233 襲いかかる殺し屋
夜の闇に囲まれて、俺は目を覚ました。
猛烈な嫌な予感。
それは冗談ではないほどの恐ろしさとなって俺を襲う。焦燥感に似たその感情に俺の心臓は悪い意味で高鳴っていた。
――虫の知らせだ。
それに気がついたとき、俺はベッドから飛び上がった。
「……どうしたの?」
シャネルの声が闇の中に浮かび上がる。
そもそも起きていたのか、それとも今まさに起きたのか。それはどちらとも判別できないが、シャネルの声は明瞭だ。
「嫌な予感がするんだ」
「嫌な予感がするんだ?」
シャネルは俺の言葉を反芻するようにつぶやく。
「たぶん、敵が来た。エトワールさんを狙って」
「ふん、シノアリスの手先ね」
「だろうな」
シャネルが杖から明かりを灯す。基本的に大雑把な攻撃魔法しか使えないシャネルだが、明かりをつけることくらいはできるのだ。
シャネルの白い肌を間近で見て、俺は息を呑みそうになる。ときどき、ふとこういうことがあるのだ。シャネルの美しさに目を奪われることが。
っていうか、そんなことに見とれている場合じゃない。
「行くぞ」
「そうね。いちおうそのために私達はここにいるのだしね」
「そういうことだ」
シャネルがベッドからはいでる。
いちおう、今日のシャネルは俺の方のベッドに潜り込んでいない。最近はあまり俺のベッドに潜り込んでこないシャネルである。なんでだろうか、とちょっと寂しく思ったり。
いや、潜り込んでこられても手なんて出せないんですけどね。
というか……なんでこの人、裸で寝てるんだ?
裸族なのか、ねえ裸族なのか?
俺は思わず目をそらす。
「なあに?」
けれどシャネルは俺を追い詰めるように聞いてくる。
「な、なにも言ってないだろ」
「そう。でも何か言いたげだったから」
「服を着ろ、服を」
俺はぶつぶつと答えながら、自分は腰に刀を指し、ふところにモーゼルを仕込ませる。準備準備、と緊張を誤魔化す。
「……だって、シンクが潜り込んできてくれるかと思って」
「はいっ!?」
なんだ、つまりはあれか。俺の方から手を出すのを待っていたので、全裸待機していたということか?
えー。
それ先に言ってよ。そしたらちゃんとこっちからアプローチしたよ(言ってるだけで本当にはできません)。
「とりあえず私、服を着るから先に行ってて」
「お、おう」
なにせ女の準備は長いからな。
廊下に出て、目を凝らす。暗闇に目がなれるまではまだ少し時間がかかりそうだ。
――しょうがない。
俺は『女神の寵愛~視覚~』のスキルを発動させた。これはなかなかに魔力の消費が激しいからやりたくないのだが背に腹は変えられない。
「なかなかどうした、よく見えるじゃないか」
というよりも見えすぎるくらいだ。なんだか気持ちが悪い。あんまりにもよく見えて、廊下の済にあるホコリの一粒ひとつまでが見えているのだ。
「戸締まりは……ちゃんとしてあるよな」
とはいえ、すでに孤児院の中に侵入されている可能性もある。こうなれば――。俺は視覚のスキルに続けて『女神の寵愛~嗅覚~』のスキルも発動させる。
様々なニオイが備考を突き刺すように感じられる。頭が痛い、たぶん脳の処理容量を越えているのだ。
それでも、おかげで分かることがあった。
血の臭いがする。しかも外から――。
「殺し屋が……染み付いた臭いは隠せないんだろうな」
嗅覚のスキルはすぐに切った。
これ以上使い続けると頭が爆発しそうだったからだ。それに魔力だってどんどん減っていくし。
俺は孤児院の玄関から、ゆっくりと外に出る。
時刻はどれくらいだろうか、たぶん丑三つ時。孤児院の人は全員眠っているはずだ。
「ははっ」
俺は空に浮かぶ月に笑いかける。
大聖堂から帰ってくるときは満月だった月は、なぜか欠けていた。まるでもう俺を見ていないかのように。
どうでも良いさ。
俺は刀に手をかける。
「出てこいよ」
と、姿も見えない殺し屋に言う。
とはいえ、俺は知っていた。
敵はおそらく4人――。血の臭いは四方八方からしていた。だが、どこからともなく動く気配は4つだ。
たしかシノアリスちゃんが雇った殺し屋は5人いた。そして1人がアドリアーノの暗殺に失敗して逆に殺された。つまり、ここには残った4人全員が集まっていることになる。
シノアリスちゃんは本気でエトワールさんを殺すつもりなのだ。俺が守っていると知っていても。
「悪いが、知り合いだとしても――」
ここでエトワールさんを殺させるわけにはいかない。
あの人は教皇になって、そして狂った教皇庁を変えてもらいたいのだ。俺はべつにディアタナとかいう女神を信仰しているわけではない。けれどエトワールさんが教皇になれば人々の暮らしはもっとよくなるはずだ。
だからこそ、殺させるわけにはいかない!
2方向から、なにかが急速に接近してきた。
かわすか?
いや、俺は迎撃することを選ぶ。
刀を抜き放ち、まずは右から。暗闇の中で飛び上がり、こちらに向かってくるそれ。タイミングを合わせて切りさいた。
俺の頬をなにか鋭利なものが駆け抜ける。
切り裂いた瞬間、絶命したそれは、人間の形をした獣だった。俺の頬を切ったのはその獣の爪だろう。
左から、同じような獣が襲いかかってくる。
「ぐあぁッゅ!」
わけのわからない雄叫び。
たぶん、同胞を殺されたことに腹を立てているのだろう。
知るかよ。
俺は巨大な爪の一撃を紙一重でかわす。獣の体が伸び切ったところで横薙ぎに胴体を斬る。上半身と下半身が真っ二つになって、獣はそのまま動かなくなった。
たぶん、チーターかなにかと人間の間の子。いわゆる亜人というやつだろうか。それにしてはローマやミラノちゃんよりは獣くさいが。
なんにせよ一瞬で2人、あるいは2匹の殺し屋が片付いた。
さてさて、残るはあと2人――。
そう思っていると、真正面からやってくるバカが1人。
女だ。
「うっふーん」
なんて、いかにもな感じで俺のことを誘惑してくる。
こまった、こちとら童貞だぞ。
なんだあの格好、痴女か? 痴女なのか。なんでそんな体にフィットするレオタードみたいな服を着てるんだよ、それ私服ですか?
でも大丈夫、さっきまでシャネルの裸を見ていた俺に死角はないのである!
「おいおい、年増はお呼びじゃねえぜ」
距離が離れていることもありモーゼルを構える。
引き金に手をかけ、いざ引こうとしたそのとき、不思議な現象が起きた。
いや、起きなかった。
体が動かないのだ。
「かかったわね」
女は扇状的に舌なめずりをする。
「な、なにを――」
「私の陽属性の魔法、『チャーム』。あなたはもう体の指一本動かすこともできないはずよ」
ぐぬぬ、たしかに動かない。
というよりも、なんだ。眼の前の女から目が離せないんだ。
「そのまま息をすることもできなくなって、死んでいくのよ」
絶体絶命だ。
もう喋ることもできない。
気合で体を動かそうとするも、やっぱりダメだった。
マジかよ、やべえじゃんかこれ。
俺はモーゼルを構えたままの姿で、銅像のように立ち止まる。
「さあ、そのまま死になさい――」
困ったなぁ……。別にそんなに困ってないけど。
だって――。
俺の視界の隅に、炎がたぎる。
その炎は蛇のような形をとって、痴女を飲み込んだ。
一瞬で女は蛇の中に閉じ込められる。蛇はまるで火柱のように天高く上り、そして消えた。
「あらあら、私のダーリンを誘惑するんて。万死に値するわ」
「シャネル、お前は知らないかもしれんが、人は一回死んだら終わりだぞ」
そう考えたら万死にあたいするってのも変な言葉だな。
だって一万回も人は死ねないぞ。なんてというか、誇大広告? 針千本のます、に近いものを感じる。
まあ、しょうじき中々ピンチだったけど。信じてたぜシャネルちゃん。来てくれるって!
「どうしたの?」と、シャネルはぜんぜん平気そうに言う。
いままさに人を殺したばかりだというのに。
「いや、なんでもない」
俺も、2人殺した。
たぶん俺たちはバランスを崩しているのだ。エトワールさんが言っていた、人はバランスを崩せば崩すほどに、人ではない何かになっていく。
たぶんそれは――化物だ。
俺とシャネルはきっともう、化物なのだ。悲しいことだけど。
「さて、あと1人いるが。逃げたかな?」
さすがに俺たち2人相手に向かってはこな――。
と思ってた瞬間、
空気を切り裂く音が、
それはシャネルを狙ったナイフ。
俺は空中でそのナイフを掴んだ。
素手で、だ。手からは平気で血が出るがまあ仕方ない。しかもこれは致死量の攻撃ではないので当然『5銭の力+』も発動しない。
「シンク!」
と、シャネルの驚いた声。
やれやれ。
俺はナイフの飛んできたほうを睨みつけた。




