日本国は手を抜けない(22)
昭和の終焉と同時に和解を果たした日満両国の関係は、実生産力を大きく超えて指数関数的に増大した莫大な(一説には米国全土を買い上げられる程、と表現されたバブル的な)日本円が、旧式化した(しかし旧東側諸国では最新鋭の)各種製造機器や「改革指導」の為に派遣された実務官僚団と共に流入し、「最も成功した共産圏の社会主義国」と形容された満州国経済をあっという間に造り変え、瞬く間に同国を西側随一のコストパフォーマンスを誇る中賃金・大生産力の振興国に変質させてしまった。
西暦一九九四年の北海道南西沖地震、翌年の阪神・淡路大震災に於いて、(米国を除けば)台湾・フィリピンを上回る最大規模の短期的金銭的支援の他に、極めて大規模な軍の支援部隊を派遣してくれたことは、東西の超大国にある種の翻弄をされた事による長年の確執を水で洗い流し、未来志向に立脚した新たなステージへと両国を、そしてアジア諸国を歩み寄らせる結果を産んだ。
即ち、西暦一九九六年の日満通貨統合予備交渉の開始、翌年に起きたアジア通貨危機に対する協調カウンター金融介入、そして済し崩し的な東南アジア諸国の「新円」への連鎖的な通貨切り替え・統合による、巨大な経済通貨同盟の誕生である。
新円の導入により、日本国は自国のみならず円経済圏に参加した国々全部の経済政策の面倒を、隅から隅まで見なくてはならなくなったのだが、その恩恵は計り知れなかった。
世界的に見て、ドルに次ぐ、ポンド、マルクと並んで信用度の高い通貨である円(新円)が基軸通貨、つまり円建て決済となる事により、複雑怪奇な為替レートを気にする必要が無くなり、通貨交換のコストや為替変動リスクの解消、関税や各種規制などに代表される貿易障壁の撤廃、域内資本市場の発達が促された。
勿論、相対的に見て低廉な労働力を豊富に有する域内他国へと産業が流出し、短期的には日本国内の産業の空洞化・雇用の減少が促進されることと同義でもあったが、当時の(そして今でも)日本国は世界有数の高度産業集積地帯であると同時に、言語の障壁はあるものの、世界的に見ても高度な教育を施された勤勉な性質の国民を人材として必要とする国は幾らでもあったし、何より世界有数の(大)地震多発地帯でもあり実際に大震災が起きてしまうと、旺盛な復興需要により内需が喚起され、統計上は完全雇用を達成してしまう始末だった。
また分けてもアジア最大の軍事大国でもある日本国は、第三次中東戦争で肥大化し、そして生産力を持て余していた軍需産業を、満洲国の使用兵器を上から下まで西側規格に統一することに振り向けた。
F-14Jの改良発展型であるF-14J2や、世界最先端の第三世代主力戦車である八八式主力戦車の大量採用、第二次湾岸戦争でスカッド・ミサイル迎撃戦で名を馳せた、パトリオット・ミサイルのライセンス生産による大量配備など、一昔前までの関係性からは考えられないレベルの、日本国の形振り構わぬ軍事的援助により、和解から十五年足らずで満洲国の全部隊の西側装備への転換は達成される事になる。
余談ながら、そうした日満両国の軍備規格統一に一番慌てたのは米国議会だった。
費用高騰と冷戦の終結による予算削減から、一旦はキャンセルされるに至った「アメリカ海軍先進戦術戦闘機計画(NATF)」だったが、日満両国のF-14J2大量配備計画がオープンになると、米国の軍事的優位性を保つため計画は再開され、艦隊防空戦闘機であるF-22N、そして艦隊戦闘爆撃機であるF-14Eの大量配備計画へと進化させる事になる。
表向きは「世界の癌」である旧東側諸国最右翼国家イスラエルに対する、軍備の質的優位性を保ち、以て同国の第二第三の核攻撃を頓挫させるのが目的とされたが、配備数を見ればそれがどの国を仮想敵として見ているかは確定的に明らかだった。
尤も、当の日満両国としては、「万一の南北中華大陸との戦争の際に、南北中華大陸を片っ端から吹き飛ばして回りたい!」という至極真っ当(?)な軍事的要求を叶える為のものに過ぎず、米国を相手にすることなど考えたこともなかったのだが(当局発表)。
幸いにしてそのような米国議会の懸念は的中することはなく、二十一世紀に日米関係は新たな段階へと進化し、結果として「心配し過ぎる米国議会」という笑い話の一つに落ち着くのだが、その話はまた別の機会としたい。




