110 闘技場のチャンピオン、これも楽勝
「おいてめえ、もう一度あがってこい!」
デブはあろうことか、俺のことを名指ししている。
「ほう、知り合いかのう?」
「いや、知り合いというか……」
「早くあがってこい! 逃げるのか!」
うるせえな。
誰がやるものか、だってデブは今日武器を持っているのだ。青龍刀と呼ばれる薙刀のような武器。三国志では関羽雲長が使うことでおなじみのあれだ。
「よし、行ってくるのじゃ」
「いやいやいや!」
なに言っちゃってるの、師匠!
「これは大変なことになってまいりました、まさかこの闘技場の覇者、馬大山と天下無双の李小龍のお弟子さんの対戦が見られるとは!」
解説の男もあおるあおる、もうこれ舞台に上がるしかないぞ。
そういう雰囲気。
嫌だなあ、同調圧力。嫌いだよ。
「師匠、武器とかは?」
「素手じゃダメかのう?」
「ボケたか、クソジジイ」
いくら俺でも素手で青龍刀相手に立ち回るわけにはいかない。
「私の杖でも使う?」
「いや、それは無理だろシャネル」
こいつもボケたか? あ、シャネルの場合は色ボケか。
「お前さんなら大丈夫じゃ。ほれ、行って来い」
「いやいや、ムリムリ」
「しょうがないのう……」師匠はスタッフを呼び寄せる。「すまんが棒きれでも良いから武器になるようなものは用意しておらんか?」
「木刀ならありますが……?」
「貸してもらえるかのう」
スタッフはまだ若そうだった。すぐに持ってきます、と小走りで取りに行く。
俺はとりあえず舞台に上がる。
「ここで会ったが百年目!」
デブは俺にビシッと指をさす。
そういうのマナーが悪いって親に習わなかったのだろうか?
「百年は経ってないだろ」
とりあえずつまらないツッコミ。
「今度は武器があるからな、この前みたいにはいかないぞ!」
「というかあんた、チャンピオンだったのか? 馬賊なんだろ?」
「へっへっへ、馬賊は春と夏に暇なんでな」
つまりこんな場所で稼いでたわけか。
というかいま秋なんですが。それも終わりがけだ。
観客は俺たちの会話を一言も聞き漏らすまいと聞き耳をたてている。まあこういう格闘技って試合中もそうだが、その前のディスり合戦とかも楽しいからな。
武器が届いた。なんの変哲もない木刀。シャネルがまずそれを受け取り、そして舞台上の俺に、舞台に上がらないように注意しながら手を伸ばし渡す。
「ありがとう」
「勝てるわよ」と、シャネルはなぜか断定する。
「当たり前だろ」
あんまり戦う前からそういうことを言うのは好きじゃないが、なあにくぐってきた修羅場の数が違うからな。俺もシャネルもこれまで何度かやばい経験をしてきているんだ。こんな闘技場で覇者になってイキってるやつとはそもそもが違う。
俺はデブに向き直る。
「さて、やるか」
「この前は引き分けだったがな、今度は俺が勝つぜ!」
あ、こいつしれっとこの前のを引き分けにしやがった!
いやまあこの前は俺だけ棍という武器を持っていたからな。こっちが卑怯っちゃ卑怯だった。
「それでは両者、正々堂々と戦ってください」
どうやら武器の使用が可能な戦いもあるらしい。たぶん人が死んでも構わないのだろう。
俺たちは礼をする。そしてドラが鳴らされる。
それが開始の合図だ。
デブは青龍刀を下段に構えた。対して俺はまったくの真正面に中段の構え。こういうのを青眼というのだ、格好いいね。
「行くぞ!」
デブが先に仕掛けてきた。
青龍刀を下からズバッ、と切り上げてくる。だが俺はそれを紙一重でかわす。ただ後ろに下がっただけだ。俺の鼻先を刃物が切り上げていった。
「きゃっ!」
シャネルが心配するように叫んだ。
だが大丈夫だ、俺のイケメン(自称)には傷一つついていない。
切り上げられた青龍刀を男はプロペラのようにぐるぐると回した。
「さあ、こい小僧!」
「小僧じゃねえよ、俺には榎本シンクって名前があるんだ!」
俺は身を低く構え、ネズミのように素早く走り出す。
青龍刀が足を狙って横薙ぎに振るわれた。ジャンプで避け、その勢いのまま体当たり。
しかし体重差がある、あたりが弱くて有効打とはならない。
一度距離をとる。
「くそおっ!」
デブはよろけてはいたが倒れてはいない。
「動きがよぉ、遅いんだよ!」
「なんだとぉ!」
デブがやたらに青龍刀を振り回す。
俺はその全てをよける。いや、まるであちらの方から俺をよけていくようだ。
――なんだ、この感覚は!
「好! それじゃ、その動きじゃ!」
師匠が喜んでいる。
俺はいっきに間合いをつめた。
長ものの青龍刀だ、この距離ならばまともに攻撃ではできない。
まるで居合のように横から木刀を振り抜く。
デブは吹き飛んで舞台から落ちた。青龍刀が舞台に突き刺さった。
「決着、決着です!」
またまた歓声があがった。
今日はなんだかこの舞台の主役になった気分だ。
「くそ、今度は負けねえぞ!」
デブが立ち上がる、なかなか頑丈なようだ。
「もうやらねえよ」
と、俺は言う。
ちょっと疲れた。
それにしても何だったんだろうか、さっきの感覚は。
「シンク、最後のすごかったわ」
舞台から降りた俺にシャネルが抱きついてきた。
「チョ、チョマテヨ!」
驚いて声が裏返る。
シャネルは体をこすり合わせるようにすると、名残惜しそうに俺から離れた。
「うむ、なかなかじゃったぞ」
師匠はまたファイトマネーを受け取っている。がめついぞ! というか戦ったの俺なんだから全額俺のだろ。
ま、いろいろ教えてもらったし良いか。
それにしてもあの動きはなんだったのか。
なんだか周りがうるさいのでさっさと闘技場から出た。
師匠はいろいろな人から挨拶されて、やっぱり格闘家としてはかなり有名人のようだ。また来てください、なんて言われたけどやなこった。実は俺、戦いとか好きじゃないのだ。
「なあ師匠、俺さっき妙な感覚になったんだよ」
俺は歩きながら師匠に聞く。
「ほう?」
まるで試すように師匠は俺の目をその濁った瞳で見つめる。
「いや、なんていうか……俺がよけたんじゃなくてさ、その相手がよけたというか。いや、ちょっと違うかな。先によけてた? うーん、うまく言えないんだけど」
「ふおっふおっふぉ」
「なにか分かる?」
「さあのう」
歓声はまだ鳴り止まない。
けれど俺はなんだかもやもやする。いったいあれはなんだったのだろうか。もう一回やればできるんだろうか?
「シンクは普通によけてたように見えたけど?」
「えー、シャネルにはそう見えたのか?」
もしかしたらあれは俺の気のせいだろうか? うーん。
「なあシャネル、ちょっと頬叩いてみて」
「シンクってマゾの人だったの?」
「いや、そうじゃなくてさ――」
「えいっ」
パチン。
痛い。
普通にあたった。
「どう、嬉しい?」
「ご褒美だよ」
やけくそに言ってみる。
ぜんぜんよけられなかった。うーん、ますますさっきのがなんだったのか分からなくなる。
「ふおっふおっふぉ」
師匠はなにか知ってるみたいだけど……。
ま、こんど教えてもらおう。




