171 紫禁城での戦い
紫禁城というのは、もちろん俺だって名前は聞いたことがある。
どうやらこの異世界、おおかたの建物の名前は俺がもといた世界と同じようなものらしい。
まるで鏡写しの世界のように、あちらとこちらで同じようなものが存在するのだ。
首都に入った時、そこに住む人々はこぞって手をうちティンバイを歓迎した。
その姿は侵略者のそれではなく、まさしく英雄の凱旋だった。
「貧乏人たちよ、俺様が来てやったぞ! とうとうだ、とうとう来てやったぞ。ハオ、ハオ。この張作良天白が、お前たちのために長城を越えてきた!」
大人も子供も関係ない。
あるいは貧乏人も金持ちも関係ない。
いならぶ市民たちはみんなが手をたたきティンバイを迎える。どこから現れたのか、楽団のようなものたちが楽器をがなりたてる。
まるでお祭だった。
紫禁城の中にいる木ノ下はこれをどのように見ているのだろうか。
俺はティンバイの横に馬を並べる。
この凱旋で副攬把である俺が攬把の隣に並ぶのは当然なのだろうが、しかし限りなく光栄なものに思えた。
「兄弟、とうとう来たな」
「本当だな」
首都には胡同と呼ばれる細い路地がある。それはまるで迷路のような路地だという。そこから子供たちが出てきて俺たちの周りによってくる。
「張天白!」
「小黒竜!」
「おらおら、危ねえぞガキども! はっはっは、相手ならあとでしてやるぜ!」
ティンバイは子供たちに手を振りながら馬をとめない。
子供たちは馬上の英雄を目を輝かせて見ている。
馬賊たちは整然と並び進む。
そして、首都の中央にある紫禁城へと到達する。そのさいまで、一切のいさかいや問題はおきなかった。この街はすでにティンバイのものなのだ。
「いくぞ、兄弟」
「おう」
紫禁城の前は大きな広場になっており、そこに馬賊たちが並んで待つ。
「攬把――」と、スーアちゃんが緊張した面持ちでよってくる。「これからは話し合いですよ」
「わかっている」
もう血は流れない、とそういうことだろう。
しかし、と俺は心の中で思う。
血は流れる。あと一人分。そのために俺はここに来たのだ。
広場の先、大きな門がある。その門は開け放たれていた。
俺とティンバイ、スーアちゃん。そして当然のような顔をしてシャネルがついてくる。中に入るのはこの四人だけだ。
「王宮ね――ベルサイユの宮殿を思い出すわ」
「それってパリィの?」
「ええ。シンク、あっちに戻ったら観光で行ってみる?」
「いいけど、思い出すってことは行ったことあるのかよ?」
「ないわよ」
なんだそれ、と笑う。
「ふふん、女王様が住む宮殿ねえ。いったいぜんたいどんなものか。鬼が出るか蛇が出るか」
「どっちもでねえが、とんでもねえババアがでるぜ」
「話し合いですからね、話し合い!」
スーアちゃんが念を押す。
「分かってるよ」
と、俺は剣を抜いた。
「だからダメですって!」
俺はスーアちゃんの肩を抱き寄せる。
シャネルが気色ばんだのが感じられたが、違うから。
俺は剣を振り抜いた。
「きゃっ!」と、スーアちゃんが息を呑む。
金属同士がぶつかる甲高い音――なにかがとんできた。それや鉄弓だ。
「そういや忘れてたぜ、お前のことをよ」
俺たちの眼の前に、男が立っていた。
背中に武器をいくつもかつぎ、憤怒の表情で俺をにらんでいる。
「小黒竜――お前のせいで、俺は。この国は!」
「俺のせい? バカなこと言うんじゃねえよ」
立っていたのは当然、王だ。
てっきり逃げたのかと思っていたが、まさかまだルオの国にいたとはな。それともすでに壊滅したも同然の北洋海軍だからの将軍の位がそんなに大切なのか。
「お前さえらさえ居なけりゃ、俺はこの国の大元帥になってたんだよ!」
「知るか、その前に国は滅びたさ!」
「うるせえ!」
王が槍を背中からはずす。
「シンク、私がやりましょうか?」
「バカいうなよ、シャネル。あれは――師匠のかたきさ」
俺の心は水のように静かになる。
忘れてなんていないさ、水の教えは。
そして負けはしないさ、こんなやつに。
槍が突き出される。
直線的な動き。
俺はそれをよけるでもなく、ただすでにその槍が到達するタイミングにはその場にいない。むしろ懐にはいりこみ、王の腹に拳を打ち込む。
「ぐっ」
王が槍を手放し、その場に突っ伏す。
「どうした、立てよ」
ゆっくりと王は立ち上がったかと思うと、一瞬にして剣を抜いて俺に襲いかかってくる。しかしそんなものはあたらない。
「なぜだ、なぜよけられる!」
「よけてなんていないさ。お前がもし水たまりに手を入れたとき、水はお前の手をよけたか?」
「水の教えなどと、まやかしだ!」
「力のみをもとめるなど虚しいだけさ!」
王の攻撃は何一つ俺にあたらない。
「兄弟、そんな三下さっさとやっちまえ。俺様は先を急いでるんだ」
「了解だよ、攬把」
「三下だと、この俺がぁっ!」
激昂した王が大ぶりに剣を降る。
俺はそれにあわせて――王の右腕を手首から斬った。
「終わりだな」
俺は剣をおさめる。
利き腕がなければどれだけ才能のある王だといえど俺と戦うことなどできない。
いや、こいつには才能しかないのだ。
才能に溺れた結果、こんな惨めなことになった。
俺には分かる。王は自分が一番強いと思っていたのだ、そしてその強さすらあればこのルオの国で成り上がれると。
そもそも民を救うために国すら壊そうとしたティンバイとはスケールが違う。
しかしまあ、俺だって同じようなものか。流されてここまで来たようなものだ。
ある意味で俺たちは似てるのかもしれない。
だからこそ――引導を渡してやったのだ。
「ティンバイ、行こう」
「待てっ!」
しかし、その俺を王は引き止める。
俺は振り向き、ため息をつく。
王の手にはモーゼルが握られていた。
「待ちやがれ、小黒竜!」
「撃てよ」
「な、なにっ!」
「撃てよ、さっさと。お前には呆れたよ、武人ともあろうものが最後の最後に銃を持つか」
「銃だろうがよけると言いたいのか、それとも切り裂けると――」
「そんなことはしないさ」
俺は王を挑発するようにシャネルに剣を渡した。
そして、王をにらむでもなく冷たく見る。
早くしろよ、とティンバイはあごをしゃくった。
王は引き金をひく。
乾いた銃声がする。
しかし俺の体には傷一つつかない。
「水の教えだと! 銃弾すらもあたらないのか」
「バカか、お前。いくら水の教えがあったところで当たるに決まってるだろ」
そもそも水の教えはそういうものではない。
いってしまえば精神論に近いもので、感覚により相手の攻撃を先読みしているに近い。だからもし意識の外からでも銃を撃たれれば普通にあたる。
いま俺を銃弾があたらなかったのはただ一つの意味――
「俺が真の馬賊だからだ」
もっとも当たっていたとしても『5銭の力』があるから大丈夫だったろうけど。
王はその場に崩れ落ちる。
俺たちはそれを無視して歩いていく。
「お疲れ様」
と、シャネルが剣を返してくる。
「疲れちゃいないよ。ただ、ちょっと寂しいような気分さ」
すくなくとも兄弟子を倒したという達成感はない。
ただただ、終わったのだという感覚があるだけだ。
俺たちは紫禁城の中を中央に向かって歩いていく。周りから宦官だろうか、使用人たちがこちらを盗み見ている。
そのどれもが、この世の終わりという顔をしていた。
階段があった。どういうわけかその中央は龍が浮き彫りにされた道がある。そこは皇帝のみに歩くことを許された道なのだ。
ゆっくり、ゆっくりと階段を登っていく。
そして、中央の一番豪奢な建物へと俺たちは入る。
誰も出迎えなどいない。
まともな会談などではないのだ、これは。
世が世ならばただの侵略であり、一族郎党を皆殺しをしてもおかしくないのだ。だからこそ、この紫禁城の中には諦めが渦巻いている。
仏頂面のティンバイが大きな建物の中へと入る。
中に木ノ下がいるのだ――。
俺は思わず、シャネルの手を握るのだった。




