164 それぞれの春――スーア
明け方。
バカみたいな二日酔いで俺は自分の長屋へと歩いている。
というか俺ってバカか。
はいはいバカですよ。
もう一生アルコールなんて飲まないから。マジで飲まないから。
とか言いつつもあれね、明日になればまた飲んでたりするんだよね。いやあ、怖い。アルコール中毒って怖い。
ま、俺は中毒じゃないけどね。
違うよな?
「はあ……はあ……」
息があがる。
といっても疲れているわけではない。
何度も言うようだが二日酔いなだけだ。
「二日酔い、今夜も飲めば、三日酔い」
まったく面白くもうまくもない俳句。というよりも川柳を口ずさむ。
「それが続けば、いつかは死んじゃう」
べつに下の句をつけたからといって短歌になるわけでもない。
俺は歩いているだけで死にそうになっている。
「クソ……家が遠いぜ」
空はしらんでいる。
朝が来るのだ。
「ああ……朝日が目にしみる」
なんでも良いけど、独り言ってつぶやいてるとバカみたいだよな。
バカなんだけど。
なんて思っていると、長屋の前にスーアちゃんが立っていた。
「なんで?」と、俺は言う。
「……あれ? シンクさん。おはようございます」
「おはよう。なにしているの?」
「いえ、ただ朝なので。太陽の光を浴びようと思って」
「そうだな、朝だな」
「シンクさん、お酒臭いですよ」
「さっきまで飲んでたからね」
というかほとんど寝てねえ。酔いつぶれて気絶のように意識をなくして、目を覚ましたから酒場から出てきたのだ。
そういう意味では二日酔いですらないかもしれない。
ほとんどまだ酔っているようなものだ。
「大丈夫ですか? お水でもいりますか」
「もらえる? 今日も可愛いね」
前後の話しがまったく繋がっていない。
文脈って知ってる? 俺バカだから知らない。
「えっ? あの……」
いやはや、酔っ払って女の子を口説くおっさんの気持ちが分かるね。
なんていうかあれね、酒が入ると女の子が可愛く見えるね。もちろんスーアちゃんはいつでも可愛いけど。
「いやあ、可愛いなぁ。そういや春だね」
文脈のやつ、元気にやってるかな……。
「は、春ですね」
お、ひいてるひいてる。
というか俺が惹かれてる。
やっぱりスーアちゃんは可愛い。俺の中のロリコンさんが暴れだしている。
もちろん俺はおっぱいが好きだ。シャネルが好きだ。
でも、こういうツルペタな子も良いよね!
「あ、あのシンクさん? お水……」
「もらう。中、入っても良い?」
「どうぞ」
あ、入れてくれるんだ。
なんだかスーアちゃんの目が潤んでいるぞ。
これはもしかして……もしかしてあれか? 押せばイケるやつか?
いきたい……。
でも悲しい、シンク童貞だから! うまいことできる自信がない!
俺はスーアちゃんの部屋へと入る。
よろよろと鳥かごへと近づく。
「チュンチュン、チュンチュン」
「え、シンクさん鳥の言葉わかるんですか!?」
「は、分かるわけないじゃん」
というか小鳥も寝てるし。
まあでもここ異世界だからな、探せば鳥の言葉が分かる人くらいいそうだけど。
「なーんだ、そうなんですね」
はいどうぞ、お水です。と、スーアちゃんは水をくれる。
一口飲むと、信じられないほどに美味しかった。
どうして二日酔いのときの水ってこんなに美味しいのだろうか。スポーツドリンクだったらもっと美味しいんだけど。
「もう一杯どうです?」
「もらう」
「はい、どうぞ」
ごくごくと水を飲んだ。
スーアちゃんは俺を見て微笑んでいる。
「なに?」
「あ、いえ。ただシンクさん……私のお父さんみたいだなって」
「父親?」
そういえば俺の父親もバカみたいにアルコールを飲む人だった。
幼い頃は二日酔いになって機嫌の悪いオヤジのことをバカみたいだと思っていたけど、なんだよ、俺も同じような存在になっちまったってわけか。
「お父さんは、頭の良い人だったんですよ。科挙の試験にも合格して――宮中につかえていたんです」
「すごいじゃないか」
つまり政治家みたいなものだったってことか。
トンビがタカ、ではなくトンビがトンビをということだ。
親譲りの聡明な頭をスーアちゃんは俺たちのために使ってくれている。それは民のためにだ。
「でも宮中で失脚して……家にこもってからはお酒ばっかり飲んでました」
「あはは、俺は失脚してねえのにお酒ばっかり飲んでるよ」
「飲み過ぎはダメですよ」
「気をつける」
俺は、思わずスーアちゃんの肩を抱いた。
自分でもどうしてそんなことをしたのかは分からない。ただいうなれば、抱きたかったから抱いたのだ。
スーアちゃんは体をこわばらせるものの、しかし俺のことを受け入れてくれた。
「あ、あの……シンクさん。ダメですよ」
と、言葉では言うものの、行動ではしめさない。
「なにが?」
と、俺は半分酔っているような頭で聞く。
「シャネルさんが……」
シャネル? と、首をかしげる。
シャネルのことをすっかり忘れていた。さっきおっぱいのことを考えていたときは覚えていたのに、スーアちゃんを抱いてからすっかり忘れていたのだ。
「言わないでくれよ、シャネルのことは」
浮気だな、これはと思いながらも俺はスーアちゃんを強く抱きしめる。
スーアちゃんは嬉しそうに目を閉じると、しかし首を横に振った。
「ダメです」
スーアちゃんは俺との間に手を入れて、俺を突き返すようにして身を離す。
「ダメ、か」
「あの、私、その、嫌いじゃないです、シンクさんのことは」
「ありがとう」
「むしろ、好きです、ず、ずっと。最初に、あ、会ったときから」
スーアちゃんはどもりどもりで俺に言ってくる。
まったく、アルコールさえ入ってなければ素晴らしい告白だったんだけどね。
やっぱり酔って女の子を口説くのってダメだよね。
「あ、あの……感謝もしてます。この場所に連れてきてくれたことを。私だけじゃ、きっとダメでした。気持ちだけで、なにも行動できずに、それで、それで……だから好きです。シンクさんの、こと」
「ありがとう」
「でもダメです。シンクさんにはシャネルさんがいるんです」
「そうだね」
「だから、ダメです」
スーアちゃんは泣きそうになりながらもしっかりと俺にそう言った。
言われてから、俺は恥ずかしくなった。
どうして俺はこんなふうに軽い気持ちでスーアちゃんを抱こうとしたのだろうか。自分が情けない。
そういう意味では、雰囲気に流されないスーアちゃんはしっかりものだ。
「もしも、シャネルさんよりも先に会えていたら、良かったんですけど」
「そしたら――?」
「そしたら、シンクさんの一番大切な人になれました」
でももうダメですよ、とスーアちゃんは笑った。
そうだな、と俺は頷く。
水は飲んだ。酔いも覚めてしまった。良い夢を見させてもらったよ。
「ごめんな」
「シンクさんが謝ることじゃありません、誰かが悪いわけでもないんです」
ペコリ、とスーアちゃんは頭を下げた。
俺はなにも言わずに出ていく。
振られたわけだ、それもこっぴどく。
「逃した魚は大きいですわよ」
「うわっ、びっくりしたっ!」
いきなり俺の後ろにアイラルンが立っていた。
まったく心臓に悪い現れ方をしてくれたもんだ。
「朋輩、でもあれでいいと思いますわよ」
「うるせえな。知ってるか、そういう覗きのこと『出歯亀』って言うんだぜ」
「あら朋輩、出歯亀は殿方専用の罵倒ですわ」
でもよくそんな言葉を知ってましたわね、とアイラルンは俺のことを褒めているのかバカにしているのか。
「ときどきな、シャネルが言うんだよ。難しい言葉を」
「先生ですものね、ものを知らないシンクさんに教えてくれているんですわよ」
「余計なお世話だよな」
「でもシンクさんはそんなシャネルさんが好き」
「なんだ、お前。もしかして俺とシャネルをくっつけようとしているのか?」
なんだ、あれか、近所の世話好きのおばさんか。いまだに田舎にはいるのです、結婚適齢期になればお見合いを斡旋してくるおばさんが。
「朋輩、何度も言いますがわたくしはシャネルさん押しですわ」
「信者だからか?」
「ザッツライト、そのとおり。ちなみにわたくしもおすすめですわよ。しかし女神様ルートは苦難の道なので、そのつもりがあれば覚悟してくださいまし」
「俺はゆとり世代だからそういうツライのは嫌なんだよ」
でもゆとり世代っていつからいつまでだ?
もはやあれ、若者をディスるときにとりあえず使われてる言葉じゃないか?
「なんにせよ朋輩、スーアちゃんのことは残念でしたね」
「本当にな」
「あそこでもう少し押せば、いけてたんでけどね。優しい言葉でも吐きながら」
「え、マジ?」
「マジです。これだから童貞は、ときには押すことも大事ですわよ。シャネルさんとのときはお気をつけて」
マジかよ……。
いや、でもだからどうしたって言うんだ。
浮気はダメだよな。
俺はそう決心して扉を開ける。
シャネルは俺が帰ってきたと見て、すぐさま笑顔を向けてきた。
「おかえりなさい、朝帰りね」
「ただいま、へんなことはしてないぞ。」
少しだけ罪悪感。でも浮気はしてないから。できなかった、というべきかもしれないけど。
はは、世のハーレムを築いてる男性諸君はすごいな。同時に女の子を抱きしめても罪悪感がないんだから。俺にはできないな、そもそも童貞だし。
「信じてるわよ」
シャネルはふふふ、と笑っている。なんだか甘えるように俺に身を寄せてくる。
甘い匂いがする。
浮気、しなくてよかったなと俺は思うのだった。
スーアちゃんは悪いけど。




