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158 寝不足シャネル


 戦争というものを、俺はよく分かっていない。


 たとえばいままでの馬賊同士の戦いはいわば抗争のようなもので、戦争と言うのとは違う気がする。それとも、その規模が大きくなればそれは戦争と呼ばれるものなのだろうか?


 戦争が起こる前といえば、多かれ少なかれの予兆のようなものがあるのではないかと俺は考えていた。


 しかしそうではない。


 なんだか台風の目に入ったように、奉天の街には不思議な安寧あんねいというか、優しい時間が流れていた。


 本当にティンバイは長城を越えて戦争をする気なのだろうか?


 そんなことすら思ってしまう。


 馬賊の仲間たちだってそうだ。正月が終わってもなかなか奉天には帰ってこなかった。話によれば、帰ってくる日程に期限などはないそうで、みんな故郷の方で暇になったらぼちぼち奉天に戻ってくるそう。


 出揃うのは春頃。


 なんなら戻ってこない人間もいて、だとしても罰則などがあるわけではないらしい。


 馬賊だって出稼ぎ労働の一つなのだ。自分が満足する分のお金を稼げばそれで良い、という人も一定数いるのだ。


 ……それにしても、退屈だ。


 先日の『昔日の大鏡』の一件が解決して、またもや暇な期間が来てしまった。


 忙しすぎるのは体に毒だが、暇すぎるのは心に毒だ。


「シャネルさん、シャネルさん」


「なあに」


「暇、なんですけども」


「あらそう、あいにくと私は忙しいわよ」


 俺は頬をふくらませる。


 まあたしかにシャネルはここのところずっと翻訳作業をしているからな。言葉ってのはすごい、なんて思う。だっていくつもあるんだぜ?


 いったいこの世に言葉っていくつあるのだろうか。


 広辞苑に乗ってない言葉とかあるのかな? ――あるだろうな。


 まあなんにせよ、そのたくさんの言葉を一つずつ翻訳しているのだ、それは膨大な作業量だろう。


 なんでもいいけどシャネルさん、こんなに胸が大きいとものを書いてるとき疲れないだろうか?


「ねえ、肩こってない?」


 さりげな~く、聞いてみる。


「え? そうね、少しこってるかもしれないわ」


「じゃあさ、じゃあさ、もんであげるよ!」


「あら、いいわよ。気を使わせちゃったかしら?」


「いや、ぜんぜん。大丈夫だって」


 なにが大丈夫なのかわからないけれど、とにかく無理やり言葉をつなげる。


「なあに? あ、分かったわ。そんなこと言って自分がもんでほしいんでしょう?」


「え、いや。そんなわけじゃあ……」


「ほらほら、遠慮しなくてもいいのよ。そこに寝転がって」


「え、寝転がるの?」


 肩をもむのって普通、座ったままやらない?


 とはいえ素直に寝転がる。


 あれ、これじゃ、あべこべだぞ? 俺がシャネルの肩をもむはずだったのに。


 それでついでに手が滑ったとか言って胸ももむつもりだったのに。


 ……ま、これはこれで良いか。


 シャネルが俺にまたがる。


 そして、肩甲骨のあたりに手をやる。力を入れてもみはじめた。


「どう、痛くない?」


「大丈夫、気持ちいい。あ、でももう少し力を入れてくれても良いかも」


「こう?」


「あー、いい感じ」


 うーん、これは肩がやわらぐわぁ。


 しかしあれだ、逆にへんなところが固くなってくるぞ。


 なんせシャネルが俺の上に乗っているのだ。やわらかい……これは太ももだろうか? 感触が腰のあたりに伝わってくる。


 それにしてもどうしてシャネルはこんなに軽いのだろう。胸もかなりあって、身長の女性にしては大きい方なのに。


 謎である。


 でもまあ、重いよりは良いだろう。


「寒くなると肩がこるって言うわよね」


「そうなの?」


 うむ、たしかに最近さむいからな。


 いったいいつになれば奉天に春が来るのだろうか。でも春がくれば戦争が始まるのだろうし。戦争か……嫌だなあ。


「そこでね、シンク。私考えたのよ」


「なにを?」


「暖かくすればいいのよ」


「へえ、すごい。シャネル天才かよ」


 なに言ってんだ、こいつ。


 ああ、そうか。火鉢の温度をもっとあげたいってことか。


「というわけで、どうかしらシンク。私の火属性魔法で温まってみない?」


 俺は体をおこし、迅速にシャネルと距離をとる。


 シャネルがひっくり返るが、それどころじゃない。こっちからすれば命の危機だった。


「なに言ってんの!?」


「いきなりびっくりするじゃない」


「それはこっちのセリフだ! 殺すつもりかよ、お前の魔法なんてうけたら死ぬわ!」


 全身大火傷だよ!


 さすがに頭おかしいぞ、さすがにシャネルでもここまでバイオレンスじゃなかったぞ、さすがに、さすがに!


 もしかして酔ってるのか?


 それとも毎日仕事をしないでぐうたらしている俺にとうとう嫌気がさしたのか。


 いや、そんなはずがない。


 はっ、と俺は気がつく。


「お、おいシャネル。お前、目の下にすごいクマないか?」


「クマ? さあ、悪いけど鏡もなしに自分の顔を見ることはできないから」


「聞いてもいいか? 最後に寝たのはいつだ?」


「昨日は寝てないから、一昨日かしら? あら、それとももう2日も寝てないかしら」


「おいおい、よくそんなに起きてられるな」


「と言っても、少しだけ寝てるのよ? ガッツリは寝てないだけで、5分くらいずつ」


「なんだそれ?」


「カブリオレ家直伝の睡眠方法なの、ショートスリーパーって聞いたことない?」


「あるような、ないような……」


 いや、だとしてもすげえけどな。


 5分寝るってどういう状況?


 俺なんてちゃんと寝ないと頭がぜんぜん回らないからな、そういう意味ではシャネルってすごいなとずっと思っていたのだ。


 しかしさすがに限界がきているのだろう。あきらかに頭がおかしくなっている。


 いや、頭がおかしいのはいつものことだが。


「でもシンクがそこまで言うからには、さすがに寝ましょうかしら」


「そうしてください」


 と、俺はむしろ頭をさげる。


 このまま寝ないとマジで死ぬぞ。


 それにほら、睡眠不足はお肌に悪いらしいし。ここはね、ゆっくり寝てほしいものです。


 別に下心とかないから、寝てるシャネルにいたずらしようとなんて思ってないから。


 本当にないからね、下心。


 いえばいうほど怪しくなる。


「じゃあそうするわ。ちょっとシンク。出ててくださる?」


 シャネルはどこかよそよそしい、丁寧な言い方をする。


「出るの?」


 まさか俺の下心がバレたか?


「人に寝顔を見られるのは……恥ずかしいから」


 しかし違ったようだ。


 シャネルは本当にただ恥ずかしそうに頬を染めている。


 ……可愛い。


 その可愛いシャネルにめんじて、よろしい。外に出ましょう。


 どうせ暇だったしね、外でなんかするのも良いさ。


「じゃあ、俺は外に出てるから」


「少し寝たら大丈夫だから」


 ふわっ、とシャネルはあくびをした。やっぱり眠たかったようだ。


「お大事に」


 と、それがあっているのか間違っているのかわからない言葉を送り、俺は長屋を出る。


 ――寒っ!


 出た瞬間に冷たい風が俺の体にビシバシとぶち当たる。


 いやいや寒すぎでしょ。これ何度くらい? マイナス行ってるでしょ。


 ここで雪国豆知識。じつは雪の降っている日のほうが寒くない。


 あれなんでだろうね、不思議だけど体感ではそうなのだ。


「風がつめたいからかな」


 なんて言いながら俺は隣の家――というか長屋だから部屋?――の扉をノックする。


 もう散歩にでる気なんてさらさらない。とにかく暖をとりたい気分だった。


「はい? 誰ですか」


 中から声がする。


 どこか怯えたような声だ。


「俺、俺。俺だよ」


「オレ、さんですか?」


 あきらかに警戒した声。


 そりゃあそうだ、これじゃあオレオレ詐欺だ。


「シンクだよ、シンク」


「ああ、シンクさん」


 扉が開けられる。


 スーアちゃんは安心したような表情で俺を向かえてくれた。


「いやあ、シャネルに追い出されたんだけどさ。散歩でもしようと思ったら外が寒くて」


「そうなんですか。たしかにシャネルさんがいませんね」


「むっ……」


 なんだろうか、あれだ。


 この異世界に来てからというものの、ほとんどずっとシャネルと一緒だ。そのせいで俺が単独行動をしているだけでこうして珍しがられる。


 俺だって男の子だし、一人でできるもん!


「とりあえずどうぞ中へ」


「入っていいの?」


「だってそのつもりで来たんですよね」


 まあそうだ。


 けど女の子の家に一人で入るってのもな。俺ったばけっこう大胆だ。


「おじゃましまーす」


 これでとりあえず凍死の心配はなさそうだ。



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