226 アンさんの告白、そして復讐の決意
「シンクさん、私はあなたのことが――好きなんです」
俺はやれやれ、と天井をあおぎみる。
ああ、会ったこともない髪の長い女神様よ。あんたはとんでもないことをしてくれたぜ。
こんなに美人で、俺の好みの女の子をあてがってくるんだからさ。
「こんなこと言われてもシンクさんからすれば、迷惑ですよね……」
よく分かってるじゃないか。
「そうだね、迷惑だ」
だから、はっきりと伝える。
どうしろって言うんだよ、俺にはシャネルがいて。でもアンさんだってもちろん好みの女性で。しかもアイラルンいわく、俺はこの人と一緒にいれば幸せになれるのだという。
――復讐など忘れるほどに幸せに。
「すいません……」
「でも、嬉しいよ」
これは本当だ。
人に好かれるというのはそれだけで嬉しくて、まるで自分のことを全て認めてもらえたような万能感がある。
もしかしたら俺はこの人と一緒になるべきかもしれないとすら思える。
アンさんはじっと俺を見つめている。その目がうるんでいる。俺も、真正面からアンさんのことを見た。
ああ……裸だ。
誰がどうみても裸。
生まれたままの姿。いままでインターネットやアダルトビデオの中でしか見てこなかった姿。
でも俺はいちどだけ、シャネルの裸を見たことがある。無意識にシャネルとアンさんのことを比べてしまう。それが失礼なことであると、俺は分かっている。
でも無理だった。
比べて、俺はどちらかを選ばなければいけないのだ。
そして俺が選んだのは――。
シャネル・カブリオレだ。
「ごめん、キミと一緒になれない」
「……はい」
「キミは俺についてくることはできないだろう。俺の人生に――俺の生きる意味に一緒に寄り添うことはできないだろう」
シャネルならば、それができる。
因業によってむすばれた俺たちならば、一緒に復讐をすることができるのだ。
「私――ついていけます。この孤児院を出てシンクさんと一緒に冒険者だってできます」
アンさんは食い下がる。
けれどそういうことじゃないのだ。
俺は冒険者を続けたいのではない。
復讐を続けたいのだ。
そしてそのためにはシャネルと一緒にいるしかない。
「俺は人殺しだ」と、伝える。
アンさんは一瞬驚いた顔をする。
俺はこの人の前では人を殺したことはない。シャネルの前では、ある。
「そんな俺のことを好きになるんじゃない」
「人を好きになるのは……そういうことじゃないです。シンクさんがもし人殺しでも私は良いです」
「ダメだ」
この人は、こんな清からな人は俺のように汚れた人間と一緒にいるべきではないのだ。
アンさんはもっと普通の人と普通の恋におちて、普通の人生を歩いていけるはずだ。
俺はアンさんとしか幸せになれないとしても、アンさんは俺以外の人と幸せになれるはずだ。
では、シャネルは?
俺にはシャネルが必要なように、シャネルにも俺が必要なはずだ。
さあ、この話しはこれでおしまいだ。
だから俺は風呂から出ようとする。
引き締まった体についたお湯のつぶたち。それが不思議な冷たさでさまされて、俺の心も引き締めようとする。
「私……これまでの人生で欲しいものはなに一つ手に入れられませんでした」
アンさんが、俺の背中に向かって語りかけてくる。
涙声。
俺は、自分が女性を泣かせてしまったのだということに気づいた。だからこそ、振り返らない。
「私、孤児でした。この孤児院で過ごしてきて。他の普通の子供たちが持つようなものをなにひとつ持ってませんでした。両親も、まともな目も、それにまともな暮らしも」
「……」
俺は無言で立ち止まる。
「欲しいものは全部、キラキラしたお星様みたいに手に届かなくて。誰からも手を差し伸べてもらえなくて……ずっとずっと、見つめるだけで。でも、シンクさんにもらった帽子だけは、違いました」
「アンさん……」
「私、初めて欲しいものを買ってもらいました。とっても嬉しくて、それでこの人はなんて優しいんだって思って。それから、ずっと好きなんです。あなたのことが大好きなんです」
「ダメだ」と、俺はもういちど言う。
言葉に出さなければ、この揺れ動く気持ちに流されてしまいそうだ。
「お願いします、シンクさん。私にまた欲しいものをください。シンクさんだけなんです。私は……シャネルさんよりも可愛くないかもしれないです」
そんなことはない、どちらも可愛いさ。
甲乙をつけることなんてバカバカしいくらいに、どちらも素敵な女性だ。
「それでも絶対にシンクさんを幸せにします。なんだってします、あなたのために。だから私を選んでください、お願いします……」
振り向きたい。
振り向いて彼女のことを抱きしめたい。そうすれば自分は幸せになれる。
シャネルを捨てて、復讐心を捨てて、これまでの人生すべてを捨てて。アンさんと一緒に幸せになれる。なぜそんなことが言い切れるのか自分でも分からない。アイラルンに言われたからかもしれない。それとも俺の勘がそう言っているだけかもしれない。
なんにせよ、アンさんとならば幸せになれるのだ。
だけど俺は、その幸せという名の鎖を引きちぎるように歩き出す。
振り向かない。
シクシクと、アンさんの涙の音が聞こえた。
俺だって泣きたいさ、でも告白をことわった俺には泣く権利などないのだ……。
風呂場を出て、脱衣所で体を拭く。
シャネルに買ってもらった服に袖を通す。友にもらった刀を腰にさし、友にもらったモーゼルを懐にのむ。自分の中にいまも燃えている復讐の炎を原動力に歩き出す。
全てだ、俺は俺の全てを否定してはならない。
これまで目的の人だって殺してきた。
あの辛かった日々へのリベンジは、どのような幸せよりも大切なことなのだ。
風呂場を出て、俺は自室に戻る気にもなれずに外に出た。
夜風にあたりながら、空にうかぶ月を睨む。
ディアタナ、月の女神。お前のことだけは絶対に許さない。
あんなに素敵なアンさんを悲しませたお前のことだけは!
――朋輩、朋輩。素敵な朋輩。いい調子ですわよ、このままですわよ。この世は全てこともなし、貴方様の思うままに――
どこからともなく声がした。
それはいつかの昔、どこかで聞いたアイラルンの声だった。
俺は月に向かって吠えるように叫ぶ。
復讐を誓う。
絶対に、絶対に許さない。
そう決意するのだった。




