表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

235/783

231 狂った教皇


 火西が、入室してきた。


 俺はいきりたち、掴みかかろうとすることを寸前でこらえた。


 ――火西!


 しかしこらえた分、心の中では憎悪の感情がうずまく。


 部屋にいる教皇候補の男たちが立ち上がり、無言で頭を下げた。そうか、火西は耳が聴こえないから声を出してもしかたがないのか。


 立ち上がった教皇候補たちに火西は手で座って良いというようにしめす。


「みなさん、お元気そうで」


 どこかおかしな発音。


 火西は部屋の中をぐるりと見回す。


 俺は一瞬、顔をふせようかと思った。しかし、しっかりと睨み返さなければならない。


 俺の憎悪を、やつに教えてやるのだ。


 さあ、どんな顔をする火西。お前が昔イジメていた男がいま、こうして目の前にいるんだぞ。その気になればいますぐにでも飛びかかってお前を殺せる位置に。


 あるいは、お前の悪行を――今でこそ教皇なんて呼ばれているが昔は俺のことをイジメていたということを、全員に言ってやれるんだ。


 もちろんそんなこと、俺は言わない。けれどお前からすれば、過去の自分がおかした過ちは恐ろしい刃となって不安となるんじゃないか?


 さあ、火西。


 こっちを見ろ、火西!


 そしてその偉そうな顔を驚きに歪めろ!


 ゆっくりと、ゆっくりと火西の視線は動いていく。誰のことも同様に、一瞬だけ見ている。そして、そして、そして。


 俺の番がきた。


 その瞬間に俺が期待したのは、火西の驚愕の顔だ。驚き、慌て、なぜ俺がここにいるのか理解できないと焦ってほしかったのだ。


 だが違った。


 火西は俺を見た瞬間、一瞬だけ無表情になる。


 しかしその次の刹那せつな――


 笑ったのだ。


 それも、まるで救われたかのように。安堵あんどの笑みをうかべたのだ。


「……ああ、貴方は」


 火西は俺に近付こうとして一歩前に進んだ。


 俺はわけが分からなくて、後ずさる。


 どうしてだ? なんでこいつは今にも泣き出しそうなくらい嬉しそうな顔をしているんだ!


 わからない。俺の察しの良さをもってしても、第六感をもってしても、わからない。


猊下げいか、どうなさいました?」


 アドリアーノが不思議そうに火西に言う。


 その声は聞こえていないはずなのに、火西は立ち止まった。


「あ、いえ」


 我に返ったかのように俺から視線をそらす火西。


 こいつは俺のことを絶対に分かっている。だが、いまは何も言わないことに決めたのだろう。ゆっくりと歩き出し、空席になっていた上座に座った。


 もっともここにあるのは円卓だ。円卓というのは上座、下座がない席と言われている。実際には火西が座った場所も厳密には上座とはいえないかもしれない。


「それでは私から改めて挨拶をさせてもらいます」と、火西は優しげな声でいう。「お集まりの皆様、いまは危険な身でありながら大聖堂まで足を運んでいただき、ありがとうございます」


「いえいえ、そんな」


 と、最初に言ったのはアドリアーノ。


「は、はい」


 と、ニコルさん。この人は教皇候補だなんて呼ばれるわりには気が小さいようだ。


 しかしエトワールさんは何も言わない。


 ただじっと、目でなにかを伝えるように火西の顔を見ている。それで火西もなにかを察したのか、はてと首を傾げた。


「どうなさいました、エトワールどの」


「猊下、不遜ふそんながら意見があります」


「なんでしょうか。せっかくの会議です。なんなりと言ってください。なにかコンクラーベに関して考えがあるのでしょうか?」


「いいえ、違います。コンクラーベなどどうでもいいのです」


 おいおい、と俺は思った。さすがに言い過ぎだろ。どうでもいいって。


 俺の隣でシャネルが小さく笑った。「変な人」とつぶやいている。


「どうでもいいだと、貴様!」


 アドリアーノがまた大声を出す。


 わりと近くにいた火西は、しかし顔色ひとつ変えない。やっぱり耳は聞こえていないようだ。


 その割にはこちらの話す言葉はしっかり分かっているらしい。読唇術どくしんじゅつの心得でもあるのだろうか。


「私が言いたいのは、地下にある異教徒たちの根城を壊滅させるという話です! 本当にそのような計画をお考えですか!」


「その話は先程終わっただろう。すでに猊下の承認を得ている! 明日の夜、教皇庁所属の武僧とこのアドリアーノの私兵とで一斉攻撃をかけるのだ!」


「私は反対です。猊下、どうか考えなおしてください!」


「エトワールどの、貴方はいったい何をおっしゃられているのですか?」


 火西は首をかしげるようなそぶりもせず、ただただ無表情で言った。


「異教徒とはいえ、我々に危害をくわえてもこない人々を皆殺しにするなど――」


「なにを言っているのですか。『異教徒』、ですよ?」


 おそらく火西にとって理由はそれだけで十分なのだろう。


 異教徒であるだけで、殺されるにあたいする罪なのだ。


 狂っている、と俺は思った。


 人が人を、ただ信仰の違いがあるというだけで殺すだなんて。火西にとってそれは特別でもなんでもなく。ただ息を吸い吐くかのように、ただただ普通のことなのだろう。


 俺のように復讐だから他人を殺すというのではないのだ。


「どうやら我々、教皇候補の中にまともではない考えを持っている者がいるようですなぁ。あまり妙なことをいうと、将来的に弾劾裁判などということにもなりませんよ」


 アドリアーノがエトワールさんに対して、ざまあみろとでもいうような顔をする。


 エトワールさんは諦めたわけではないだろうが、これ以上どうもできないとでも思ったのだろう。引き下がった。


「ですぎた真似でした。申し訳ありません」


「いいえ、良いのですよ」と火西。「エトワールさんはまだお若い。思うところはどんどん言うべきです。それで間違いがあっても、これから直していけば良いのです」


 火西の、いかにも優しげな人を導く言葉が、いまの俺には不気味だ。


 導かれた先が正しい場所であるといったい誰が保証してくれるのだ?


 相手が異教徒というだけで躊躇なく殺すようなことが本当に正しいのか?


 少なくとも俺は、エトワールさんの意見に賛成だった。


 どのような理由があっても人が人の命をうばって良いわけがない。俺だって本当は――そんなことくらい知っているんだ。


 それから、会議はこんどのコンクラーベのことになった。ようするに投票の前に演説をするらしいのだが、それをどの順番でやるか、だとか。あとは支持者の数がどうとかだ。


 俺には難しい話でよく分からなかった。シャネルだって、隣で小さくあくびをしていたくらいだ。


 それで会議が終わり、火西がまず部屋から出ていった。火西はけっきょく、最初だけ俺を見て。そのあとはまったく俺に視線を向けなかった。つとめて無視していたというわけだ。


 次にニコルさん。この人は本当に影が薄かった。しょうじき明日になれば忘れているだろう。


 そしてアドリアーノ。こいつは他の2人よりもたくさん護衛をつけていた。その護衛たちに囲まれて、出ていく際に一言。


「ふん、人気取りだけが上手い若造が」


 と、文句を言ってきた。


 エトワールさんはそれに対して何も答えなかった。ただ、悲しそうに微笑んでいた。


 最後に部屋に残った俺たち3人。


「きっといま、外に出れば渋滞ですよ。あんなに護衛がいましたからね。少し待ちましょう」


「そうですね」


「お疲れですわね」と、意外にもシャネルがエトワールさんをねぎらった。


「……そう見えますか? だとしたら私もまだまだです」


 エトワールさんは座りながら、体を投げ出すようにして杖に顎をついて黙っている。その姿はいつもの彼よりも10も歳をとったように見えた。


 しばらくそこでじっとしてから、エトワールさんは立ち上がる。


「大丈夫ですか?」


 思わず聞いてしまう。


 もしかしたらもっと気の利いた言葉があったかもしれないのに、そんなことしか聞けない。


「ええ」


 外に出ると、視線を感じた。


 廊下の先だ、1人の人間がいる。男か女かも分からない――。なぜなら、その人間は顔中に包帯を巻いているからだ。


「ああ、クリスさんですか。私が来たから顔を見せてくれたんですね。ありがとうございます」


 どうやらエトワールさんの知り合いのようだ。


 クリスさんというからには女性だろうか?


 その女性はこちらを――厳密には俺をじっと見ている。しかしその目がどのようになっているのかは分からない。それすら包帯の奥に隠れているからだ。


 クリスさんは何も言わないまま、きびすを返した。


「照れているんですね」と、エトワールさんが言うが。


 本当にそうか?


 シャネルが首を傾げた。


「どうした?」


「ううん、なんでもないわ。たぶん気のせいよ」


 ちょっと気になるけど根掘り葉掘り聞かないのは格好いい男の条件だ。


「クリスはついこの前まで孤児院に住んでいたんですよ。気を悪くしないでくださいね。彼女は口が不自由で喋れないんです」


「そうなんですか」


 あの包帯もそのせいだろうか?


 というか……俺が見た感じだがあれはたぶん義足だろうな。歩き方がぎこちなかったし、なんだか体の不自由そうな女性だった。


 不思議な女性、だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ