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149 独立したらしいよ


 とうとう独立の宣言がなされた。


 ……らしいよ。


 いや、だって俺知らないしそんなの。しょうじき関係ないね。


「なあ、ダーシャン。独立したって本当かよ」


「らしいな」


 デブのダーシャンはマッチを近づければ燃えるような強い酒を飲んでいる。俺はそんなやばめのアルコールなんて飲めないから、ちょっとした果実酒だ。


「シンク、あんまり飲んじゃダメよ」


「はーい」


 場所はいつもの酒場。ここはダーシャンの一味のたまり場だった。


 ダーシャンは2階の部屋を借りて寝泊まりしているので、彼にとっては家でもある。


 しかしいつもならたくさんの下っ端馬賊でごった返す店も、今日は静かだ。


 客が少ないのだ。なんと俺とダーシャン、それに暇を持て余したシャネルしかいない。それもそのはず、正月が近いのだ。


 正月だよ、正月。


 クリスマスはないけど正月はあるのだ。いわゆる旧正月というやつだろうか、俺はそこらへんの暦の関係はよくわからないけど、とにかく正月がすぐそこまでやってきていたのだ。


 だから馬賊たちはそれぞれ故郷に帰ったりしている。


 馬賊ってのはようするに出稼ぎの労働者みたいなものなので、こういう長期休暇には家に帰るのが普通なのだという。


 ダーシャンは故郷なんてないぜ、と奉天に残っているらしいが。


「にしてもなあ、独立って言われてもぜんぜん実感わかないよな」


「シンクもかよ、俺もだぜ」


「ようするにこの国が二つに分裂したってことでしょ? わりと大問題だとは思うけど、まあ町の人もそうよね。あんまり慌てたりはしてない様子だわ」


 独立にあたって、周辺の町や村にはふれが出された。その内容とはけっこう簡単で、従うものは許し、逆らうものは潰す、とただそういうものだった。


 ティンバイらしいといえばティンバイらしいのだが。


 これにたいして、周囲の町からは続々と恭順の意を伝える使者が集まってきているらしい。


「ううっ……飲みすぎたかな」


 ダーシャンが青龍刀を支えにして立ち上がる。


「おい、吐くんなら外に出て吐けよ」


 酒場の中でなんて吐かれたら溜まったもんじゃない。


 そういえば、この国の酒場ってのはたいてい二つの種類がある。俺たちがいまいるようなテーブルをいくつも並べて、そこに店主が給餌に回るタイプのもの。ま、たいていの飲食店と同じだ。


 それとL字型のカウンターの前に椅子を置いたもの。こっちは感覚的にバーのような感じだ。ま、俺だってバーなんて小洒落た場所にはいったことないのだけど。


 これがどういう違いかというと、前者は適当に飲むときに使われ、後者は女を口説くときに使われるというわけだ。


 もっとも俺はシャネルを口説くためにそんな酒場にいくつもりなんてないんだけどね。


 さて、そのシャネルさん。俺たちとは違うテーブルに座って何やら書物をしている様子。


「なにしてんの?」


 と、覗き込む。


「ラブレターでも書いてるように見える?」


「いや、見えないけど」


「これね、翻訳よ。シンクが教えてくれたんじゃない」


「ああっ、あれか」


 たしかに、シャネルはせっせと文字を書いている。右にはアルファベットを崩したような文字、左には漢字を崩したような文字。うーん、どっちも読めそうで読めない。漢字のほうはわりと分かる気もするんだが……。


 そういやこの世界って、文字は違っても話す言葉は一緒だから翻訳とかはけっこう楽そうだな、なんて思いながら果実酒をあおるように飲む。


 気分はほろ酔い、一番楽しい時間だ。


「おおい、シンク」


 外からダーシャンが声をかけてくる。


 どうやら胃の中のものを出し終わったようだ。俺の敏感な鼻が酸っぱい臭いを感じ取る。


「なんだ?」


「お客さん」


「だれだよ」


 外に出る。俺がここにいることを知っている人間なんてそういないから、たぶん馬賊関係だろう。


 外にいたのはハンチャンだ。いかにも辛気臭そうな顔をしている。


「おはよう、シンク」


「なんだ、ハンチャン。また麻雀か?」


 この前のはけっきょくティンバイの大負けだった。そのおかげでフウさんはほくほく見たかったけど。


「いや、そうじゃない。けど攬把ランパが呼んでいるというのは正解だ」


 酒場の中からシャネルも出てくる。


「なあに、シンク。どこかへ行くの?」


「そうだな、呼ばれてるらしいから」


「じゃあ私もついてくわ」


 そうなると思ったので、俺は良いか? とハンチャンに聞く。


 ああ、とハンチャンは頷く。


「俺はさきに馬で攬把の屋敷に行っている。お前たちはゆっくりと来い」


「おう。あ、それと師匠はどうなった?」


 ハンチャンは首を横にふる。どうやらまだ目を覚ましていないようだ。


 師匠はあれいらいずっとティンバイの屋敷にいる。もう一週間ほどになるだろうか、目を覚まさない。医者が言うにはいつ目を覚ましてもおかしくはないそうだが。


 それは逆に、いつまでも目を覚まさない可能性があると言っているようなものだったが。


「じゃあ、さっさと来いよ」


 ハンチャンはさっさと馬に乗り、ティンバイの屋敷へ。


 ハンチャンも家族がいなく、故郷がないから正月でも奉天に残っているのだな、と俺はいまさらながら気づいた。


「なあ、シンク。攬把に会ったら仕事をくれって言っておいてくれよ」


「おう、分かった」


 正月ともなればどこの馬賊もお休みで仕事なんてないのが現状だ。


 だから俺たちのやることなんて、奉天をぶらぶらして警備と言い張るか、こうして昼間っから酒をあおるか。ま、正月の馬賊なんてそんなもんだ。


 それだけとさすがに体がなまるから、たしかにそろそろ戦闘の一つでもあれば良いが。


 俺はダーシャンに小銭を渡す。今日の酒代だ。


「お前、話終わったら帰ってこいよ」


 と、ダーシャンは寂しそうに言った。


 こいつはこいつで暇なのだろう。


「そこらへんで女でも捕まえろよ」と、俺は冗談を言う。


「バカ、俺に釣り合う女なんていねえよ」


「それって体重の話?」


 殴られそうになったので軽く避ける。笑いながら手を振った。


「じゃあな」


 少し酒が入ってるから上機嫌だ。


「シンク、この国にきてから楽しそうね」


「そうか?」


 べつにそんなこともないけど。


 馬賊家業なんて命さえかければ気楽なものだと思われるかもしれないけど、これでいろいろ大変なんだ。


 たとえば俺なんて変に有名になっちゃったから、そこらへんで立ちションもできない。


「ええ。それにしても、雪、降ったみたいね」


「ああ、そうだな」


 昨晩だろうか、俺の知らない間に雪が降っていたらしい。


 道のわきには少しだけ雪が残っている。シャネルはそれを物珍しげに眺めている。


「もしかしてシャネル、あんまり雪は見たことないのか?」


「まあね、村じゃあぜんぜん振らなかったから」


 そう言って、雪をすくうシャネル。その口元は少しだけほころんでいる。


「聞いた話だと、これからどんどん降るらしいぞ」


「ふうん、楽しみね」


「お前それ、雪が降ったら辛いってことを知らない人間の言葉だよ。いざ降ってみろ、さっさとやんでくれって言い続けることになるぜ」


「そういうものかしら?」


「そういうものさ」


 シャネルはわざわざ雪の残っている場所を歩いていく。


 初めて見るかもしれない、彼女のこんな子供っぽい動作は。


「ぜんぜん変わらないわね」


 と、シャネルはつぶやいた。


「なにが?」


 俺は空を見上げる。どうやら雪はとうぶん降らなさそうだ。


「独立しても」


 そうだな、と俺は頷くのだった。



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