148 医者の治療
ティンバイの屋敷につく。
いつだってこの屋敷には馬賊見習いの小僧たちがつめていた。
「あ、小黒竜さん!」
「挨拶は後だ、ティンバイはいるか!」
「総攬把でしたらいますが、就寝されているはずです」
「叩き起こせ!」
「え、しかしそれは……」
「ええい、こっちは人の命がかかってるんだ。さっさと門を開けてくれ、それと医者だ、医者!」
「わ、分かりました」
大きな門が開けられた。俺は師匠を背負って、まるでなだれ込むようにして屋敷に入っていく。土足のまま廊下を走り――ティンバイの部屋へ。
「あら、シンクさん?」
途中でフウさんとすれ違った。
「あ、フウさん」
なんだ、この人。ティンバイの屋敷に住んでるのか?
もしかしてデキてるのか、知らんけど。
フウさんは廊下までつきそうなくらいの長い髪をゆらゆらと振りながら、こちらに近づいてくる。
「その人、大丈夫?」
「大丈夫じゃないんですよ、俺の師匠なんです。医者に見せたいんです」
「それは大変ね、医者なら屋敷のすぐ近くにつめてるはずだから、まあ少しすれば来るでしょう」
「本当ですか!」
そのとき、ガラッとティンバイの部屋の扉が開いた。
「うるせえぞ、こんな夜に! ……って、兄弟か。なにしてんだよ、お前」
「ティンバイ、大変なんだ!」
「そりゃあお前、大変なことがねえと俺様のところに慌てて来ねえだろうけどよ。ん? それ、もしかして李小龍か?」
「そうだよ!」
「え、あの有名な?」フウさんは初めて会ったのだろう。「ただの小汚い老人に見えるけど」
「失礼なこと言うな、にしても李小竜をここまで痛めつける……兄弟がやったのか」
「なんで俺がやるんだよ!」
「だろうな」
ティンバイはなにかを考えているようだ。その目がいつにも増して鋭くなる。
「医者がつきました!」
どこかから叫ぶような声がした。思った以上に速かった。
「おう、通せ! 兄弟、こっちの部屋にこい」
「ああ」
俺は師匠を背負ってティンバイについていく。師匠の体は悲しくなるほどに軽い。もしかしたら魂すら抜けているのかもしれない。
簡素なベッドの上に師匠を乗せる。ここはもともとなんの部屋なのだろうか、もしかしたら治療用の部屋なのかもしれない。壁には人体解剖図のようなポスターが貼ってあった。
医者は初老の男性だった、おそらく寝ているところを起こされたのだろう。眠たげな目をこすって部屋に入ってくる。
「患者ですか?」
「おう、そうだ。治せるか?」
「見てみないことにはなんとも……」
医者は持ってきていたカバンの中から魔片を取り出す。
「おいおい、もう少し上等なのを使え。この人は李小龍だぞ」
「え、あの!?」
医者の男も驚いたようだ。
俺はよく知らないが、師匠はこの国ではそうとうな有名人らしい。俺のネームバリューだって最初は李小龍の弟子、というところから始まったのだしな。
「なあ、魔片を使うのか?」
ティンバイは魔片を嫌っていたはずだが。
「当たり前だろ、治療するんだ」
「でも良いのか?」
「これを嗜好品として楽しむやつはいけねえよ、けれど本来の用途である治療用なら俺様も禁止しちゃあいねえ」
どうやら魔片というのはもともと薬だったらしい。
「ようするに魔力の結晶体ですからね、たとえば異国では液状に加工されてポーションとして売られていますよ」
「へえー」
そうなのか、ポーションって魔片からできていたのか。
俺も何度か飲んだことがあるが、あれはすごい。めちゃくちゃ効き目のあるエナジードリンクって感じだ。戦時中よく飲まれていたヒロポンってあんな感じなのだろう。
……やっぱりポーションってやばくね?
ようするに麻薬みたいなもん? というか大麻? あぶないお薬?
「とりあえず、外傷はなんともなさそうです。内臓に関しては魔片と治療薬であるていど治るでしょうが。ただ意識を戻すのにどれくらいかかるか……あるいは一生意識を取り戻さない可能性も」
「ふん、つまりは分からねえってことかよ」
「は、はあ」
医者は曖昧に頷いた。
「師匠、やばいのか?」
「どうも体の外というよりも中をぐちゃぐちゃに壊されているようで。いったいどうやればこんなことになるのか、私には皆目検討もつきません」
「あの男……」
俺は王と名乗った男に恨みをむける。
いま思い出しても腹の立つ男だった。
「兄弟、ちょっと来い」
ティンバイが俺を外に連れ出す。
「ああ」
部屋の中では医者とフウさんがなにやら話している。「水魔法は?」「この国に魔法を使える人間はほとんどいませんよ。私も無理です」「遅れてるのね、それともそういう進化はしたくなかったのかしら?」
いったいなんの話をしているのだろうか。
――フウさんは魔法を知っている?
だからどうした。
「それで、兄弟。誰にやられた」
「分かるのか?」
「顔を見りゃあな。兄弟もやられたんだろ」
「負けてはないぞ、いいとこ引き分けだ」
もっとも、あのまま続けていたらどうなっていたか。俺は魔力をほとんどつかいつくしていた。かたや相手は剣が折れただけ、武器ならまだまだ背中に背負っていたのだから。
「そうとうな手練か?」
「ああ、強かった。俺も初めて見る男で、北陽海軍の王って名乗った」
それがなにか知らないが。
けれど耳で聞いた感じ、軍隊なのだなということはわかった。
「北陽海軍? それで王って名前……まさか『武科挙の王』か?」
「なんだ、それ」
「北陽海軍の王将軍っていったら、まあこの国じゃあかなり有名な将軍だな。科挙の武人版である武科挙に合格して鳴り物入りで北陽海軍に入隊したっていう将軍でな。数年前にドレンスとの小競り合いで軍を指揮して勝利したとかで有名になったんだ」
「そうなのか」
「ま、いまじゃあ俺様のほうが有名だし、民からの人気もあるがな」
「そういう自慢いいからさ」
「そうか? にしても王将軍か。話によると李小龍の弟子って噂だったが、どうせふかしだろうとたかをくくっていたんだがな」
「たぶんそれ、本当。俺の兄弟子だった言ってた」
「ふうん……兄でしねえ。それで兄弟、この落とし前は考えてるんだろうな」
「もちろんだ、次は負けない」
別に勝算があるわけではないが。
「相手はルオの正規軍だ、どっかでかち合うことになるだろうぜ」
ティンバイは頑張れよ、と俺の肩を叩く。俺はああ、と頷いた。
「ま、俺様はお前が負けるとは思ってねえよ。そうだろ、兄弟」
「当たり前だ」
眠いから俺様は寝るぜ、とティンバイは戻っていく。
俺はありがとうな、と手を振った。
「ふっふっふ……」
部屋の扉を少し開けて、フウさんがこちらを見ていた。なんだかニヤニヤしている。
「なんっすか?」
「男同士の友情……良いわね」
なんだこの人、もしかして腐ってるタイプの人か?
「で、師匠は大丈夫そうですか」
「さあ? でもお医者さんは今晩つきっきりで見てくれるそうよ。死ぬことはないでしょうね」
「それだけ聞ければよかったです」
俺はティンバイの屋敷を出ようとする。
「あら、帰っちゃうの?」
「シャネルが家で待ってるんで」
「そう、シャネルさんによろしくね」
その目は、どこか笑っていないように見えた。
なんだか不気味な人だな、と俺は改めてフウさんを見て思った。
なんだか彼女の美しさは、仮初の……作り物みたいだった。
ふふふ、とフウさんはまた笑った。




