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109 闘技場、しかし楽勝


 闘技場は奉天の街の片隅にひっそりとあった。


 そこはあきらかに治安のよろしくない通り。隣には魔片窟――アヘン窟のようなものらしい――と、引退した宦官かんがんが開いたという男娼館。


 それだけでもやばいっていうのに、道にはボロをまとった死体のような人間が横たわっているのだ。いや、事実死んでいるのかもしれない。


 ひどい場所だった。


 けれどそんな裏通りでも生きている人間は不思議と生き生きしている。国民性なのだろうか、誰もが忙しそうにしていた。


「こっちじゃよ」


 闘技場は一見して酒場のよう。けれど中に入ると地下への階段があって、その先には広い地下室があった。


「やっぱりちょっと緊張するな」


「頑張って、シンク」


 かなりのギャラリーがいる。30、いや40。もっとだろう。学校のクラス1つ分以上は確実にいるから、もしかしたら100人くらいいるかもしれない。


 そのどれもが俺たちのほうに目をやった。


 そうとう広い地下だった。


 中央にはまるで相撲の土俵のように他からは高い位置になっているステージがある。そこにはいま誰も乗っていないが……とりあえず俺もあそこで戦うことになるのだろう。


「師匠、俺の番っていつ?」


「ちょっと待っておれ」


 師匠はそこらへんにいる、おそらくスタッフを呼ぶ。小さな声でなにかを話している。それが終わると、半笑いで俺のことを見た。


「良かったの、いまからじゃと」


「えー、いきなりかよ」


 どおりで周りのギャラリーが俺たちのことを血眼で見ているはずだ。こういうふうに視線をもらうと緊張がマッハなのだ。実力の半分もだせないんじゃないだろうか。


 真ん中のステージに色黒の男が上がってきた。


 ちょっと安心、どうやら素手のようだ。


 これで武器ありだと困ってた、だって俺今日は剣を持ってきてないから。


「ほれ、お前さんも擂台レイタイにあがれ」


「ちょっと待ってくれよ、準備運動とかないのかよ」


「ここまで歩いてきたじゃろ?」


 そんなのでいいのかよ。


 俺はシャネルを見る。シャネルは俺に微笑んでくれた。頑張って、とその表情は物語っている。だけどそれだけじゃない、その目の優しさは俺にこうも言っている。


 ――嫌なら逃げてもいいのよ。


 俺は自分の頬を叩く。


 まさか、こんな場所で逃げてたまるかよ。こういう嫌なことから逃げてたら逃げグセがつくからな、俺は引きこもりをしてそれを身をもって知っている。


 別に逃げることが悪いと言っているのではない、戦略的撤退というものもある。


 しかし甘えるように逃げることはダメだ。それを人は堕落と言うのだ。


「よしっ!」


 自分に気合を入れて、俺は擂台レイタイと呼ばれたステージに上がった。


 その俺に、師匠が耳打ちしてくる。


「最初は避けることに専念するんじゃ」


「え、なんで?」


「良いから言う通りにしろ」


 分かりました、と頷く。


 俺の対戦相手である男はニヤニヤと笑っている。


「おいおい、ジイさんにアドバイスもらったのか? まったくよ、こんなガキが俺の相手かよ!」


 あきらかになめきった表情。


 どうも俺は強面こわもてというわけではないからこういうときになめられる傾向にある。


 観客たちから歓声があがる。


「あんた、歳は?」


 俺は男に聞く。


「27だ」


「そう、10違うな」


 だからどうということもないが。


 しかし10歳違ったところで負ける気などしなかった。


 俺はいちおう『女神の寵愛~視覚~』で眼の前の男のスキルを確認する。『筋力増強E』という、あきらかに大したことのないスキルが表示される。それだけだった。


 いわゆるレフリーだろうか、メガネの男が舞台に上がってくる。


「こちらは皆さんご存知、最近売出し中の闘技者。人呼んで奉天武人!」


 どうやらレフリーと同時に解説のような盛り上げ役もしているようだ。マイクなどはないから声を張り上げて観客に紹介する。


 奉天武人と呼ばれた男は得意げに両手を突き上げる。それでわっと歓声があがった。どうやら人気者らしい。


「そしてこちら、なんとかの有名な李小龍リーシャオロンのお弟子さんです!」


 その瞬間の観客の歓声が波を引くように止まった。


 しかし次の瞬間、先程よりも大きな歓声が上がる。


シャオロン!」


 と、誰かが叫ぶ。


「すげえ! あの龍の弟子だって!」


「あ、もしかしてあそこにいるのが李小龍か!」


「その弟子ってことはそうとう強いんだぜ!」


 俺は照れてしまう。


 どうやら俺の師匠もそうとうの有名人らしい。眼の前の男の表情からも余裕が消えた。


「それでは両者、武器の使用は禁止です! 正々堂々と戦ってください」


 レフリー役が舞台から降りた。


 眼の前の男が頭を下げて、礼をする。俺も真似て頭を下げた。


 その瞬間、ドラが鳴らされた。


 ――ぎゃっ!


 びっくりして飛び上がる。いきなりやめてくれよ、驚くじゃないか。


 でもその飛び上がったのはなにかのパフォーマンスかと思われたようで、周りからまた好意的な歓声が上がった。


「李小龍の弟子かなんだか知らねえが、なめるんじゃねえぞ!」


 拳が俺に向かってくる。


 ――あれ?


 俺は不思議な感覚を覚えた。


 ひょいと避ける。


 また歓声が上がった。


ハオ!」


 師匠が嬉しそうに頷く。


「てめえ!」


 男がまたパンチを繰り出す。それも避ける。だがなにかが違う気がする……。避けることは簡単だった。まるで蚊が止まるようなパンチなのだ。


 体は俺の思い通りに動く。前までよりも調子が良い。修行の成果だろうか。


 でも少し違和感がある。


「うらあ!」


 男の猛攻、ラッシュ、連続で繰り出される拳。そのことごとくを俺は避けた。


 そろそろ良いか、と俺は後ろに立つ師匠を見る。


 良いぞ、というふうに師匠は頷いた。


 よし、やるか。


 短く息を吐く。


 ――ふっ。


 そのまま、正拳突き。


 俺が師匠に習ったことなんてなにもない。しいていうならば呼吸の仕方くらいだ。一口に呼吸と言っても奥が深い。ただ立って、呼吸をして、そして自らの体と対話する修行、それをずっと繰り返してきた。


 その俺がこうして放った拳は、まるで当たるのが当然というように相手の腹部にめり込んだ。


 狙っていたわけではないがカウンター気味になった。避ける、という動作を重点的にしていたせいで勝手に体が動いて相手の攻撃をかわしていたのだ。


「うぐっ……」


 男が悲鳴というよりも、ものを喉につまらせたような声を出してその場に倒れた。


 立ち上がってくるかな、と思ったがそんなことはなかった。倒れたままだ。


 観客は声を失っている。


ハオ」と、師匠がまた言う。


「さすがシンクね」とシャネルが褒めてくれる。


 これで良かったの? と、俺はあたりを見た。


「決着、決着です!」


 またドラが鳴らされた。今度は驚かなかった。


 そのドラの音を皮切りにして、雷が落ちたかのような拍手が響く。


「なんと一撃でした! 奉天武人敗れる、勝者は李小龍のお弟子さんだ!」


 俺は舞台から降りる。


「師匠、これで良かった?」


ハオ、上出来じゃ」


「でもさ、なんか違和感があったんだよね。相手の攻撃を避けるとき……師匠、ああいうふうにやってた?」


「ほう、気づいたか?」


「うーん、まあ」


 なんだか師匠と手合わせしているとき、師匠はもっと違ったように俺の攻撃をかわす気がするのだ。しかしどう違うのか具体的に分からない。


 俺は『武芸百般EX』のスキルを持っているというのに、だ。それなのに師匠のようにできない。いったいこの人はこれまでの人生でどれほどの修練を積んできたのだろうか。


「どうぞ」と、師匠がスタッフからなにかを受け取っている。たぶんファイトマネーというやつだろう。


「シンク、格好良かったわ」


「そう?」


 シャネルが微笑んで、俺の手をペタペタと触る。


「男の人の手って感じね」


 俺は恥ずかしくなって頬をかく。


 シャネルはこの場所でも周りから変な目を向けられているようだ。けれど気の強い彼女はもうそんなことを気にしていないようだ。堂々と、私がここにいてなにか? というふうに立っている。


「ふむ、では少し他の対戦を見てから帰るか」


「ねえ、師匠。そのファイトマネーいくらもらったの?」


「なあに、たいした額ではない」


「俺の分の小遣いは?」


「ほれ」


 小さな、けれどキラキラしたコインを渡される。これがいくら――つまりは何テールになるのかは知らないが、そこそこ高額そうだ。


「わーい」


 俺は喜んで、さっそく靴下の中にコインを入れる。


「ちょっとシンク、それ靴下がのびるからやめてっていつも言ってるでしょ」


「えー、だってここに入れておくのが一番良いんだよ」


「普通に財布持ちましょうよ」


「まあそうなんだけどね」


 しかし靴下にコインを入れるの慣れちゃって、これをしてないと落ち着かないのだ。ほら、財布は忘れることあっても靴下を履くことはそうそう忘れないから。


「あら?」と、シャネルが俺から目をそらす。


「どうした」


 なんだか知らんが歓声が上がった。どうやら背後の擂台レイタイの舞台に誰かが上がったようだ。


「あの人、知ってるわ」


「え?」


 俺は振り返る。


 このルオの国に知り合いなんているはず――と思ったのだが、たしかに知っている人だった。


 舞台の上に立っていたのはこの前俺の水を勝手に飲んだデブだった。



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