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219 訃報、エトワールの死


 朝食を買いに行ったついでに、シャネルは新聞も買った。


 べつに俺はこの世界の文字が読めないからそんなものを見ても楽しくもなんともないのだが、シャネルは意外と読書家なのかよく本を読んでいる。ついには新聞にまで手を出したというわけだ。


「なんか面白い話しでものってるかよ?」


 俺は聞いてみる。


「いいえ、世は並べて事も無しね」


「そりゃあけっこう。4コマ漫画のってる?」


「なによそれ」


 どうやら載っていないようだ。


 えー、新聞っていったら4コマ漫画でしょ。


 あるいはちょっとエッチなページ。いや、それスポーツ新聞か。なんでスポーツ新聞にエロいページあるんだろうな。あれか、セックスもスポーツってことか?


 俺はほら童貞だから知らないけど、けっこう体力つかうって言うしな。


 そういや俺、小さい頃はちょっと運動できたんだけどな。中学の頃にはもうダメダメだったけどさ。


「あら、これ……うーん」


 シャネルが新聞を読みながら、首をかしげた。


「どうした?」


「うーん、気のせいかしら?」


「なにがだよ」


 新聞っていうのは異世界でもまあ同じようなものだ。大きさも同じくらい。でも新聞を売り歩いている子供が丸めていたせいで少しだけそっている。


「この人、えーっと。エトワールさん? 知り合いじゃなかったかしら」


「おお、エトワールさんか」


 あれだよな、知り合い。


 チャリティパーティーを主催していたり、孤児院を開いていたり、あとは危険なのに街で演説をしたりと。


 あまりにも清からな人だから苦手意識はあるものの、嫌いというわけではない。むしろすごい人だと思う、尊敬すらする。まさに聖職者という人だ。


 そうだ、今日は久しぶりに孤児院にでもいってみようか。たぶん嫌な顔はされないだろうし。


「そのエトワールさんだけどね」


「おう」


 なんでもいいけどシャネルが男の人の名前を覚えるのはかなり珍しい。


 なんて思っていると、シャネルは衝撃的な一言をはなった。


「そのエトワールさんだけどね――死んだらしいわよ」


「えっ?」


 シャネルがなにを言っているのか分からなかった。


「ふうーん、ずいぶんと惜しまれてるのね」


「いや、待てよシャネル」


「私はなにを待てばいいの?」


「エトワールさんが死んだって本当かよっ!」


「さあ、本当可どうかは分からないけど、ここにはそう書いてあるわよ」


 俺はシャネルから新聞をひったくる。


 ……しかし、文字が読めない。


「どこだ?」


「ここよ、ここ」


 写真は載っていないが、代わりに絵が載っていた。それはおそらくエトワールさんの絵だろう。絵の中の彼はエトワールさんの特徴でもある柔和な表情は浮かべておらず、真面目で面白みのない絵だった。


「なんて書いてあるんだよ」


 俺は新聞をシャネルに返した。


「えーっとね。昨日未明、エトワール・シュロノワール司教の滞在していたダン・プラタ教会が炎上。中にいた司教他、数名が死亡したそうよ」


「火事……か?」


「いいえ。ここには事件の可能性があると書かれているわ。なんでも当日の教会には火の手がなくて、そうなってくると誰かが放火した可能性が高いとか」


「誰かって誰だよ」


「それが分かればこんな曖昧模糊あいまいもことした記事にはなってないわ」


「いや、待てよ。俺たちは犯人を知っているんじゃないか?」


「ふむ、言われてみればそうかもしれないわね」


 誰かわからないって、そんなバカな。


 エトワールさんだって教皇候補の1人だったのだ。ならば彼の命を奪ったのはあのカタコンベにいた殺し屋のうちの誰かにきまっている。


「くそが……」


「あら、シンク。怒ってるの?」


「悪いかよっ!」


 俺は物に当たるように地団駄を踏んだ。


 無性に腹が立つ、あんなに良い人を殺すだなんて。


 ――あんな良い人を?


 自分でもバカなことを言っているのは分かっている、人殺しなんて相手がどんな悪人であろうと、やってはいけないことだ。


 それは一般論で。


 しかし俺にはそんなことを言う権利はない。


 俺だっていままで何人も殺してきたんだ。


「他に面白そうな記事はないわね。あら、教皇選挙の候補者がのってるわよ。このうちの何人かはもう死んでるのにね。記事の差し止めが間に合わなかったのかしら? それとも代わりの記事を考えるのが面倒だったとか?」


「追悼だろ」と、俺は真面目に答える。


「ああ、そういう考えかたもあるのね」


 シャネルは本当にそんなことには思いいたらなかったとでもいうように感心してみせた。「さすがね、シンク」褒められてもぜんぜん嬉しくなかった。


 まったく、なにが世は並べて事も無し、だ。


 シャネルめ、人様に興味がないにも程があるぞ。知り合いが死んでるんだ、少しは驚いてみせればどうだ。


 いや、シャネルにとってはエトワールさんなんて知り合いでもなんでもないのだろう。名前を覚えていたのが奇跡のようなものなのだ。実際、一度は忘れていたはずだ。


 俺はシャネルの異常性に対しても怒りが湧いた。思わず、シャネルのことを睨んでしまう。


 睨まれたシャネルは、とても悲しそうな顔をして微笑んだ。


「ごめんなさい、シンク」


「なんで謝るんだよ」


「分からないの、シンクの気持ちが。貴方が悲しんでいること、その悲しみを誤魔化すために怒っていることは理解できるのよ。でもその感情は分かっても、どうしてそんな感情になるのかは分からないの……」


 シャネルはたぶん本当にそのことで悩んでいるのだろう。


 俺はいままでさんざんシャネルのことを異常者だと言ってきた。バイオレンスだと。けれどシャネルにとってはそれが正常であり、しかし他人との違いもちゃんと気づいていたのだ。


 シャネルの正常は、他人からすれば異常だ。


 そのことを――好きな人に指摘されてシャネルはどう思うか。


 シャネルだって悲しいのかもしれない。


 本当は俺がシャネルに謝るべきなのだ。


 ごめん、と。


 でも俺はその言葉を出せなかった。


 代わりにせめて優しく抱きしめてやればいいものを、それすらできなかった。


 俺たちの感情はこの部屋の中で宙ぶらりんになった。


 こんなとき、俺は弱い。なにか言ったほうが良いのは分かっているが、なにも言葉がでない。


「ねえ、シンク。孤児院に行きましょうよ」


 でもシャネルは、なんとか会話のタネを見つけてくれた。


「どうしてだよ、お前行きたくないって言ってたじゃないか」


 バカな俺は、会話の芽が出て華が咲く前に手折ろうとしてしまう。


 ここは否定ではなく、なんであれシャネルの言葉を肯定するべきだった。


「でも、孤児院の人たちからすればいまはエトワールさんが死んで悲しんでいるんでしょ? 顔でも出して慰めてあげるべきだわ」


「……そうだな」


「たぶんそれが、普通だと思うから」


 シャネルはあるいは、不安そうにそう繋げた。


 不安。


 それはシャネルには似合わないと思われていた感情の一つだ。


 それを人間味のように俺は感じる。


「そうだな、それが普通だよな」


 俺はシャネルを安心させるように言った。


 それでシャネルは、良かったとその大きな胸を撫で下ろすのだった。



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