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019 勇者の登場、そして逃走


 その豪華絢爛(ごうかけんらん)な馬車がやって来たのは、昼を少し回った時間だった。


 俺たちは2階にある自分たちにあてがわれた部屋の窓から、それを眺めていた。


「ずいぶんと遅かったのね」


 と、シャネル。


 そうなのだ、実際には勇者は朝からこの『サン=タブゥル』の町に入っていた。それは屋敷から出なくても分かる程の騒ぎですぐさま伝わってきた。実際にフミナも朝からきちんと起きていて、俺たちに気の乗らなさそうな顔で「……勇者が来た」と、伝えた。


 それなのに屋敷まで来たのは昼すぎ。観光でもしていたのか、なんのか。なんにせよ、シャネルの言う通り「ずいぶんと遅い」到着だった。


 シャネルと数十体のスケルトンが馬車を出迎えている。


 その顔はどこか緊張の面持ちだ。


 俺もは野次馬のような気持ちで窓から眼下の馬車を眺めている。こうして見れば貴族であるシャネルの馬車よりも数段と豪華だ。しかしシャネルの馬車のように馬車に紋章は入っていない。


 馬車が止まる。


 ――その瞬間、猛烈に嫌な予感がした。


 何度も言うが、俺のこういう予感はよく当たる。それこそ百発百中と言ってもいい。そういえば、アイラルンは俺にスキルをくれた。その名前は『女神の寵愛~シックス・センス~』だったはずだ。まるで超能力に近いような第六感。その正体はこの当たりすぎる「勘」なのかもしれない。


「おい……シャネル」


「なあに?」


 シャネルの間延びした声。その声は俺の高ぶった神経を少しだけ撫でてくれる。


 だが俺は剣に手をかける。


 怖い。なぜだか分からないがそう思う。


「なんとなく、上手く言えない。だけど準備しておいてくれ」


 シャネルは俺の尋常ではない様子にすぐに気がついた。頷くと荷物をまとめだす。まったく本当によくできた旅のパートナーだ。


 馬車からまず降り立ったのは小柄な魔法使いの女性だ。桃色の髪に野暮(やぼ)ったい丸メガネをかけている。だがその顔立ちは整っており間違いなく美人の分類だろう。


 次に降り立ったのはいかにも武道家という感じの女の子。健康的な四肢には自信という名の力が宿っている。こちらも美人だ。


 そして白い修道服を着た少女。ここから見ていても金色の髪の毛はサラサラで、音すら聞こえてきそうだ。その少女は自分の身長よりも大きな杖を持っている。その表情は照れたように微笑んでいて、誰かがその手をひいている。


 手をひいている男――堂々と降りてくる勇者。


 青い鎧。


 大振りな剣。


 そしておそらく染めたのだろう、金色の髪。


 ああ、どこからどう見ても勇者だよ。いかにもな勇者だ。もしもその中身が――お前じゃなければな。


 その顔は一度死のうと忘れない。恨み骨髄(こつずい)に末代まで。こうして見れば、その熱は俺の脳を熱いマグマとなって支配した。


「月元っ」


「まさか知り合い?」


「ああ。俺が復讐を誓った相手だ」


 クラスの人気者。バスケ部に所属していた。そしてなによりも、俺のことをイジメていた奴らの一人。お調子者でアイラルンが5人にギフトをやると言ったとき真っ先に手を挙げたやつでもある。


 髪はあちらの世界では茶髪ぎみにしていたが、こちらでは金髪に染めたのだろう。汚らしい色だ。


 月元は僧侶の女の子と楽しそうに話をしている。馬車から降りるさいにやってみせたエスコートが実に様になっていた。俺にはきっとできない。


「どうするの?」と、シャネルが聞いてくる。


 ――どうする?


 どうすればいいのだ。ああ、そうだ。俺はやつに復讐をする。そして……。


 吐き気がこみ上げてきた。


 まっすぐに立っていられない。


 なんだこれは? まるでそう、イジメられていた頃に無理やり学校に行く前の朝みたいだ。


 トラウマ、という言葉が俺の脳裏をよぎる。


「ちょっと、シンク。顔色悪いわよ」


「あ、ああ……」


 自分でも分かっている。いまにも倒れてしまいそうだ。


 なんでだよ、俺はあいつらに復讐したかったんだ。でもこうして目前に月元が現れるとその存在に気圧されている。


 怖い、とまた思った。


「に、逃げようシャネル」


「一度態勢を立て直すわけね」


 シャネルは俺の怖気づいた心を優しく言い直してくれる。


 怯えた目でシャネルを見つめる。彼女は全てを分かってくれているように優しく微笑んでいる。


「そうだよ、態勢を立て直すんだ……。まだ準備ができてない。まさかこんなにいきなり来るだなんて聞いてない」


「そうね」


 シャネルが荷物を持つ。


 俺はジャケットを羽織る。そして二人で廊下へ。逃げるように一階に降り、裏口から外に出た。


 ……逃げるように?


 バカなことを言うな。俺は逃げているのだ。尻尾を巻いて。日本にいた頃と同じように負け犬として逃げているのだ。


 でも誰が俺を責めることができる!


 相手は勇者なんだぞ、偉そうにふんぞり返って、きっと俺なんかよりも何倍も強いだろう。何度も死線をくぐり抜けてこの場所に立っているはずだ。勝てるわけがない。


「バウッ?」


 屋敷の裏から抜け出すときに、パトリシアがいた。どこか不思議そうな顔で俺を見つめている。


 ごめん、と思った。フミナに謝りたかった。


 俺は弱い人間なのだ、自分のトラウマに負けるような弱い人間なのだ。復讐なんてできっこない、俺は……負け犬(ルーザー)だ。



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