139 奉天帰還、久しぶりにシャネルと一緒
奉天の街に帰ったときは、もう夜だった。
「兄弟、今日はさっさと帰ってやりな。明日は休みで良い」
「そうかい」
ティンバイはリンシャンさんと会ってからもまったく落ち込んだ様子は見せなかった。最初こそ取り乱したが、いつもどおりのティンバイだ。
けれど、それはティンバイなりに無理をして平常心をたもっているのだろう。
英雄は大変だ、と思う。落ち込む暇もない。
「じゃあスーアちゃん、またね」
「は、はい」
たぶんティンバイと2人きりになるのが怖いのだろうが、いつまでも俺がそばにいるわけにはいかない。慣れていくしかないのだ。
俺はティンバイとスーアちゃんに別れを告げてシャネルの待つ長屋へと走った。
シャネルとはかれこれ10日ほど会っていない。こんなこと、異世界に来てから初めてだった。
最初の何日かは良かったが、ここ数日は寂しくて仕方がなかった。
ホームシック、というよりもシャネルシックだろうか。
なんにせよ、シャネルに会いたくてしかたがなかった。
「ただいま!」
俺が長屋の扉をあけると、シャネルはゆっくりとこちらを見た。その手にはとっさに杖が握られている。
まったくの無表情。着ているゴスロリドレスもあいまって人形よりも人形らしい。でも入ってきたのが俺だとわかった途端、満面の笑顔になった。
いきなりの変わり身は恐ろしくすらある。
「シンク、お帰りなさい」
「やっと帰ったよ。どうだった、変わりなかったか?」
「ええ、大丈夫よ」
「う、浮気とかしてない?」
聞いた瞬間、抱きしめられた。
シャネルが着込んでいたゴスロリドレスのフリルが硬い。でもその感触も懐かしい。
なぜかスンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅がれる。
「こっちのセリフよ、ちょっと女の匂いがするわね」
「あ、あはは。してないから、浮気とか」
「もちろんよ。もしも浮気なんてしてたら……どうしましょうか?」
どうもしないでね。
いやあ、それにしても久しぶりに奉天に帰ってきた。なんだか安心するな。こういうの旅行から帰ってときに感じるんだよな。
「夜ご飯は食べた?」
「いや、まだ。でも今日はいらないわ」
「そう。明日は?」
「休み。とりあえずティンバイが休んで良いってさ」
「そう、良かったわね」
いやあ……いいなあ。
この感じ。もう会話がスムーズだよ。ツーカーって言うよね、こういうの。
シャネルは俺の好みの超絶美人なのだが、どうも距離感がない。たぶんそれって俺たちの相性が良いから……ではなくて、ずっと一緒にいたからだろう。
でもなんだろう、こうして10日ぶりに会ってみるとなんだ……良いね、シャネルって。
透き通った銀髪も、意思の強そうな目尻も、これでもかと膨らんだおっぱいも、なによりも俺の心の大切な部分をくすぐるような可愛らしい声。最高だ。
やりてえ。(直球)
なんだ、そろそろ俺も童貞を卒業するべきではないのだろうか?
こんなことずっと言ってる気がするが。
「そういえばシンク」
「な、なに?」
やばいやばい、なんだか変なことを考えていたぞ俺。
「なんでも南の方で大変なことがあったらしいわよ。聞いてる?」
「あー、それね。うん、革命軍が滅びたとか聞いたよ」
「ええ。ここらへんもそんな話でもちきりよ。あと北の方もなにかあったらしいわ、私はよく知らないけど」
「北?」
「ええ、それこそシンクは馬賊なのだから知っておいたほうが良いわよ」
馬賊ねえ。
実はあんまり自分が馬賊をやっているって感覚がない。なんだか友達と遊んでいる間にあれよあれよと担ぎ上げられた感覚だ。
でもそんな俺でもはたから見れば完璧に馬賊なのだろうな。
「にしても、奉天から北ってなにがあるんだよ」
あんまり行ったことはない。俺たちはどちらかといえば北の方を通ってここまで来たんだけど、そもそもが痩せた土地でひどい寒村ばかりだった気がする。
たしかそう、北大荒とか言うんだよな。
「ま、なんでも良いのだけど。疲れてなあい? すぐ寝る?」
「あー、うん。そうだ、シャネル。これあげる。プレゼントだ」
俺は服の内ポケットから、あっちで買ってきたべっ甲の髪飾りを取り出す。
シャネルの白い髪には、黄色い髪飾りがよく似合うと思う。
「あら? 髪飾り?」
「そう」
「つけてもいい?」
「どうぞ」
シャネルは嬉しそうに髪飾りをつける。
「どうかしら、似合う?」
「あー、うん」
本当はもっといろいろ言いたいのだけど、口下手でごめん。それ以上は言えない。
それにしてもシャネルさん、どうして家で1人でいたのにキメキメのゴスロリドレスなのだろうか。あ、いや。外だとチャイナ服だから家の中でわざわざ着てるのか。
「ありがとう、大切にするわ」
恥ずかしくて俺はなにも言わない。
まったく我ながらキザなことをしてしまったものだ。
シャネルも照れているのか喋らなくなる。
こうなってくると地味に気まずい。
「ね、寝るか。そろそろ!」
変に声が大きくなる。
「え、ええ。そうね」
珍しくシャネルも緊張しているようだ。
布団が敷かれる。俺は剣を部屋のすみにおいて、服を脱ぎ、布団に潜り込む。
ロウソクの明かりが消された。
「お、おやすみ」
「ええ」
視界が暗くなったことでシャネルの甘ったるい匂いが敏感に感じられた。
なんだか繭の中に包まれた芋虫のようで……。
気持ちが良い。
でも疲れていたせいでそのまま目が重たくなって……寝てしまう。
朝になって気がつく。
もったいない!
けっこういい雰囲気だったと思うんだけど。
いや、でも疲れてたからしかたないよね。
朝になるとシャネルはもう起きている。いつものことだ。なんだかこういうのも安心するな、起きたときに隣に人がいるって。
「おはよう、シンク」
なぜかシャネルは俺の顔を覗き込んでいた。
……顔が近い。
「う、うん」
「朝ごはん、食べる?」
「食べる」
小さな饅頭を手渡される。たいてい饅頭だよ、朝は。昼とか夜なら外に食べに行くこともあるんだけどね。
買い置きされていた饅頭だったのか、カチコチに凍っている。
「なあ、温めてよ」
寝ぼけていてバカなことを言ってしまう。
「良いわよ」
シャネルが杖を取り出した。
ああ、杖だなあ。なんて思っているとシャネルが素早く呪文を唱える。
饅頭が燃えた。
「あちっ!」
「あ、ごめんなさい。手には当てないようにしたのだけど」
「いや、ちょっと熱かっただけだから」
というか饅頭、こげてるじゃん。まあシャネルにしては上出来なほうか? 消し炭になっていないだけ。
「ねえシンク、今日はなにする?」
「お前はいいのか、子供にお勉強教えなくちゃいけないんだろ」
「今日は私も休みよ」
本当かな、シャネルのことだし勝手に休みってことにしてるんじゃないのか?
というかシャネルっていったいどんな勉強を教えてるんだ。ちょっと気になる。
「勉強って、どんな勉強してるの?」
「いろいろよ、こっちの人は魔法を知らないからそのこととか、あとはドレンス周辺の歴史とか、風土、文化、あとは文字ね」
「文字?」
「ええ。この国って話す言葉は一緒でも、あっちと文字は違うじゃない? だからそこらへんを翻訳して教えてるのよ。ドレンスの文字さえ知っておけば西の方に出ても大丈夫なのよ」
「ふーん」
学校っていうからな、奉天でもそれなりに上流階級の子供が通っているのだろう。そう考えれば外国のことを知るのも大切なのか。
それにしても先生をしているシャネルか、見てみたいものだ。
良いなあ、美人の女教師に教えてもらえる子供。
いや、別に子供に嫉妬してるわけじゃないけど。
「そういやあさ、シャネル。聞きたいことがあったんだ」
「なあに?」
「あのさ、人間がモンスターになるような魔法って、あるのかな?」
奉天へと帰るさいに見た龍。あれをティンバイは愛しい人、リンシャンさんであると言った。でも人間がモンスターになるだなんて、そんなことありえるのだろうか。
魔法についてよく知っているであろうシャネルならなにか分かるのではないかと思っていたのだ。
「魔族ね」
「魔族?」
って、なんだ?
……なんだ?




