221 もう1度、立ち上がる
エトワールさんは俺が見るかぎり、どこも怪我をしていないように思えた。ぜんぜん元気そう。
俺は安心してほっと息をはく。それから、忘れていたとばかりに頭を下げた。
「見舞いにきました」
「ありがとうございます、私のためにわざわざ貴重な時間を」
「そうは言いますが心配したんですよ。新聞を見てびっくりしました。だって死亡記事が載っていたんですから」
「あはは、私もあれには驚きました。けれど考えかたによっては良いかもしれません。私が死んだと思わせておけば、とうぶんは襲われることもありませんから」
俺の後ろから、シャネルとアンさんも入ってくる。「どーも」と、シャネルはいちおうというふうに頭を下げる。それに対してエトワールさんは「どうも、シャネルさん」と丁寧に答えた。
やっぱりウツワがでかいんだな、教皇になろうっていうくらいの人は。
「おや、アン。またその帽子をかぶっているのですか? 嬉しいのは分かりますが、室内ではとりなさいといつも言っているでしょう」
「す、すいません」
「榎本さんにもらってから、ずっとつけているんですよ」
「そうなんですか」
アンさんは照れたようにうつむいて、帽子を外した。
その帽子をシャネルがひったくる。
「お、おい」
まさか捨てるか、あるいは燃やして消し炭にでもするつもりではないだろうかと俺は疑う。
「ふうん……こういう帽子ね」
シャネルは少しだけカタチの崩れた帽子をまじまじと見つめる。
「あの……返してください。お願いします」
「そうだぞ、シャネル」
俺は心のどこかでハラハラしている。シャネルがいつ怒り出すのかわからない。だってその帽子は俺がアンさんにプレゼントしたもので、いつものシャネルだったらそりゃあもう瞬時に杖を抜くようなものだが――。
「良いわよ、返してあげる。ついでに直してあげるわ」
「えっ、直すですか?」
「そんなことできるのかよ?」
「私、こういうの得意なのよ。針と糸、ある? あとは針金みたいなものがあれば良いのだけど」
「あ、あります! あの、お願いします!」
「ええ、良いわよ。でもこの部屋じゃなんだから、もう少し明るい場所に行きたいわ」
「はい! じゃあ案内しますから!」
アンさんはもう飛び上がりそうなくらいに喜んでいる。
しかし、俺は怪訝な顔をしてしまう。
――なぜだ?
なぜ、アンさんにこんなに優しい? だってこの前なんて殺そうとしてたじゃないか!
「お、おいシャネル」
俺はおそるおそる、聞いてみる。
「なあに?」
「どういう風の吹き回しだ? なんでそんなことを?」
「だってシンク、私のこと愛してるんでしょ?」
「えっ?」
「この前よ、そう言ってたじゃない」
言った、たしかに言った。その場しのぎのために。
「私はね、私が貴方の一番ならそれで良いのよ。英雄色を好むとも言うわ、あのガングーですら、体の関係はもっていなけど他の女に惹かれたこともあるそうだし」
つまりなんだ……?
エッチしなければ浮気もOKということか?
(*^^*)
やったぜ、思わず顔文字が出ちゃうくらいにやったぜ!
ま、俺童貞だからな、エロいことなんて他の子とできる気がしないけど。
「それにね、こんな可哀想な子をこれ以上悲しませるのは私の好みじゃないわ」
そのセリフは音量が小さすぎてよく聞こえなかった。
でも、シャネルからすればそちらが本命だというのはなんとなく察することができた。まさか聞き返す気にもなれなかったけど。
アンさんに連れられてシャネルが部屋を出ていく。
「優しい人ですね」
と、エトワールさんはシャネルを評価した。
「はい、たぶんすっごい優しい女の子ですよ。シャネルは」
俺もよく分からないけど。
「それで、榎本さん。ちょうど良いところに来てくれました。実は私からも使いを出そうとしていたのです。本当ですよ、都合が良いからそう言っているわけではありません」
「はぁ」
話しがよめず、曖昧に返事をする。
「お願いがあるのです、私を守っていただけないでしょうか」
「守る? テロからですか?」
「はい、そうです。異教徒たちのテロは日増しにその過激さを増しています。情報では私の他にも教皇候補が襲われたとか」
「……らしいですね」
言ってから失言だと気づいた。
教皇候補が襲われているというのは新聞には載っていなかったはずだ。だからここは、知らないフリをするのが正解だったはずだ。
けれどエトワールさんはなにも疑問に思わなかったようで。
「私が死んでいないと分かれば、やつらは絶対にまた襲ってくるはずです。そうなれば、また他のかたに被害が加わるかもしれない。榎本さん、どうか私を守っていただけないでしょうか?」
「俺に、ですか。俺よりも適切な人間がいると思うんですが」
たとえばちゃんとした軍隊だとか、警察みたいなもの。
でもエトワールさんは首を横にふった。
「榎本さんはこれまで、2度私を助けてくれています。私はそういった縁を信じます。貴方ならばきっと私を守ってくれると――」
やれやれ、と俺は頬をかく。
ずいぶんと買いかぶられたものだ。
でもまあ、他人にこうして頼られるのは嬉しいものだ。
「ダメでしょうか?」
俺はちょっと迷った。
けれど結局答えは決まっていたのだ。
またエトワールさんが襲われる、それで次は本当に死んだら? 俺は絶対に後悔する。
やれやれ、俺ちゃんってば実は頼まれれば断れない性格か?
「分かりました、守りましょう」
「本当ですか、ありがとうございます。榎本さんは冒険者でしたよね、きちんとギルドを通して依頼をしておきます。そうすればギルドからの評価も上がりますよね」
「さあ、どうでしょうか」
俺はそこらへん、しょうじきよく知らないのだ。
でもまあ、悪いことはないだろうし。
「はっきり言って、いまこのロマリアの街は異常な状況です。私はこんな状況でコンクラーベを開催すること自体に反対なくらいです」
「でもやるんですよね?」
「……はい。教皇の側近であり、また自信も教皇候補であるアドリアーノさんが無理にでもやるべきだとおっしゃっていますし。ここでコンクラーベを中止すれば異教徒どもに屈したことになる、という考えかたは分からなくもないのですが」
意地でも通す、というわけか。
たしかにテロには屈しないというのは国際社会の常識である、とどこかで聞いたことはあるけれど。
「そうと決まれば、いつまでも寝ているわけにはいきませんね。榎本さん」
先程からエトワールさんはずっとベッドに座っていた。
もしかしたら目には見えないだけでどこか怪我をしているのかもしれない。
ずいぶんとつらそうにエトワールさんはベッドから立ち上がる。そして、壁にかかっている仰々しい仗を手にとった。持ちての部分にまるで天使の翼のような装飾があり、手で掴むのが面倒そうだ。
「足、どうかしたんですか?」
「少し火傷しました、しかし大丈夫ですよ。これくらい」
そういって笑ってみせるエトワールさんを、俺は強い人だと思った。
けれど、この人はいったいなんのためにもう一度立ち上がるのだろうか?
人はなにか理由がなければ強い意志を持って行動を起こすことはできない。俺にとってそれが復讐であるように、エトワールさんにとっても何かしらの行動原理があるはずだ。
それをいつか知りたいと、そう思った。




