106 意味がなければ修行はしない!
俺の毎日の修行は、朝の水くみから始まる。
わざわざ長い階段を降りて水を買ってきて、それをまた運ぶのだ。ただそれだけのことだがこれがけっこう重労働。水売りがすぐに見つかればいいが、運が悪いと遠くまで探し回ることになる。
そして、俺は運が悪いのだ。
遠くまで歩いた結果、水が売り切れなんてこともあった。とにかくこれだけで朝の時間はかなり削られる。
そのあと、道場で基本的な修行。というか体力づくり。
師匠いわく、俺は才能があっても体がまったくついていけていないらしい。ま、そうだろうな。こっちの世界に来て少しだけステータスに上方修正があったらしいけど、それにしたってあっちじゃ引きこもりだったんだ。
いきなり才能だけじゃあ無理がある。むしろ今までよくなんとかなったものだ。それだけすごいスキルってことだけど。
体力づくりの内容は走り込み(嫌いだ)。うさぎ跳び(古典的だ)。筋トレ(マッチョになるよ)。そして站椿と呼ばれる行為。ま、ようするに立ってるだけなんだけど、いろいろやるよ。
師匠はまったく武術っぽいことは教えてくれない。
「教えてくれよ~」と言っても、
「嫌じゃ」とにべもない。
俺が修行している間、シャネルはなにが楽しいのかずっとそれを眺めている。こちらから話しかけないかぎりなにも喋らなくて、まさに置物だ。
ちょっと緊張するからやめて欲しいんだけど。
だいたい午前中はそれで終わる。
昼からは休憩、昼ごはんを下に買いに行く。たいてい肉饅頭だ。たまにはラーメンとかも食べたいアルヨ。でもシャネルと一緒だと店にも入れないから屋台で売っている肉まんばかり食べている。
で、夕方くらいにまた修行が再会。
と言ってもこれは自主練のようなものだ。師匠がこの時間になると道場でいろいろやっているから、隣で見よう見まねでマネしている。
木刀を振り回していれば木刀を、槍をついていれば槍を、ヌンチャクならヌンチャクをというふうに隣でできる限り動きをマネするのだ。
で、それが終われば俺はもうクタクタだからさっさと寝てしまう。
かなり早寝だ、だからこそ健康的。
そんな日が何日も、何日も続いた……。
ある日の朝のことだ。
「水を汲みに行く前に道場に来るんじゃ」
師匠が寝ている俺の頭を蹴り飛ばし、そう言った。
俺は眠い目をこすりながらうんうんと頷く。朝はちょっと寒いから布団から出たくない。それでもなんとか布団から這い出てのびをする。
「おはよう、シンク」
とシャネルはもう起きているし、どうやら化粧も終わっているらしい。
化粧品のたぐいは持って来ているだろうが、それが切れたらどうなるんだろうか? まあシャネルの場合はすっぴんでも可愛いけど。というかあんまりメイクが濃すぎるのは好きじゃないけど。
「朝からなんだろうな」
「道場で修行でもつけてくれるんじゃないの?」
シャネルは当然ついてくるつもりのようだ。
服を着る。
さすがにこのルオの国でジャケットを着ているのはおかしい。だから師匠から服を一枚もらった。上下で別れているいかにも中国っぽい服。色は薄めの黒だ。
模様はなにもない。
さらにシャネルもチャイナドレスを気に入ったのか、最近ではそれを着ている。これは2人で買いに行ったものだが、売ってもらうまで時間がかかった。でも大金を積んで――シャネルは衣装に関しては金遣いが荒い――なんとか売ってもらえた。
赤くてちょっと派手なチャイナドレスはシャネルによく似合っている。
というわけで俺たちは2人とも中国、もといルオの国の服を着ている。
「師匠、来たぞ」
「遅い!」
いきなり怒鳴られた。
起きて割とすぐに来たつもりだったんだけど。
「ごめんごめん」と適当に謝る。
「まあよい。シャネルどの、おはよう」
「はい、おはようございます」
ペコリとシャネルは頭を下げる。
このエロジジイめ、俺に対する態度とシャネルに対する態度が違うぞ、こんど抗議してやる。
「で、師匠。なんで今日は朝からこっちなの?」
いつもなら小銭掴まされて水を買いに行く時間だろう。
「うむ、お前さん剣が得意なそうじゃな」
「いや、まあいちおう」
そればっかり使ってるからな。
師匠は壁にかかっていた棍を手に取る。つまりはただの棒なのだが。これで先っちょに刃がついていれば槍になる。
「ほれ」
いきなり投げられた。
俺はそれをキャッチする。
「なんだよ、あぶねえな」
「使ってみよ」
「ん?」
使うって、これを?
シャネルに目配せ、危ないから離れて、と。シャネルはすぐに察する。
さてさて、使ってみると言われたところでまったく使い方が分からない。師匠も槍ばかりでこっちはあまり触っていなかった。
とりあえず槍の要領でついてみる。
「うむ、零点じゃ」
「何点満点中?」
つい軽口で返す。
「百点に決まっておろうが。ほれ、返せ」
俺は師匠に向かって槍投げのように棍を投げる。しかしそこは師匠だ、簡単に空中で掴んでみせた。
「さすが」と、俺。
「よいか、棍は槍とは違い変則的な動きをすることができるんじゃ。そもそも刃先がないからのう、これを使いどのようなこともできる」
そういうと師匠はまるでポールダンスのように棍を立て、そこを猿のように登った。なぜか棒は倒れない。
「すげえ!」
「まるで手品ね」
「どうじゃ? できるか?」
たぶん無理。だってそれもう武芸じゃなくて曲芸とかの部類だもん。
師匠はそこから降り、体中をつたわせるように棍を回す。そのさい棍の先や真ん中などの様々なところを掴む。たしかにこれは刃がついていれば不可能な動きだ。
「で、師匠。次はその練習すればいいのか?」
「違う、わしが言いたいのはこの棍のほうじゃ。つまるところこれは色々なことができる。ほれ、例えばこれを肩に担いで両方に水桶を吊るせばどうなる?」
「楽だな」
というか最初の日はそうしてたよな、よく考えれば。
あれ、もしかして?
俺は察する。
「ふおっふおっふぉ」
師匠は意地悪そうに笑う。
「なんでいままで使わせてくれなかったんだよ!」
「修行じゃ、修行」
「なーんか騙された気分だぞ」
「まあそう言うな」
「とりあえず貸してくれよ、その棒。水を買ってくるから」
「ダメじゃ」
「はい?」
「ふおっふおっふぉ」
「おいシャネル、このジイさんボケてんだよ。なんか言ってやれ」
「そういうことじゃないと思うけれど?」
シャネルは道場の隅っこの方に座り込んだ。そして俺に手を振ってくる。
やれやれ。
「それで師匠。なにしたいの?」
「わしに一発当ててみせよ。そしたらこの棒を使って水をくんでくることを許してやろう」
「よーし、一発だな。シャネル、俺は右から行くからお前は左から魔法をぶっ放してくれ」
「シンク、それ卑怯よ」
「勝てばよかろうなのだぁ!」
「たわけ」
いきなり棒でみぞおちをつかれた。
見えなかったから避ける間もなくクリーンヒットする。
「ぐふっ!」
「お前さんだけの力でやらんか。ほれ、立て。それともそのままでまた行くか? 大変じゃぞ、水桶は重いからのう、手に食い込んで痛いじゃろ。まあそれでも良いなら止めはせんが」
「ぐぬぬ」
俺は気合で立ち上がる。
くそ、やってやるさ。
長ものには長ものと俺は壁から槍を手に取る。さすがについてる刃は潰されているものの金属のためかなり重たい。
しかし俺はその重たい槍をブンブンと振り回す。
「怪我しても知らねえぞ!」
「動きに無駄が多いのう……」
やあっ、と槍を繰り出す。しかし師匠のふるった棍は槍の矛先を起用に変えてみせた。バランスを崩し、重さに引きずられて俺は倒れる。
「いてっ!」
「槍はあってないんじゃないかのう?」
「くそっ!」
今度は木刀を持つ。
まだこちらの方が使いにくい。
けれどよく言うように『剣道三倍段』だ。長ものを相手に剣を持ったら三倍の実力差がないと勝てないというもの。
正攻法では無理だ。
ならば――。
俺は木刀を投げつける。
さすがにこれは師匠も驚いたのか慌てて棍で弾いた。
そのまま壁にかかっている武器を手当たり次第に投げつける。個人的にヌンチャクが一番投げやすいです。
「がんばって、シンクー」
シャネルのやる気のない応援。
「お前さん、ちと卑怯じゃないか?」
師匠は俺の投げつける武器を全て弾く。
とうとう壁から武器がなくなった。
「はあ……はあ……」
体力はないのだ、俺は。
「もう終わりかのう?」
しかし、力を振り絞る。
「まさか」
俺は床に落ちた木刀を拾い上げる。
そして師匠に向かって突進。
やぶれかぶれではなく、これこそが俺の狙いだ。
師匠の棍が俺に向かって伸びてくる。それをバックステップでかわし、木刀を投げつける。だがそれは当然のごとく弾かれる。
だとしても――俺はすぐさま床に落ちた武器を拾い上げて攻勢にうってでる。
投げては拾い、投げては拾い。武器は無数に床に落ちている。
「むうっ!」
師匠の顔に焦りが見えた。
――ここだ!
俺は最後の武器を拾う。
それは槍だった。振り上げたあと、重さにまかせてただ闇雲に振り下ろす。
完璧に隙をついた。
だがそれは俺の思い込みだったようで。
振り下ろされた槍は空を切った。
避けられたというよりも、まるで師匠の体がそのままかき消えたようだった。
「たわけ」
頭を棍で軽く叩かれる。
「いてっ」
コブになったらどうするんだ。
「お前さん、いまのはわしじゃなかったら死んでたぞ」
「大丈夫だと思って」
俺は槍を置いた。
やっぱりダメだったか。このままやっても一生攻撃を当てることはできなかっただろう。
「まったく、景気よく投げおってからに。これ、片付けておくんじゃぞ」
「はいはい」
俺は武器を壁に片付ける。シャネルも手伝ってくれた。
それらが全て元あった場所におさまると、師匠は自分が持っていた棍を手渡してきた。
「ほれ」
「いいのか?」と俺は聞く。
一発当たられれば、という話しだったが。
「お前さんと毎日こんなことするもの疲れるからのう。さっさとそれを使って水をくんでこい。その分早くなれば、修行もできてちょっとはマシになるじゃろ」
「はは、そのとおりだな。ありがとう、師匠」
俺は棍を手渡された。しっかりと手に馴染む。
朝から運動っていうのも、うん、悪くない気分だった。




