76 叶わぬ思い
「吉野が……。相崎のことを好きなのもうすうす気付いてるよ」
「あ……。そうなんだ……あ、いや、そんなこと、あるわけ、ないし……」
「なあ、相崎。おまえは、その、吉野のこと、どう思ってるんだ? 」
「あたしは……その……」
自分に質問が向けられていることにハタと気づいた沙紀は、当然のごとく、返事に詰まってしまう。
出来ることなら伊太郎には言いたくない。
沙紀が本心を告げるということは、すなわち、康太の親友を傷つけることになるからだ。
ここはしらを切り通すしかないだろう。
「相崎、ゴメンな。急にこんなこと言われたって、困るよな。言いたくないなら言わなくていいよ。とにかく今の俺の気持ちだけでも知ってもらえたらそれでいいから……」
「山本君、ごめん。本当にごめんね……」
沙紀はこれ以上の言葉が見つからなかった。ただ謝ることしかできない。
「あはは。俺達、さっきから謝ってばかりだな。明日は試験だっていうのに、いつまでもこんなとこにいたら風邪引いちまう。でももし……。もし大学合格したら、俺は下宿することになるから、今までのように吉野や相崎に会うことが出来なくなるんだ」
「そっか。そうだよね。山本君の目指してる大学、遠いもんね」
「だからどうしても今夜言っておきたかった。受験が終わった時でいいから、相崎の気持ち、聞かせてくれないかな? 」
「あたしの……気持ち? 」
「うん。俺のことどう思っているか聞かせて欲しいんだ。付き合ってくれる可能性があるかどうか、教えて欲しいんだ」
「付き合う? あたしが山本君と? 」
「ああ。俺、ずっとサッカーしかやってこなかったから、その……。女の子と話したり、ましてや付き合ったりとか、ほとんど経験しないまま高校生活も終わろうとしてるんだ。でも相崎とだけは普通に話せたし、試合前にはいつも俺のこと、励ましてくれただろ? 」
確かにクラスの男子の中では伊太郎が一番親しかったかもしれないと、沙紀はこの一年間を振り返って様々な出来事を思い出していた。
康太とは意図的に学校内での馴れ馴れしい振る舞いを避けてきたこともあって、ほとんど話さないし、目も合わさないという他人っぽさを装って過ごしていた。
そしてその冷やかな状況をゲームのごとく楽しんでもいた。
あまりにも不自然にお互いを避けてしまった時、誰もいないのを確認して、校舎の片隅で笑い転げたこともあった。
その分、家に帰ってからはその辺のカップルと変わらない、いや、ベタベタし過ぎだろうと思えるくらいくっついて、そのギャップに酔いしれていたのだ。
だからなのか、昔からのケンカ相手だった伊太郎に一番気を許していたのは、紛れもない事実だった。
それがこのような結果を産んでしまったのだとしたら、沙紀にも責任があるような気がしてならない。
決して、伊太郎をたぶらかしたわけではない。
けれど、彼に叶わぬ思いを抱かせてしまったことには違いない。
まどかから「山本と沙紀って実はいい関係だったりして……」と冷やかされたこともあったが、それを康太との交際の隠れみのにして安穏としていた自分がいたことが悔やまれる。
「山本君、実はあたし……」
こうちゃんと……と言いかけて、あわてて口をつぐむ。
すると伊太郎が沙紀の前に手を伸ばして来た。
「そろそろ帰ろうか。送っていくよ」と言って。
何があっても沙紀には、その手を取ることは出来ない。
沙紀にとって伊太郎はただのクラスメイトであり、愛する人の親友であるという以外の何者でもないのだから。
沙紀に受け止められることのなかったその手は、行き場を失ったように一瞬空をさまよい、そのまま伊太郎のジャケットのポケットに再び収まった。
伊太郎はこの瞬間に全てを悟ったのかもしれない。
沙紀の心の中に自分が入り込む隙間はないのだと。
先を行く伊太郎の少し後ろを沙紀が俯きながらとぼとぼと歩いていく。
もちろん言葉を交わすこともなくどこまでも無言のまま、夜道に二人の人影だけが静かに動いていく。
その時、前方からどこかで見たような人物が近付いてくるのが見えた。
白っぽいフリースのトレーナーを着た背の高い人が、こっちに向って歩いてくるのだ。
そして、伊太郎のすぐ前で止まった。
「おお、伊太郎じゃないか」
「よ、吉野! 」
伊太郎も沙紀も立ち止まった人物が康太だとわかると、驚きのあまり、数歩後ずさった。
「伊太郎。おまえ、何でこんなところにいるんだ。明日、試験だろ? って、……さ、沙紀? な、なんで? 」
康太は伊太郎の後ろに隠れるようにしてたたずんでいる沙紀を視界に留めると、そこにいる理由を探るように、視線を絡ませてきた。
「こうちゃんっ……。あ、あの、山本君に写真もらったの。去年の決勝戦の時の……」
沙紀はあたふたしながら、必死になって身の潔白を証明する。
ところが沙紀の前に大きく立ちはだかった伊太郎が、挑戦的な目つきを康太に向けた。
「……吉野。悪かったな……。お前の相崎への気持ちを知ってて、俺、抜け駆けしてしまったよ。今、相崎に俺の気持ちを伝えた。俺も相崎のことが好きだって……」
すると、伊太郎の言葉を遮るように康太が沙紀に近付き、手を伸ばして彼女をやや強引にそばに引き寄せる。
そして、伊太郎に語りかけるように話し始めた。




