240 甘えるシノアリス
「あ、あの。お兄さん。シャネルお姉さんは?」
「シャネルお姉さんは留守番、今日は俺だけだ」
シノアリスちゃんを落ち着かせるために俺はゆっくりと話す。
シノアリスちゃんは先程からメソメソと泣いている。
昔は儀式に使われたのだろう、少しだけ高くなった祭壇に腰掛けている。まだまだ立ち直るには時間がかかりそうだ。
男というのは総じて女の涙に弱いもの。童貞である俺だってその例外ではない。
さてさて、どうにかして泣き止んでほしいのだが。飴ちゃんでも持ってきていれば良かった。
「それでシノアリスちゃん、さっきから時間がないって言ってたけど大丈夫なのか?」
「……大丈夫じゃないです」
「いったい何があったのか知らんが、俺からも伝えたいことがあるんだ。シノアリスちゃん、早くここから逃げるんだ。今晩、ディアタナの信者たちがここを殲滅しに向かってくる」
シノアリスちゃんが顔をあげた。目が赤い。
どうしてそれを? という表情をしていた。
「お兄さん……本当に私を助けに来てくれたんですね」
「だからさっきからそう言ってるだろ」うん? もしかしてこの様子は……。「なあ、知ってたのか」
「知っています。それでいま、私たちは急いで逃げる準備をしているところなんです」
「なんだ」
わざわざ伝えに来て損した。
とまでは言わないが。
たぶん余計なお世話だったわけでもないだろう。だってこんなに泣いているシノアリスちゃんを俺いがいに誰も慰めていないんだから。
「今朝がた、匿名で私たちのもとにタレコミがありました」
「ふうん」
俺じゃないぞ?
でもだとしたら誰だろう。優しい人もいたもんだ。
「ま、なんにせよ逃げなくちゃいかないって分かってるならそれで良いさ。行こう」
シノアリスちゃんの手をひこうとする。
でも、シノアリスちゃんはその場に座り込んだままで動かない。
「ダメです」
「ダメ?」
「私は逃げられません。ここにいる信者の方々を逃がすまで、私が逃げるわけにはいきません」
なるほど。
「キミは教主だものな」
「……はい」
やれやれ。
まあシノアリスちゃんの言うこともよく分かる。そりゃあ責任者なのだ。逃げるわけにはいかないよな。
ならば俺のすることはただ一つ。
「しょうがない、やれるだけやろう。手伝うよ」
「で、でもお兄さんは私と敵対する立場ですよね?」
「だからなんでさ。そっちが一方的に言ってるだけだろ」
「だって、エトワール……さんの味方をするんでしょ?」
お、偉い。ちゃんと「さん」をつけた。
ご褒美に頭を撫でてやる。けっしてやましい気持ちではない。
「味方するよ、だって俺はエトワールさんに死んでほしくないからな」
「……むうっ」
「だけど、火西には死んでもらいたい。つまり俺たちはその一点においてはまだ手を結べるわけだ」
「カシィ教皇は、殺したい? それって矛盾してませんか?」
「なにがだ? なあ、アイラルン。俺いま変なこと言ったか」
「言ってませんわ、朋輩」
「……お兄さん。頭大丈夫ですか?」
あ、まずい。アイラルンの姿はシノアリスちゃんにも見えないんだった。
と思ったら、シノアリスちゃんは目をパチクリさせる。
「どうした?」
「えっ? あれ……そこにいらっしゃるのは、もしかして?」
アイラルンは微笑んでいる。
2人は目を合わせている。
あれ、もしかしてこれって……。
「シノアリスさん。貴女はよく頑張っておりますわ」
アイラルンが手をだした。
シノアリスちゃんは慌ててひざまずき、その手に接吻をする。
あ、見えてるね。これ見えてますね。すげえ、アイラルンのこと見える人はじめて会ったよ。さすがはアイラルンのファン筆頭。いや、信者のトップ。
「ア、アイラルン様。いらっしゃるとは存じず、失礼をいたしました」
「良いのですよ。わたくしはただ朋輩について歩いていただけですもの」
「ほ、朋輩?」
「あ、それ俺」
「お兄さんが、アイラルン様の朋輩? もしかして……お兄さんって」
すごい人、とでも言われるかと思ったら、
「よっぽど因業な人なんですね」
「う、うん」
まあそうね。
俺ほど不幸な人もいないよ。うん。
あ、いやそんなことないから! 俺より不幸な人間なんてきっとたくさんいるよ! 俺はまだ幸せなほう。幸せ幸せ。これあんまり言ってると逆に辛くなってくるよ。
不思議だよね、幸せと辛いなんて棒一本の違いなのに。
「シノアリスさん。貴女は本当に頑張っております、自らを犠牲にして信者を守る。わたくしの信者の中でも奇特な、とても清らかな心を持った少女です。だからこそ貴女が教主に選べれたのかもしれませんわね」
「そ、それは買いかぶりです……私はただ人を導けたのではなく、ただただ因業だっただけで」
「大丈夫。貴女よりも因業な人間がここにいますわよ」
ん? それ俺のことか?
「お兄さん……」
「ま、そういうことだ。だからそんなに泣くなよ」
「べ、べつにそれで泣いてるわけじゃないです。というか泣いてません!」
いや、泣いてるだろ。
まあいいや。そうやって強気に見栄を張る人は好きだよ。女であれ、男であれ。
「いいですか、シノアリスさん。わたくしは貴女に伝えたいことが一つだけあります」
「はい、アイラルン様」
「貴女はこのような場所で死ぬべき人ではありません。しかし信者の方々も助けなければなりません。そうでありましょう?」
「はい」
「ですので、ここにいる朋輩に思う存分に甘えてくださいまし。朋輩ならば、貴女の望みを叶えそして生き延びることもできるでしょう」
「分かりました、アイラルン様」
「それではお2人とも。わたくしはそろそろ行きますわ。朋輩――」
「おう」
「シノアリスさんをよろしくお願いします」
任された、と俺は手をグーにしてあげる。
アイラルンは中々にノリが良い。その手に自分の小さくてキメやかな手をコツンとぶつけてくれた。うふふ、と笑いながら、そして次の瞬間には消えていた。
広い空間には俺とシノアリスちゃん、因業の信者だけが残った。
「まさかお兄さんがアイラルン様とそんなに親密な関係だったとは」
「べつに俺とあいつに蜜月の関係なんてないからな」
俺はシャネル一筋なのだ。たぶん、あるいは、おそらくね。
「うふふ、お兄さん」
シノアリスちゃんはもう泣いていなかった。
「なんだ?」
「アイラルン様にああまで言われたのですから、たくさん甘えさせてもらいますね」
そう言って、何をするかと思えば俺の腕に自分の腕をからめてきた。
小さな、ふわりとした豆腐のような感覚。胸? シャネルのように巨乳じゃないから集中しないとその感触が分からないけど……。
いやいや、集中するなよ俺。
セルフでツッコミをしてしまう俺。
「お、おいシノアリスちゃん。ちょっと離れてくれよ」
「ダメですよ。いまだけは私が貴方の隣にいるんですから」
まったくもって真剣な目をしている。
おいおい、こんな目をされたら答えるしかないじゃないか。
「お兄さん、頼みますよ。私を助けてくれるんですよね」
「あ、ああ」
「はっきり言います、切羽詰まっております。お願いしますよ、本当に。お兄さんだけが――私を助けてくれるのですから」




