018 この世界のルールと勇者
屋敷に帰り部屋に戻る。
シャネルの姿はない。まだ風呂に入っているのだろう。まったく、長風呂だ。
イライラしてジャケットを脱ぎ捨てる。どうせ後でシャネルが畳んでくれるから良いのだ。
「けったくそ悪い!」
剣を投げつける。
俺は昔から物に当たるタイプの人間だ。だから実家の壁なんかに穴が開いている箇所があったりするが、ここは人様の屋敷なのでそこまではやらない。変わりにこうして物を適当に投げつけるのだ。
悪いクセだと分かっているのだが、治そうにも治せない。このクセを無くすためには世の中の不平不満を全て解決しなければならないのだから。
「ああ、バカバカしい!」
どうして俺はこんなに腹を立てているのか。
考えてみるが実際には分からない。
ただ、変わり果てた日野の姿が俺のまぶたの裏にちらつく。
……そういえば日野といえば、あいつは明らかに俺よりも歳をくっていた。なぜだろう?
「おい、淫乱! 淫乱の女神!」
俺は叫んでみる。
たぶんアイラルンのことだから――。
「因業! い・ん・ご・う! 朋輩、いんしか合っていませんわ!」
ほらやっぱり、出てきた。
「おい、因業の女神」
「なんですの、朋輩」
アイラルンは先程俺が投げ捨てたジャケットを甲斐甲斐しく畳んだ。どうやら俺の周りの女性陣は気が利く娘ばかりのようだ。
「どういうことだ?」
「何がですか?」
「日野だよ、日野。あいつ、俺よりもあきらかに年寄りになっていたぞ」
「ああ、それでしたら言ってませんでしたわね。朋輩とご学友、それぞれ個人によってこの異世界に来たタイミングが違うのです」
「なんだと?」
「つまり、先程の日野さんという方は朋輩よりも23年前にこの異世界に来ているのです」
「ということは、あいつは40手前ってことか」
「そういう事になりますね」
「なんでそんな事をしたんだ?」
「それはあの憎きディアタナへの対策ですわ。異世界からいっきに人を送り込めばディアタナに気づかれる可能性が高くなります。ですので、それぞれを違うタイミングでこの異世界に投入したのです」
「ディアタナ……たしかそれってこの世界の神様だよ。教会が信仰してるっていう。シャネルに聞いたぞ、月と美の女神」
「そうですわ。朋輩たちは現在、そのディアタナが作り出した異世界にタダ乗りしている状態ですの。もしあの女に気づかれれば、朋輩たちは消されるかもしれません」
「なんだそれ。やばいな」
「もっとも、この世界にしっかりと根付いてしまえばその心配もありませんが。ディアタナはこの世界の均衡を壊したがらないはずです。ですので、この世界の人間の多くにその存在を知らしめてしまえば、あちらも迂闊に手は出せなくなります」
「有名になれば殺されない、と」
「ザッツライト、そのとおりですわ朋輩」
しかしなんだ、この異世界はディアタナのものだったのか。
なにげに新設定でたな。
「それで朋輩、他になにか質問は?」
「むしろ他に俺に隠してることないか?」
「人聞きの悪い、隠していたのではなくて言うのを忘れていただけですわ。では、ないという事でしたら私は帰りますよ。こうして時間を停めているのもけっこう疲れるんです」
「おう、悪かったな。ありがとう」
「ふふ、朋輩に感謝されるとなんだかくすぐったいですわ」
なんだそれ。
気がつくとアイラルンは消えていた。あとには彼女の残りがのように、柑橘系の匂いが残っていた。悪くない匂いだった。
なんだかアイラルンと話をすると、苛立ちが消えていた。
そうだ、俺はこの世界に復讐のために来たのだ。だから不幸なクラスメイト一人見たくらいで、悲しんでいる場合ではない。
……そうか、俺は悲しんでいたのか。
やっと分かった。この怒りはあの男への哀れみからきていたのだ。
でも俺だってあちらの世界ではたくさん悲しい思いをした。だから、おあいこだ。
「あら、シンク。どうしたの?」
シャネルが帰ってきた。
ネグリジェとでもいうのだろうか、まるで下着のような服をきている。
正直目のやり場に困ります、なにせ童貞ですからね!
「え、いや……なんでもない」
「服、畳んであるのね。偉いわ」
どこか子供扱いだ。
「別にたまにはな」
嘘、本当はアイラルンが畳んでいったのだ。
「ああ、そうだわ。フミナちゃんに聞いておいたわよ、なにを悩んでいるのか」
「お、それでどうだった?」
シャネルはベッドに座った。
すると、彼女の匂いがただよってきた。こちらはアイラルンとは真逆ともいえる甘い匂いだ。脳髄をとろかせるような匂い、危険なドラッグのようだ。
「勇者、ですって」
「ん?」
「だから、勇者よ。その存在が悩みのタネらしいわ」
どういうことだろうか。勇者が来る、それが悩みだなんておかしい。だって勇者はドラゴンを退治しに来てくれるのだろう。それを喜ぶならまだしも、悩み事になるだなんて。
いや、でも露店の人たちは勇者がくるせいで赤字みたいな商売をさせられていた。
もしかしたら、フミナも?
「まったく、何が勇者よ。たかが魔王を倒したくらいでさ」
「俺、実は外に出かけてたんだけどさ。大通りに露店が建ってたろ? あれ、勇者が来ることをお祝いしてやってるらしいけど、勇者の方からやってほしいって言ってるらしいぜ」
「知ってるわよ。有名な話だわ、やらないとへそを曲げて依頼を完遂しないらしいわよ」
「なんだそれ」
「それが勇者のやることかしら? ガングー時代のミッシェル・アルピーヌを見習ってほしいわ。勇者の中の勇者とまで言われた軍人アルピーヌを!」
「ごめん、知らない人の名前ださないで」
たぶんそれ、今の話と関係ないから。
「あらごめんなさい。でもね、私は勇者ってのは勇敢で人々のために何かをなす人のことだと思うのよ。それに比べていまから来るっていう勇者様はどう? 私利私欲のためって感じがするわ」
シャネルの「勇者様」という言い方にはどこか皮肉な口調が込められている。
「まあ確かに酷いよな」
それで、どうしてその勇者が来ることがフミナの悩みにつながるのだろうか。俺は話を続けてくれ、とシャネルにうながす。
「なんでもね、その勇者はこの屋敷に泊まるらいしわよ」
「へえ、じゃあ俺たちは邪魔かな」
「それは別に良いって言っていたわ、見ての通り部屋はたくさんあるし」
「ふむ」
ただね、とシャネルは続ける。
「どうもその勇者様、フミナの許嫁らしいわ」
「許嫁?」
また古風な言葉を聞いてしまった。創作物の中ではよく聞くものだが、現実ではまず聞いたことのない言葉だ。
「そう、格好いい言葉だとフィアンセね」
「ならなおの事、俺たちは邪魔者なんじゃないのか?」
「って思うじゃない? どうもそうじゃないらしいのよ。許嫁って言っても長いこと会ってないんですって」
「ふうん。でも許嫁ってそういうもんじゃないのか?」
「そうなんだけどね、でもどうも勇者様は今回、その許嫁の約束を破棄するつもりらしいわ」
「許嫁の破棄ねえ……」
「昔はプル・シャロン家の後ろ盾を持って成り上がったらしいんだけど、なにせもう勇者でしょう? もうプル・シャロン家の三女程度じゃあ吊り合わないって、そういうつもりらしいわ」
「ずいぶんと勝手な話だな」
そりゃあフミナも嫌になるだろうな。気が重いのもうなずける。というよりも、腹立たしいというべきか。聞いているだけでも酷い話だ。
「かくしてフミナちゃんはいままさに憂鬱を抱えているらしいわ」
「ふうん」
「で、どうなの?」
シャネルはどこか優雅に自分の銀髪を撫でている。
「なにが?」
「たとえばそれを聞いて、手をかしてあげるとか」
「まさか」と俺は首を横に振る。「俺たちが口出しすることじゃないさ」
「賢明ね」
「ま、聞いてて腹はたつがな」
どうやらその勇者とやら、そうとうなクソ野郎のようだ。なんだか顔を合わせたくないなあ。
「どうしましょう、私達はその勇者様が来たらこの屋敷を出ましょうか?」
「ま、それも一つだな」
でも、そしたらフミナは悲しまないだろうか?
もしかしたら彼女は俺たちにそばに居てほしいのかも知れない。最初はスケルトンだけの屋敷を寂しがっているのかと思った。もちろんその側面もあるだろう。けれど真の問題は勇者関係なのかもしれない。その男と二人で話したくないから、とにかく自分の側に立ってくれるような人間がほしかったのかもしれない。
「そういえばフミナの両親は?」
「それが触らぬ神になんとやらで、まったく干渉してこないらしいのよ。たぶん許嫁の破棄もフミナちゃんのせいにするつもりね」
「まったく、どいつもこいつもだな」
「ま、貴族には貴族の問題があるんでしょう」
そろそろ寝ましょうか、とシャネルが横になった。
そうだな、と頷く。
シャネルがネグリジェの中から杖を取り出し、無言でそれを振る。するとランプの明かりが消えた。
真っ暗になる。
何も、見えない。
「ねえ、そっちのベッドに行っていい?」
暗闇の中で、シャネルの声だけが浮かび上がった。
しかし俺はそれを無視する。
だって恥ずかしいから。
恥ずかしいから!
シャネルは「もう寝ちゃったの?」と、どこか心配したように聞いてくる。
「寝た」と、俺は答えた。
シャネルがクスクスと笑った。
その声がくすぐったくて、首筋がかゆくなる。
そして……俺の掛け布団が揺れた……。
この先、5話くらい展開が少しだけシリアスになります。
苦手なかたにはすいません。




