79.ネーム
八月最終週の土曜日、僕は机に向かって真っ白なノートを前に腕を組んで考え込んでいた。
つい2時間前にふと同人誌の練習にもなるしちょっとSNS用のオリジナル短編漫画でも描いてみようかな、と思いたったのが発端であった。
たしかに今まで何度かリリカ様やエリカ組の二次創作は描いたことがある。これを描いたときは頭の中でいろんな妄想が浮かんできて何を描くか選ぶのに悩んだものだが、オリジナルで話を考えようとしてみるとまったく何もいいアイデアが浮かんでこない。
ジャンルをコメディにするのか恋愛にするのかそれともSFにするのかも決まっていないし、テーマをどこにあてるのかすら文字通り全くの白紙だ。この2時間断片的に浮かぶストーリーを少し書いてみてもそのあとが続いて出てこない。
描いてみたらなんとなくストーリーが浮かぶだろうかと適当に主人公候補のキャラクターを何人か描いてみたもののどれもいまいちパッとしない。まぁストーリーが決まっていないのだから、完成したキャラクターが現れるはずもないのだが。
「うーん...」
今までに一度も同人誌を描いていないのにこういうのもなんだが完全にスランプ状態だった。
今でも毎日瀬良リツのスイッターで一枚ずつイラストを描いて投稿しているが、それと違ってシチュエ―ションとは別にストーリーを考えるということがまったくもって僕には向いていないようだった。他の作家はどういうふうにこんなに難しいネームを描いているのだろうか。
あれでもない、これでもないと頭を悩ましているといきなり電話がかかってきた。誰からだろうとスマホを持ち上げると「悠」と表示されていたので2コールで電話に出る。
『あ、もしもし~。リッキー今大丈夫?』
「大丈夫だけど...どうした?」
電話の向こうの悠は若干声がふにゃふにゃしている。
どうやら今さっき起きたらしい...こんなことを思うのは気持ち悪いのだろうか。
『明日あたりに自分のチャンネルで配信してみたいなーって思ってさぁ...』
「へぇ、いいんじゃない」
先々週に作った「陽向ゆう」のチャンネルはつい先日登録者数が5万人を超えた。今のところ僕のチャンネルで行われた初配信のアーカイブだけしか投稿されておらず、ちょっと前にそのうち一人で配信してみようと話したばかりだ。
『配信の設定とかいろいろ教えてもらってもいいー?』
「いいよ」
少し仰々しいかもしれないが僕としてもこちらの世界に引き込んだ責任があるので出来ることは何でも手伝うつもりだ。
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「まぁ、こんなところかな」
『なるほどなるほど...おけ!わかった』
配信に必要な最低限の知識をあらかた教え終えた。そんなに複雑な設定にはしていないので初心者でも言うとおりにすれば簡単に配信できると思う。
『いやー、ありがとね』
「僕も悠の配信観に行くからね」
『えぇ、はずいんだけどー!まぁいいけど』
初配信から8000人の前であんなに堂々と配信できていながら恥ずかしいも何もあるだろうか。まぁ知っている人に見られるのはまた別なんだろうけど。
そんなことを考えているとおもむろに悠から鋭い指摘が飛んできた。
『そういえばさっきから思ってたんだけど...今日のリッキーちょっと元気なくない?』
「え、そう...?」
『いつもよりちょっと疲れてる感じするし、なにか考え事でもしてた?』
自分的には取り繕っていたつもりなんだけど声色に出てしまっていたのだろうか。それにしたって電話だけで僕が考え込んでいたことを当てるのはメンタリストか超能力者だと思うんだけど。
「...」
『別にメンタリストでも超能力者でもないよ』
僕はまだ何も言ってないんだけど。
『リッキーで何か考えてるときってちょっとだけ会話のテンポが遅れるからさ』
「え、嘘」
『結構わかりやすいよ』
そうだったのか...悠には嘘をつかないようにしよう。
...いや、つくつもりはないけれども!
『で、なんかあったの?』
「あー...」
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僕は悠にこれまでのあらましを話した。悠はうんうんと相槌を打ちながら僕の話を聞いて、僕が話し終わると電話の向こうから明るい声が聞こえてきた。
『よかったらさ、私がストーリー考えようか?』
「助かる、けど...」
それはとても嬉しいけど、なにか経験があるのだろうか。流石に悠がなんでもできると言ったってこういう創作系のことは難しいのではないだろうか。
「なんか経験あるの?」
『漫画はないけど短編小説なら書いたことあるよ!』
まぁ、短編小説なら僕も中学1年生の国語の授業で書いたことがある。SF・コメディ・シリアスなど、書こうとしていることが多すぎてあっちこっちに行った挙句、最終的に主人公が火星に住む地中人と結婚した話は僕の中で特級黒歴史の1つだ。なぜ、あのときの僕はそれを自慢げにクラスメートに見せていたのだろうか...。思い出すだけで胃が痛くなる。
「あー...中学校の授業とか?」
『ううん。あ、そういえば言ってなかったけ。うち、文芸部入ってるんだよねー』
「ふーん...って、えぇ!?」
『いや、そこまで驚く?』
悠は僕が驚いていることにころころと笑っていた。
意外や意外。見た目と中身は全然違うということは散々学習してきたつもりだけど、悠のような明るくて活発な子が文芸部に入っているイメージがまったくもって湧かない。確かに悠は頭もめちゃくちゃいいしこういうことは得意なのかもしれないけど、なんとなく放課後に市倉さんのようなギャル友達と一緒に遊んでいるイメージだった。
あぁ、そういえばまだ仲良くなっていない1年生の時に隣の席でハードボイルド推理小説を読んでいたような気もする...。その時は見た目のわりにいかついもの読んでるな、くらいにしか思っていなかったけど。
「部活行ってるところみたことなかったからさ...」
『まぁ月1でしか行ってないからねー。うち書く専だから家で活動してんの』
そうだったのか。
なんにせよ、それなら悠のことだし文才もあるのだろう。ぜひともこちらからお願いしたい。
「じゃあ...お願いしてもいいかな」
『ぜんぜんいいよ!なんかテーマとかある?』
「うーん...それすら決まってなくて」
そっかぁ...と悠は少し唸ってひらめいたように話し始めた。
『あ、じゃあオタクと推しのお話とかどう?』
「オタク?」
『そう!オタクが推しに会うために努力するお話!これなら私もリッキーもつくりやすくない?』
「なるほど...」
考えても見なかったが確かにそれなら僕のことをかけばいいわけだしリアリティも増す。
『断片的にでも描きたいことを送ってくれたら、私がお話書くよ』
「そうしようかな...じゃあそれでお願い」
『合点!』
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それから僕は今まであったことを箇条書きにしてノートに書きこんでいった。そのとき何があったのか、僕がどう思っていたのか...など、さっきまでは真っ白だったノートがどんどん埋まっていく。やはり物語を作るには自分がどんな経験をしてきたのかが大切だったのかもしれない。
限界オタクと化した僕は事細かに僕の心情を書き込んでいった。推しと出会えたことや日々生きてくれていることに対する感謝だけでも数千字は書いたかもしれない。
ノートを半分使い切ったところで、ふと我に返る。
「うん...これ、書きすぎたな」
僕にとってリリカ様との思い出はその一つ一つが大切すぎてちょっと長く描写しすぎた。ちょっとこれはやりすぎてしまったかもしれない。
月曜日、悠に渡すときまでにもうちょっと簡潔にしないと...。




