハゲ頭の男。


 その男の顔には見覚えがある。もっとも、半分はその男本人ではなくその双子の兄弟なのだが。


「おや、これは榎本さん。どうしましたか?」


 男の手にはメイスが持たれていた。


 棍棒、とは少し違う。頭のぶ部分にトゲトゲのついた、打撃武器だ。


「どうもこうも――」


 俺は臨戦態勢に入る。


 この男はあきらかに俺が来るのを待っていた。


 分かるさ、それくらい。『女神の寵愛』の第六感などに頼らなくても。いまの俺になら殺気の一つくらいは手にとるように分かる。


「この先には教皇様がいます。通させませんよ?」


「教皇? それもすぐに過去の称号になるさ」


 俺は刀を抜いた。


 戦闘開始だ。


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