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234/783

230 3人の教皇候補


 その扉を開ければ会議室であると、案内役の神父が言った。


 俺は扉に手をかけてる。


 この先には誰がいる?


 もしかしたら火西がいるのだろうか。


 わからない、わからないことは怖い。恐怖とは無知から来るものだと、昔どこかで聞いた。


 もしも火西がこの先にいれば俺は自分の殺人衝動を抑えられるだろうか? 静止を振り切り――いいや、静止などされる暇も与えられるほどに早く火西の喉元に刀を突き立てているかもしれない。


 そうなれば俺はどうなる? お尋ねものになるだろうか。


 それを防ぐためにも目撃者全員を殺してここから逃げればいいのか?


 わからない、わからないから――どうせどうにでもなると思うことにした。


 扉をあける。


 俺の手は少しだけ震えていたかもしれない。


 中を見る。


 まず目についたのは円卓。


 そして骨と皮でできたようなやせっぽっちの男が座っている。見たことはないが、ふんぞり返る様子を見るに教皇候補なのだろう。


 俺はホッと息を吐いた。火西はいない。


「これはこれは、エトワールどの」


 と、いま初めて見た男は言った。口を開くと不健康なニワトリみたいな甲高い声を出した。


「どうも、アドリアーノさん」


 アドリアーノ? 何度か聞いたことがある名前。だけどその名前はあまり印象に残っているものではない。俺は必死に記憶の中からその名前を掘り起こした。


 ああ、そうだ。たしか教皇候補筆頭とか言われていた男の名前だ。


 そしてこのアドリアーノのガードが固くて殺し屋の1人が失敗したということを、シノアリスちゃんが言っていた。


 嫌な顔をした男だ。こういう男は自分の欲望にだけ忠実であるということを俺は経験上知っていた。


 部屋にはどうやら教皇候補と見られる男がアドリアーノと、もう1人いた。その後ろにはそおらくそれぞれの護衛だろう。屈強そうな男が並んでいる。その中にはかつて俺が一緒にパーティーを組んだ武僧の弟の姿もあった。


 目が合う。


 ペコリ、と頭を下げられて武僧のハゲ頭が光に照らされた。


「ニコルさんもお久しぶりです」


 もう1人の教皇候補はニコルというのか。なんだか顔色が悪そうだが、大丈夫だろうか?


 エトワールさんは扉から一番近い席に座る。こういうの上座とか下座とかいろいろあるんだよな?


 たしか奥に行けば行くほど偉い人。


 もっとも、一番奥の席は誰も座っていないが。


「いやはや――」と、アドリアーノが口を開く。「心配しましたぞ、エトワールどの。貴方が死んだと聞いて」


 いきなり言うか、そんなこと。


 なんだか言い方が高圧的だ。たぶんアドリアーノはエトワールさんのことが嫌いなのだろう。


 ふん、俺だってアドリアーノみたいな男は嫌いだ。エトワールさんはいつもの柔和な笑顔だが。


「そのせつは心配をおかけしました。ですがこうしてピンピンしていますよ」


 嘘だ。


 エトワールさんは椅子のすぐ近くに杖をおいている。その杖のことを、当然のように他の教皇候補の2人は気づいたようだ。


「もしやそれは『ディアタナの杖』でしょうか?」と、ニコルさんが聞く。


「はい。教会が燃えてしまい、持ち出せたのはかろうじてこの杖だけでしたよ」


「そ、それをまさか使っているのか!」


 アドリアーノが叫ぶように言う。


 本当にニワトリみたいに耳障りな声だ。


「いけませんか?」


「常識的に考えろ! そんな貴重な杖を! それはディアタナ様がかつて教皇に与えたとされるありがたい杖だぞ!」


「とはいえ、使わなければただの飾りです。飾っておく場所もありませんのでこうして実用的に活用しているのですが?」


 もっとも、とエトワールさんはとんでもない言葉を続けた。


「あまり杖として持ちやすいものでもありませんし。こんど売り払おうかと思っているんですがね。教会の再建費用にあてようと」


 おいおい……なんか大事な杖なんだろ? それはさすがにダメだろってことは俺にだって分かるぞ。


「バカなことを言うな! それはこの国の宝だぞ!」


「そうでしょうか? 人の生活は由緒正しい飾られた宝などより、よっぽど大切な宝だと思いますが。だってそうでしょう?」


 しかしその言葉に、誰もうなずきはしない。


 それどころか、


「異教徒のような考えはいますぐ捨てろ!」


 と、アドリアーノは口の端に泡をうかべて叫ぶ。


「宝というならば、たとえば子供たちのほうがよっぽど国の宝です。これを売って孤児院が豊かになるなら私はそちらのほうが良いと思うのですが?」


 エトワールさんは本当に理解できていないようだ。


 たぶん優先順位が他の人と違うのだろう。


 俺は少し笑ってしまう。嫌いじゃない、こういう人は。


 俺はこういう人をエトワールさんの他にもう1人知っている。張作良チャンヅャオリャン天白ティンバイだ。あいつも同じようなことを言っていた。


 あるいはエトワールさんは戦いことしないものの、英雄と呼ばれるような人間なのかもしれない。


 エトワールさんの杖の話しはどれだけ言っても平行線だと思ったのか、それで終わった。たぶんこのあと1時間でも言い争いを続けてもなんの解決にもならないだろう。


 それにしても嫌な部屋だ。


 なんだかこの部屋は宝物庫みたいで。壁には絵なんぞかかっている。きっと高いぞ、あの絵。


「ふふ、あの絵。きっと高いわよ」


 シャネルも同じことを思っていたようだ。


「あの椅子も高そうだな」


「ねえ、あのお洋服。あれ絶対オーダーメードよ」


 言われてみれば。べつに俺たちだってみすぼらしい服を着ているわけでもないはずだ。けれど俺たち以外の人たちは高そうな服ばっかり着ている。それに装飾品。手には指輪なんかもつけている。お前のことだぞ、アドリアーノ!


 俺ちゃん貧乏人だからお金もちは無性に敵視しちゃうのよね。


 むむむ、しかし俺たちがあちらをジロジロ見ているように、あちらも俺とシャネルのことをジロジロ見ている。あちらというのはつまり、他の教皇候補の護衛なのだが。


 たしかにどいつもこいつも腕はたちそうだが、負ける気はしない。


 ここはエトワールさんの顔をたてるためにも堂々としていよう。


「ふう……それにしてもここにいる教皇候補も減りましたね」


 と、エトワールさん。きれいな目が悲しげにふせられている。


「残ったのは3人か。2人が殺された、異教徒どもに」


 アドリアーノの言葉でニコルさんの悪かった顔色がもっと悪くなった。もう青白いを通り越して、まるで死体のような色だ。たぶんそうとう精神的にきているんだろう。


「ど、どうにか対応を――」


 ニコルさんの声は震えている。


「そのために個々で護衛を雇ったのでしょう?」


 エトワールさんはよっぽど俺とシャネルを信用してくれているのか、ぜんぜん怖がっていない。そういうのに気づいて、ちょっとだけ嬉しい。誰かに頼られるって良いことだ。


「し、しかし!」


 声を荒らげるニコルさんを、アドリアーノが手でせいした。


 なんでもいいけど、この骨と皮の男はいくつくらいの年齢なのだろうか? 50くらいだろうか? それとも60くらい? たしかに皮膚の質だけ見ればそんなもんだ。


 けれど目だけは、まるで人をイジメるのが楽しくて仕方のない高校生みたいにあやしく光っている。


「対応は、考えてある」


 さすがは筆頭候補だ。ちゃんと考えてるんだね。少しだけ見直したかもしれない。


「どのような?」


「異教徒の根城を見つけた。それを根絶やしにする」


 根城……だと?


 それってつまり、地下のカタコンベのことか?


「シンク――」と、シャネルが俺の服のそでを引っぱる。


 ああ、と頷く。


 そんなこと、許されるわけがない。あそこには、だって、異教徒とはいえ普通の人が暮らしているのだから――。


「待ってください、異教徒の根城とはなんのことですか?」


「地下のカタコンベだ。まさかあんな場所に潜んでいるとはな。発見したときはこのアドリアーノもさすがに驚いたぞ。これを成敗できれば――誰が次の教皇になるか決まったようなものだな?」


「待ってください、それは反対です!」


 エトワールさんは思わず、というように立ち上がる。


「ほう、なぜだね?」


「あそこにいる人は全員が異教徒ですが、しかしだからと言って全員殺すというのは――」


 なんだ、この言い方は?


 もしかしてエトワールさん、地下のことを知っているのか。カタコンベのことを。


「なんだお前は、その言い方。まさか知っていたのか、異教徒の根城のことを」


 エトワールさんはなんの隠し立てもしようとせずに頷いた。


「知っておりました」


 マジかよ。


 知っていたとしてもそれ、認めるの? あきらかに状況は不利になると思うが。


「それを我々に方向しないのは重大な背徳だ!」


 背徳。


 その言葉を俺は最近聞いたばかりだ。


「信仰を同じくしなくても、命は命です! 殺されて良い生命などありません!」


 エトワールさんはまっすぐに言う。


「ふん。お前がそこで何を言おうと、この計画はもう猊下げいかにお話してある。お前にはこの計画を否定する権利などない」


 エトワールさんは愕然がくぜんと椅子に崩れ落ちた。


 それと同時に扉が開いて、神父が1人入ってくる。


「教皇猊下が入られます」


 その瞬間、俺は思わず刀に手をかけたのだった。



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