220 べつに生きてるエトワール
ここだけの話し。
俺は落ち込むことがわりかし嫌いじゃない。というよりも好きだ。
ナイーブな人間、ネガティブな人間、自虐的な人間。言い方はいろいろあると思うが、俺は内罰的に自分をイジメることが好きだ。
考えてもしかたのないことをグダグダと考えるのが好きなのだ。
そんな性格だから、ストレスを発散するようなことができずに引きこもりになったちゃったんだよな。
じゃあなんでそんなことが好きなのかって、それはもう性格だからなんだけど……。
自分でも難儀な性格をしていると思う。
「ねえ、シンク」
「なんだよ?」
孤児院への道を、シャネルと2人で歩いている。
俺は先に説明したとおりに落ち込んでいる。
知り合いが死ぬというのがこんなにショックなことだとは、いままで知らなかった。
「あんまり辛気臭い顔をしてると幸せが逃げるわよ」
「ほっとけ、もともとこんな顔だ」
だからもともと幸せになんて逃げられてるのかもな。
そのかわり、因業なんてわけのわからない女神に目をつけられた、と。
「そうかもしれないけどね、貴方が落ち込んでいると私まで悲しくなるのよ」
「……すまん」
たしかにそれもそうか。
けれどこの落ち込んだ心をいったいどうすれば良いのか、俺はわからない。
昔から続けてきたことだ、いまさら直せない。
そういえば、これは中学生の頃のことだが。俺は無口な男が格好良いと思っていた。あまり喋らず、けれどしっかり決めるところは決める。そういう男に憧れていて、そして自分でもそうなろうと思っていた。
結果としてどうなったのか。
俺は無口ではなく、ただのコミュ障になっていたのだ。
「まあ、そういう貴方も格好いいわよ」
「う、うん?」
いきなり褒められて、一瞬とまどう。
けど、すぐにニヤけてしまう。
ゲヘヘ。
格好いいって言われたよ、嬉しい。
なんて笑っていると、シャネルも少し微笑んだ。
「ふふっ、笑ってくれたわね」
「むっ」
どうやら全てシャネルの手のひらの上だったようだ。
「そっちの方が良いわよ、たぶん」
「うるさいなぁ」
まったくさ、俺もちょろい男だよ。ずっと落ち込んでたのにシャネルに少し褒められただけでこれだ。
でもまあ、良いと思うよ。人間いつまでも落ち込んでいられないからさ。
考えの袋小路に入っても、どこにも行けないものさ。
とまあ、こんなのは俺がエトワールさんと深い仲ではないから言えることで。たとえばアンさんなんかは……。
俺たちは孤児院に到着した。
シャネルはここに来たのは初めてだったはずだ。
「ふうん、ここが」
アーチ状の門をシャネルが見上げる。
「けっこう近かっただろ」
「ここにシンクの現地妻がいるのね」
「はいっ?」
「だってよく会いに来てたでしょ、あのアンって子に」
「いやいや」
2回くらいだからね。そんな何回も会いに来てないから。
というか現地妻って……。
はじめて聞いたぞ、現実でそんな言葉。
ついでに、もしそれを認めたらシャネルのやつ怒るんだろうな。
取り敢えず中へ。
昼時だというのに、孤児院の中は静かだった。喪に服している、ということか?
でも耳をすますと、どこからともなくすすり泣くような声が聞こえた。
その声の方向へと行く、
孤児院の建物、その裏手だ。アンさんがいた。そして泣いている。
俺は一瞬、声をかけようか迷った。
このまま、なにも見なかったことにして立ち去ればいいと思った。
けれどダメだった。アンさんの方が俺たちのことに気づいたのだ。
「あ。シンクさん」
アンさんは顔を上げて、涙をぬぐった。
「私もいるわよ」
シャネルは少し腹立たし気に腕をくんだ。
「シャネルさんも、こんにちは」
「あの、こんにちは」
俺はそれで、なんと続ければいいのか分からなくなった。
こういうときなんて言うんだったか、ご愁傷様です? たしかそんなのだった気がする。
「今回のことは残念だったわね」
でも、俺がなにかを言う前にシャネルが続けてくれた。
なんだ、変に気張らず普通に言えばいいのか。
「あの、もしかして新聞で見たんですか?」
おや?
なんだろうか、アンさんの様子がおかしい。
いや、おかしいというか。そんなに悲しいんでいないように思える。
というかさっきの涙もすでに引っ込んでいる。
もしかしてエトワールさんって嫌われてたのかな、なんてそんなわけないか。
じゃあどうして?
シャネルも俺と同じことに気づいたらしい。
「なんだか全然、残念って感じじゃなさそうね」
「あの、ここだけの話しですよ?」
アンさんは帽子をかぶっていた。
それはこの前、俺が上げた帽子だ。そのツバをギュッと握っている。
「ここだけの話し?」
俺、そういうの好きよ。
「エトワール様、生きてるんです」
「――はいっ?」
いやいや、新聞にだって死んだって載ってたぞ。
「あら、そう」
シャネルはあんまり興味がなさそうだけど。
俺としてはかなり驚いた。おどろ木ももの木さんしょの木(混乱してます)だ。
「あの、これ誰にも言わないくださいね」
「べつに言いふらすような知り合いいないわ」
「まあ俺たちの場合はそうだな」
俺たち仲良しな人とかいないよそ者だしな。
「あの、もし良かったら会っていかれますか?」
「ここにいるのか、エトワールさん」
「はい。ここなら誰にも見つからないだろうって隠れているんです。事実、この孤児院にまで来たのはお2人だけですので……」
「ちょっと待ってくれ、隠れてるってどういうことだ?」
「あの、また襲われる可能性があるので」
そういうことか。別にエトワールさんが死んでいなくても、襲われたのは本当のこと。ということはエトワールさんのいた教会だとかは火事で全焼したわけか。
「でもそれじゃあ貴女、なんで泣いていたの?」
「あの、それは……。すいません、シンクさん」
「うんっ?」
アンさんは帽子をとった。そして、後ろの方を見せてくる。ちょっとだけ糸がほつれていて、カタチが変わっていた。
「これ、昨日の夜に馬車の車輪に押しつぶされてしまいまして……」
「それで泣いてたの?」
はい、とアンさんは頷く。
ちょっとした気まぐれで俺がプレゼントした帽子だが、アンさんはそうとう気に入っていたようだ。潰されたくらいで泣いてくれるのだから。
それはそれで嬉しい。
「すいません、せっかくいただいたのに」
「べつに気にしなくてもいいよ、なんならもう別のをプレゼントしようか?」
「いえ、これでいいんです。……私、人にプレゼントしてもらったのなんて初めてでしたから。これが大切なんです」
ううぅ、なんだよ可愛いじゃないか。
やっぱりアンさんは正統派の美少女だなぁ。こうして照れているだけで素敵なんだから。
……痛い。
なぜかシャネルが俺の脇腹を少しつついている。
「プ・レ・ゼ・ン・ト?」
「すいません」
取り敢えず謝る。
「やっぱり現地妻じゃない」
言い訳できない。シャネルは怒っているのか、いないのか。優しく俺の脇腹をつつき続ける。
それをちちくりあっていると思ったのか、アんさんは顔を赤くして顔をそらした。
「な、なんにせよエトワールさんに会わせてくれよ」
俺は話しを誤魔化す。
シャネルは不満そうにしていたが追求をやめた。
とりあえずなにか今度プレゼントをしよう。そうすれば機嫌も直るだろうし。
「はい、こちらです」
俺たちは孤児院の中に入る。
チビたちの声がしないのでどうしてか聞くと、いまはお昼寝の時間らしい。
へえ、と納得した。俺が小さい頃に通っていた保育所でもお昼寝の時間はあった。
「この時間だけはゆっくりできるんですよ、私。それまではずっと忙しくて、悲しむ間もなかったですから」
それで、さっき糸が切れちゃったんですとアンさんは笑った。
糸が切れた。
なるほど、それで泣いていたのか。
エトワールさんのいる部屋へと案内された。アンさんが扉をあけて、雰囲気を察して俺は最初に部屋に入る。
「どうも、エトワールさん」
俺は部屋の中をろくに確認しないで、そう言った。
エトワールさんは質素なベッドの上に横になっていた。差し込んだ昼の光に目を細めて、外を眺めていた。ずいぶんと熱心に外を見ているようだった。
けれどその視線を、俺の方へ向けてくれる。
そして、いつもの柔和な表情で微笑んだ。
「ああ、どうも榎本さん」
良かった、ぜんぜん元気そうだ。




