182 イー・アル・カンフー!
朝になって村を出る。
なんだか村人の視線がいやらしかったのだけど。
いや、まじでどうしてそんなに睨むのか俺には理解不能なのだけど。それともこの村の人は全員目が悪いのか? だからかわいいシャネルを見るために目を細めているとか。
ないな。
ガン見されているシャネルさん、しかしまったく意に介さない。
いやあ、すごい精神力だよな。俺だったら耐えられない。
「この分じゃ、そのうち寝込みを襲われるかもね」
「たしかにな」
冗談めかしてシャネルは言うが、それだってぜんぜんありえそうだ。
それくらいこの村の人間がシャネルを見る目には異常なものがある。
「そうなったらきっとシンクが私を守ってくれるわ」
「それ、俺に言ってる?」
まるで星に願い事でもするかのようにシャネルは言うのだ。
「さあ、どうかしら」
俺たちは昨日と同じ山道を歩く。
朝霜が道を湿らせている。少しだけ歩きづらいが。
静まり返った周囲。もしかしたら木々もまだ眠っているのかもしれない。なんてバカなことを思っていると、ドモンくんの家へと到着する。
来るのは二度目なので昨日よりも早く着いた。
ふと見れば、家の前でアイナさんがなにやら体を動かしている。
はじめ、ラジオ体操でもやっているのかと思った。
でも違う。
「アチョー!」
気合の入った――というにはどこか間の抜けた声でアイナさんは拳を突き出す。
「あれ、なにかしら」
「たぶん、拳法?」
俺たちは少し離れた場所からそれを眺めている。
声をかけても良いのだが、もう少し見ていたほうが面白そうだ。
「イー、アル、サン、スー!」
掛け声とともにアイナさんは左右の拳を交互に動かしている。
「どうですか、達人の目から見て」
シャネルが俺にたいしてからかうように言ってくる。
「あれじゃ武というよりも舞だな」
……なんだてめえ。
「筋が悪いの?」
「というよりもあれ、たぶん我流だろ。ぜんぜんなっちゃいないよ」
といっても俺だって奉天の街で師匠にいろいろ教わるまで完全に我流だったわけだ。べつにちゃん
とした拳法をおさめていなくても敵と戦うことはできる。
けれどアイナさんの場合はそれも無理そうだ。
「じゃあなんであんなことやってるのかしら?」
「さあ、健康体操じゃないのか」
なーんて話していると――。
「ふっふっふ、お前らそこにいるのは分かってるアルヨ!」
アイナさんが言ってくる。
なるほど、武術の腕はさておき気配をよむことにはたけているらしい。
俺たちはそろって影から出ていく。
すると……。
「わっ、びっくりしたっ!?」
しかしどうやら違ったらしい。
「お、お前ら昨日のっ! なにアルカ、こんな朝っぱらからっ!」
「私たちのことに気づいてたんじゃないの?」
「あれは格好つけて適当に言っていただけアル!」
うーん、なんだこの子。
想像異常にバカじゃないのか?
どうやらシャネルも呆れているようで、ため息を付いた。
「なんでもいいわ。とりあえず私たちはあの刀鍛冶の人に会いに来たの。もう一度刀をうってほしいとお願いしにね」
「ドモンならいま工房アルヨ。というか昨日の夜からずっとネ」
「ずっと?」と、俺は聞く。
「うん。夜ご飯も食べずにずっとよ」
それはそうとう集中して刀を作る作業をしているということではないのか。
もしかしたら俺たちが来ては邪魔だっただろうか。
「それで、貴女はここでなにをしてたの?」
「見て分からないアルカ? クンフーを積んでたアルヨ」
「それでか?」
思わず言ってしまう。
むうっ、とアイナさんは不機嫌になった。
「文句アルカ?」
「ないあるよ」
ちょっと茶化す。
「私、クンフー積むの好きヨ。強くなる、これ良いこと。強くなれば村の人、私たちのことバカにしない」
はて? どういうことだろうか。
意味が分からない。
「そう、じゃあ貴女はみんなに認められたくてこんなことしてたのね」
シャネルは慈悲深く言う。
案外こういう頭の弱い子に優しいのかもしれない。
もしかしたら、もしかしたらだけど保母さんとか似合うかもね、シャネル。
「ま、そんなところよ。お前らの目から見てどうアルカ? 私けっこう強くなったネ」
「そうだなあ……」
たぶんあれだな、自分意外に比べる相手がいないから自分の強さもよく分かっていないんだろうな。
井の中の蛙大海を知らず、ってやつだ。
うーん、俺も難しい言葉を知っているものだ。
「どうアルカ!」
と急かすようにまた聞いてくる。
「まあまあかな」と俺は曖昧に答えておいた。
別に俺だって人様にものを教えるほど偉くはないからな。
「まあまあアルカ」
「ふふふっ」
シャネルがなんだか笑っている。
「まあまあってどれくらいカ? 小黒竜くらいカ?」
「ぶっ!」
俺は思わず変なものを吹き出してしまう。
シャネルがすかさず背中をさすってくる。
「大丈夫、シンク?」
「だ、大丈夫。というかアイナさん、どうして小黒竜なんだ?」
いきなり俺のあだ名がでてきたものだからびっくりしたぜ。
「そんなのこの国じゃあ子供でも知ってるヨ!」
そういやティンバイの名前も知ってたからな。
考えてみればティンバイはここらへんの出身だったからな。いうなればこの地の英雄だ。ならばその英雄の活躍だって、人づてであろうと広まっているだろう。
「で、アイナさんはその小黒竜に憧れているのかしら?」
「そ、そんななけないアル!」
だから無いのか有るのか分からなねえって。
「ただ、小黒竜は強いと聞いたヨ! だからちょっと真似しているだけネ!」
「貴女、小黒竜を見たことあるの?」
「ないアル!」
もうつっこまないぞ。
というか見たことないだろうな、そもそも眼の前に本人がいるのに気づいてないんだから。
「じゃあどうやって真似しているの?」
「この前、講談師が演ってたので聞いたヨ!」
「おいおい、見て覚えたわけじゃなくて聞きかじりかよ」
これじゃあ見よう見まねですらないじゃないか。
我流というのもおこがましい。
本当にただの舞いだったわけだ。
「でもここ最近ずっとやってるけど、けっこう形になってきたヨ。この分なら次にあいつらが来ても大丈夫ヨ。私が全部やつけるネ!」
「あいつら?」
「そうよ。この前、村に馬賊が来たよ。それでちょっとしかない食べ物とかもっていったヨ!」
「じゃあアイナさん、その馬賊を倒そうとこうやって修行していたのか」
「そうアル! お前なかなか察しが良いネ!」
「ありがとう、よく言われるよ」
それにしても馬賊ねえ……。
こんな不毛の土地でも馬賊がいるのか。
いや、こんな土地だからこそ馬賊家業に身をやつすやつらがいるのか。
そういう非道な馬賊のことをよく匪賊と言い換えたりする。馬賊といえばどうしても正義の味方のようなイメージがついているせいかもしれない。
「でもあんまり危ないことはしない方が良いんじゃない?」
シャネルがやんわりと止めている。
「大丈夫アルヨ! 私強いネ!」
「生兵法は大怪我のもとって言うでしょ。というよりもこの場合は下手の横好きかしら」
アイナさんはきょとんと首を傾げた。
どうやらシャネルの言っている言葉の意味が分からなかったらしい。
それにしてもこの子、大丈夫だろうか。
本当にこんなので馬賊と戦うつもりだろうか? これならドモンくんが戦ったほうが良いと思うけど。なんとかして止められないものだろうか。
うーん、やはり保護者であるドモンくんに説得してもらうのが一番だろう。
なんて思っていると、工房からドモンくんが出てきた。
徹夜明けなのだろう、眠たそうな目をしている。
ドモンくんは俺を見てちょっとだけ笑った。
「よお、榎本。来てたのか」
俺は「うん」と頷くのだった。




