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247 シャネルの冗談


 嫌な夢から覚めた。


 ったくよ、昔の夢とか最低だよな。引きこもりのときは夢なんて見なかったのにな、どうしてここにきて夢なんて見ちゃったかな?


 そんなこと考えてみても分からないんだけど。


 俺はベッドに横たわっていた。


 見慣れない天井――なんてのはよく聞く、いうなれば月並みな表現。


「あら、起きた?」


 シャネルの声がする。


「起きた」と、俺は言う。


 体を動かしてみようとするが、やっぱりまだ痛い。


 でも生きていた。


 良かった、死んでいない。


 なんでもいいけど俺、真っ裸だな。


 見れば部屋のすみのほうに俺の聞いてた服がぞんざいに置かれていた。血だらけで、もうボロボロだからな。あのまま捨てるのだろう。


「どこか変なところはない?」


「変ねえ……そういや右肩。動くな、普通に」


 俺はなんとか体を起きあげて、肩を見る。皮膚の色が他と少し違う。肌色というよりも桃色に近い。傷一つない肩だ。真新しい体。寝ている間に再生したのだろう。


「私が魔法で治してあげたのよ」


「ほうほう、そりゃあありがたい」


 本当かな? たぶんこれ、俺のもともとの治癒力じゃないか? あ、でもテーブルの上にポーションの空き瓶がたくさん置かれている。本当に俺のために水魔法をたくさんかけてくれたのだろう。


「なんでもいいけどポーションって何からできてんだよ」


 あきらかにおかしいだろ、あの飲み物。


 飲むだけで体力が回復して、魔力も回復して、ついでに二日酔いにだって効果てきめん。いやはや、素晴らしい飲み物だぜ。


「魔片よ」


「えっ、魔片っ!?」


 それってあれか、ルオの国でティンバイがやっきになって取り締まっていたあの魔片か? 粉末状にして吸引したら高揚感とかが得られて酩酊感と多幸感もオマケされるという……。


 麻薬と大差ない、あれ?


「あら、知らなかったの?」


「し、知らんよ……そんなの。おい、飲んで大丈夫なのか?」


「ちゃんとポーションに調合されてれば大丈夫よ。魔片のままで体内に入れるとそりゃあ大変だけどね」


「う、うむ」


 薬も過ぎれば毒となる、というやつか? いや、この場合は逆かもな。


「いまリンゴをむいてるから」


 シャネルはベッドのわきに座って、柄にきれいな装飾のほどこされたナイフでリンゴの薄皮をむいている。


 料理が苦手なシャネルさんだが、こういう下準備とか包丁さばきみたいなのは得意なのだ。


 でもそのナイフ、どこかで見た気がするんだけど。それ、モンスター相手に投げてませんでした? 怖いので詳細は聞かないが。


「はい、むけた」


「ありがとう」


「誰もシンクにあげるなんて言ってないわ。これは私が食べるのよ」


「えっ?」


 シャネルはリンゴを6等分に切り分けた。そしてそのうちの一つを細い指でつかむと、俺の口に突っ込んできた。


「むぐっ……」


「冗談よ。はい、あーん」


「もう入ってる、遅いよ言うのが」


 ゴリゴリ、とリンゴを咀嚼そしゃくする。


「おいしい?」


「リンゴの味だな」


「それってつまり?」


「美味しいよ。というかシャネルが冗談言うなんて珍しいな」


「そうかしら? 私、自分ではひょうきんな女だと思っているのだけど」


「それも……冗談?」


「ええ、もちろんよ」


 分かりにくい!


 真顔で冗談言うのやめてもらえませんかね!


 ある意味シュールだよ!


「やれやれ……」


「ふふん、面白かった?」


 少しだけ、シャネルは笑っている。


 面白いかどうかとかよりも、美しかった。


 俺は照れてそっぽを向く。


 まったくひどいこじらせ方だ。こんなずっと一緒にいるのに、そのシャネル相手に照れる? 極まってるな、童貞。


「つーかさ、俺いったいどれくらい寝てたの」


「丸一日よ」


「優雅な休日だぜ」


 丸一日か。


 ちょっと待って、丸一日ってどれくらい?


 24時間って意味か?


 じゃあ今はまた夜か? いや、窓の外は明るい。さっき知らない天井なんて言ったけど、ここはいちおう俺たちにあてがわれた孤児院の部屋だ。


「なあ、シャネル――」


「なあに?」


「いや、なんだろうなぁ……」


 とりあえず体は大丈夫。本調子ではないものの、だいたい治ってる。


 ここまで来るのにさぞシャネルも大変だっただろう。感謝感謝。でもそれを伝えるのがなんだか気恥ずかしくて。


「そういえばシンク、毒は大丈夫?」


「え?」


「あのモンスター、ポイズンウルフよ。昔お兄ちゃんに聞いたの、キバに毒があるって」


「俺、噛まれたんですけど」


「そうね。そして摘出されたキバはあそこにかかってるわ」


 いやいや、象牙じゃないんだからさ。壁にかけておくのやめましょうよ。つうか、摘出?


「ど、どうやって?」


「ナイフで」


「人体解剖じゃねえか!」


「大丈夫よ、ちゃんと治ったでしょ。それに昔シンクが言ったとおり、ナイフは最初に火であぶっておいたから」


「本当に大丈夫かよ……」


「で、毒は?」


「いや、あんまり感じないけど」


「そう、なら良かったわ。あんまり解毒の魔法って使ったことなかったから成功するか心配だったのだけど、たぶん愛の奇跡ってやつね」


「安い奇跡だなあ……というかアンさんに頼めば良かったのでは?」


「ダメよ、私がやりたかったの」


 それで俺が死ねば元も子もないのだが……。


 まあ結果オーライである。


 俺はじっとシャネルを見つめる。でかい……なにがとは言わないがでかい。


「なあに、やらしい視線」


「嫌か?」


 自分でも素晴らしい返しだったと思う。


 だけどこれを言うためだけに、かなり緊張した。


 ――嫌か?


 これで拒否されたら、俺はたぶん死んじゃう。


「嫌じゃないわ、当たり前じゃない。見たいならどうぞ、好きな人に見られるのって照れくさいけれどね」


「――そ、そうか」


 なんでこの娘はこんなにもストレートなのだろうか。


 俺はいつまでも素直になれないのに。


 好きな人に見られるのが恥ずかしい? 好きな人を見るのだって恥ずかしいに決まってるだろ。


 さて、いい雰囲気である。


 キスでもするか?


 はは、できるわけない。こちとら天下御免の童貞将軍だ。


 なーんて思っていると、トントントン。部屋の扉がノックされた。


「誰か来たぞ」


「邪魔者ね」


「誰かも分からないのにそんなこと言うか、普通?」


「分かるわよ」


 断定するシャネル。


 同時に聞こえる声。


「あの、シャネルさん。シンクさん、目を覚ましましたか?」


 アンさんのものだ。


 なんだかずいぶんと久しぶりに声を聞いた気がする。


「アンさんだな」


「泥棒猫、もとい負け犬」


 うん? なんの話でしょうか?


「あの……シャネルさん?」


 どこか不安そうな声。


 シャネルはそれに答えた。


「覚ましたわよ、目」


「本当ですか!」


 すっごい嬉しそうな声。


「嘘ついてどうするのよ」


「あの、開けていいですか?」


「ダメよ」


 なんで?


 俺はシャネルの胸から目を離さずに聞いてみる。


「意地悪するなよ、扉くらい開けてやれ」


「イヤよ」と、シャネルは少し小声。


「なんで?」


 わけがわからない。


「だって……シンクと2人きりが良いから」


 はい。


 死にました。


 俺、いま、死にました。


 そして生き返りました。


 そうか、俺と2人きりが良いのか。思わず頬がニヤける。そうかそうか、シャネルは俺と2人きりが良いのか。


 俺もだよ!


 シャネルがベッドの上の俺を抱きしめる。


 俺は恥ずかしくて抱き返すことはできない。


 それでもいまここに――俺は幸せだった。



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