222 エトワールの護衛
前を行くエトワールさんに俺はついていく。
やはりエトワールさんは片足を悪くしているのだろう、歩きかたがぎこちない。
エトワールさんが最初に向かった部屋は、子供たちがお昼寝をしている部屋だった。年老いたメイドが部屋のすみでうつらうつらとしていた。彼女も一緒になって寝ているのかもしれない。
「子供たちは無邪気に寝ています、なにも悩みなどなさそうに」
エトワールさんはすやすやと寝息をたてる子供たち、1人1人の顔をじっと見つめている。
薄暗い部屋の中で雑魚寝をしている子供たちは、たしかになんの悩みもなさそうで天使のようだ。
たぶん人生の中でもっとも安眠ができるのは未就学児の頃だろう。
「エトワールさんにも悩みがあるんですか?」
俺は聞いてみた。
だってこの人はいつも柔和に笑っていて、悩みやあるいは怒りみたいな感情もないように思えたのだ。
「ありますよ、たとえばそうですね……」
エトワールさんは一瞬考える素振りを見せてから、ひょうきんに頬をかいた。
「たとえば?」
「すいません、考えたんですけど悩みなんてありませんでした」
俺はつい笑ってしまう。
「そんなわけないじゃないか」
だってこの人は命を狙われているんだぞ。それが悩みなんて何もないだなんて。でもたしかにエトワールさんはそんな顔をしている。
自分には悩みなどなにもないから、むしろ貴方がなにか悩むことがあれば寄り添って手助けしてあげますよ。とでもいうような顔だ。
「でも子供たちも、もし私が死ねば悲しむのでしょうね……そうならないようにしなければいけません」
「そうですね」
次は食堂に行く。
この前、俺も昼ごはんを食べた場所だ。
今日はもうお昼の時間は終わったのだろうか。
「榎本さん、お昼ごはんは?」
「あ、まだです」
ついでに言えばシャネルもまだ。
「なにかあったでしょうか、私もずっとベッドにいたのでなにも食べていないんです」
食堂の扉を開けると、シャネルとアンさんがいた。どうやらここで帽子を直していたらしい。
「あら、シンク」
「調子どう?」と、俺は適当に聞いてみる。
「まあまあよ」と、シャネルも俺の適当さには慣れっこだ。
シャネルは帽子の中に細い針金を入れているようだ。それでカタチを形成しているのだろうか。
細かい作業だからな。食堂の上の方はガラス窓がたくさんあって、そこから光が差し込んでいる。手元も見やすいだろう。
「あ、エトワール様。まだ立ち上がっては――」
水色の髪の毛で片目を隠したアンさんが、心配するように言う。
「そうは言ってもアン、いつまでも寝ているわけにはいきませんよ」
「そうですが……」
「なにか食べるものはありませんか? シンクさんの分も」
「ありますよ、シャネルさんは?」
「私はけっこうよ、いまダイエット中なの」
……え、初めて聞いたんですけど?
シャネルは言いながら、動かしている手を止めない。どうやら得意というのは本当のようで。そりゃあいままで服のほつれなんかも直してもらったことがあったけど、まさか帽子も直せるとは。
真剣な目つきで糸をつむいでいるシャネルはとんでもなく美人だ。明るい光に照らされて銀色の髪がキラキラと星のまたたきのように光っている。古めかしい食堂に、シャネルのゴシック・アンド・ロリィタのドレスはよく似合っていた。
「なあに、シンク」
げっ、シャネルのやつ。俺の方に視線を向けてないのに気づきやがった。
良かった、胸とか凝視してなくて。
「べつになんでもねーよ」
俺は持ち前の童貞力で突き放すようにして答えてしまう。
シャネルはくすりと笑った。
俺はシャネルのすぐ近くに腰を下ろす。エトワールさんは俺のさらに横に。
しばらくすると、アンさんがパンとこの前も食べたおかゆ(のようなもの)を持ってきてくれた。
エトワールさんの長ったらしい祈りの言葉を聞き流し、食事をとる。朝ごはんはパン。昼もパン。そろそろお肉が食べたいなぁ……。そういやこの世界の宗教って、食べたらダメなものとかあるんだろうか?
うーん、この質素な食事を見るにいろいろな戒律があるのかもしれない。ただたんにお金がないだけかもしれない。
俺はこれからエトワールさんを護衛するわけだから、もしかしたらこういう食事が増えるかもしれないな。あーあ、肉食べたい。
食事を終えると、アンさんが入っていた皿を下げてくれた。いたれりつくせりである。俺の周りの女の子はみんな甲斐甲斐しいのか?
「それでエトワール様、これからどうするのですか?」
「どうしましょうか、私が住んでいた教会は焼けてしまいました」
「全焼だそうね」
なんでもいいけどシャネルさん、針仕事しなが喋れるって器用だね。
「この場所に住むとしても、もしかしたら敵に見つかる可能性があるんじゃないですか?」
俺はいちおう護衛として、意見を言う。
「そうですね、榎本さんのおっしゃる通りです。なので私は近々この孤児院を出ます」
「エトワール様、しかしそれは……」
「大丈夫ですよ、なにせ榎本さんが護衛を引き受けてくれましたので」
「シンクさんが……? 本当にですか?」
「ええ、まあ」
そんな期待のこもった目で見られると、なんというかこの……照れる。
「あらシンク、また新しいこと始めるの? 物好きな人」
「そう言うなよ。エトワールさんの護衛だ、いちおう冒険者ギルドを通してくれるらしいけど。シャネルも一緒にやるか?」
「そりゃあシンクがやるなら私もやるわ」
「あ、エトワールさん。シャネルも良いですか?」
依頼主のいない場所で勝手に話を進めてしまった。
けれどエトワールさんはなにも気にしていないようだ。
「もちろんです、私も1人より2人に護衛してもらったほうが安心できますので」
「でも護衛って具体的になにをするの? 四六時中、その人と一緒にいればいいの?」
「さすがに四六時中とは言いませんが、そうですね。だいたいの時間は一緒にいてほしいです。コンクラーベまであと1週間。どうでしょうか?」
「俺としては別になんでも良いんですが」
だって暇人だし。シャネルもご勝手にどうぞという態度だ。
「ではよろしくお願いします。じつは明日の夜に教皇好捕が集まる会議があるのです。そちらに出なければならないのですが」
「それ、テロリストからすれば格好の的になるんじゃないかしら?」
俺もシャネルに同意見だ。
そんないかにも危なそうな場所に行くべきではないと思う。
「とはいえ、出なければ教皇候補としての資格を失いますからね。私はべつに教皇の座に興味はありませんが、私を推挙してくれた方々に申し訳ないですから」
エトワールさんは本当にそう思っているのだろう。
けっして謙遜だとか言い訳だとかではない。
「まあ、私は誰が教皇様になろうとどうでもいいのだけど」
それ、いまから教皇になろうって人の前で言うか、普通?
いや、そりゃあ俺だってどうでもいいよ。俺が気にしているのはいまの教皇、火西のことだけだ。
「はは、それで良いんですよ。いち信者の方々は、我々のうちで誰が教皇になろうと気にしないで良いのです。なぜなら信じるべきは教皇という地位の人間ではなく、ただディアタナ様なのですから」
「ふんっ」
あ、シャネルってば鼻で笑ったぞ。感じ悪いぞ。
とはいえ俺もディアタナなんて女神様は信じてないけどね。
「さて、アンさん。直ったわよ帽子」
「本当ですかっ!」
「嘘ついてどうするのよ。でも私も本職じゃないから、気になるなら帽子職人のところに行くか、新しいの買うかしなさいな」
「いえ、これで良いんです。すっごく素敵に直っていますし! ありがとうございます!」
シャネルが帽子を手渡す。アンさんはさっそくその帽子をかぶった。
エトワールさんも室内で帽子をかぶるなと注意しなかった。
嬉しそうに帽子のつばを持つアンさんを見て、それをプレゼントした俺も嬉しくなったのだった。




