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風に恋して  作者: 皐月もも
After Stories
36/37

Waiting for...

エンツォのお話です。

エンツォが診療所に入ると、たくさんの人々が診察を待っていた。季節の変わり目で、風邪が流行っているせいでこの小さな町に1つしかない診療所は大忙しだ。

そして、その診療所でたった1人のクラドール――リアも。

エンツォは静かに診察室へ入った。


「目を瞑ってゆっくり息をしてね。痛くないよ」

「うん」


そこでは、リアが母親に付き添われた小さな男の子に解熱の呪文を入れようとしているところだった。

熱があるせいで、少し呼吸が荒くぼんやりしている男の子は言われた通りに目を瞑った。リアはその子の頭を優しく撫でてから、そっと腕をとり呪文を唱え始める。

エンツォも目を瞑って、彼女の優しい気の流れを感じた。このときだけは……自分の罪も、許されるような気がするから。リアの穏やかな水属性の気の流れは、そのままそれを洗い流してくれるようだから。


「はい、おしまい。他に痛いところはある?」

「ううん。大丈夫!お姉ちゃん、ありがとう!」


すっかり元気になった男の子はパッと立ち上がって母親に抱きついた。


「ありがとうございました」

「バイバイ!」


頭を下げた母親が男の子の手を引いて出て行く。リアも手を振って彼らを見送った。

それから、エンツォも診察を手伝って夕方にはすべての患者さんを診ることができた。

診療所から続く部屋、小さなキッチンでリアが紅茶を淹れてくれる。それが、いつもエンツォがリアの様子を見にくるときの決まりのようになっていて。


「エンツォ、いつもありがとう」


テーブルにカップを置いて、リアがエンツォに微笑む。向かい側に座ったリアは少し疲れているようだ。


「どういたしまして。疲れに効く薬草、入れようか?」

「うん」


エンツォがそう言うと、リアは素直にそれを受け入れてカップをエンツォに差し出した。

少しだけ、心が痛むのはエンツォが彼女に母の面影を重ねてしまうせいなのか。

でも。


(なぜ……?)


この診療所に、リアを連れてきてからずっとある違和感。

リアは、エンツォに恋をしていて、いつだってエンツォに笑顔を向けてくれるのに。疑うことなく、カップを差し出して「ありがとう」と微笑んでくれるのに。

包み紙の薬草をリアの紅茶に浮かべたら、その表面が揺れた。エンツォの、心のように。


「リア、眠いんだろう?」

「うん……今日は、いつもより患者さんが多かったからかな」


うとうとし始めたリアに声を掛けると、リアは口に手を当ててあくびをした。エンツォは立ち上がって、リアの手を取った。リアはそれに従って立ち上がる。


「ごめんね」


ドキッとする。

その言葉を言わなければいけないのは……エンツォの方だから。


「いいよ。おいで?」

「ん……」


エンツォに支えられながら、寝室のベッドに倒れこんだリアは薄っすらと目を開けてエンツォを見た。


「エンツォ……」

「うん?」


なかなか手を離そうとしないリアは、エンツォを見ているけれど、本当にその眼差しを受けるべき人間はここにはいなくて。

エンツォに恋をしている――させられている――リアは、エンツォがリアに触れようとしないことを、気にしている。言葉にはしないけれど。


「疲れてるんだろう?おやすみ」


エンツォはそっとリアの頬にキスを落とした。

小さく「おやすみなさい」と言ったリアはすぐに眠りに落ちた。深い、深い眠りに。


エンツォはしばらくリアの髪を梳いていた。

雨が激しく降っていたあの日、エンツォに心を許していたリアは疑うことなくエンツォの告白を聞いてくれた。彼女が気づいたときにはもう呪文は唱え終わって、ユベール王子の協力で城外へと連れ出したのだ。

リアの記憶は、そのとき荒くではあったけれどほとんどを封じた。軸である“エンツォが好き”ということだけしっかりインプットすれば、何か外部からの刺激がない限り本物の記憶が顔を出すことはない。この診療所では、少しずつそこに“偽物”をかぶせているところだ。新しい記憶から、古い記憶へ……遡るように施してきた呪文。

新しい記憶は、やはり鮮明だから早めに呪文を施しておくのがいいのだ。

だが、それももうすぐ終わる。


「君が、俺に笑わなくなったのは……気づいているから?」


エンツォはフッと息を吐き出して、リアの額に手を当てた。

幼い頃のリアの記憶に意識を集中させる。

そこでは、幼いリアがレオにマーレの神話――雨の女神の物語――の続きを嬉しそうに話しているところだった。


『レオも風が使えるから好きな人に想いを届けられるね』


呪文を施し終えて、エンツォはリアの頬をそっと撫でた。


「俺の、風は……」


母親を壊したオビディオと、その犠牲の上に生きるレオ。そんな王子様――レオ――と恋に落ちたリア。彼女に、罪はないけれど。


「破壊しか、運べないよ」


エンツォの違和感は消えることがないまま、その日はやってきた。


「お墓参り?」

「うん。明日、お父さんとお母さんの命日だから」


少しだけ、紅茶のカップを持つ手が震えた。それは、エンツォにまだ少しでも良心というものが残っているからなのだろうか。


「そっか。俺は、明日は薬草を買ってくれるって人に会う約束があるから……」

「大丈夫だよ。1人で行ける」


リアはエンツォに向かって笑った。


(やっぱり……)


リアの笑顔は、城にいたときとは違う。

本当は……随分前にリアの記憶操作は終わっていたけれど、リアの“笑顔”が見たくてこの生活を続けていた。だが、これ以上引き伸ばしてもエンツォの求めるそれは与えられないとも思う。それに、命日ならきっとレオもリアの両親の墓へ来るだろう。リアを、連れ戻しに。


「じゃあ、気をつけてね?明日は……風が強いと思うよ」

「うん」


エンツォは立ち上がって、玄関へと向かう。


「エンツォも、気をつけて行って来てね」

「わかってる」


リアと紅茶を飲むのも、彼女の診療所を手伝うのも、今日が最後だ。

こうして見送られるのも。


「おやすみ、リア」

「おやすみなさい」


リアの最後の笑顔も、やっぱり本物ではなかった――



***



――俺の言葉は、もう届かなくなってしまって。


すべてを思い出したときには、君とは離ればなれ。自業自得だって、レオは言うかな。俺も、そう思うけど。


君は、もう1度すべてを俺に与えてくれたのに。


笑顔も、優しさも、全部。


それなのに、俺は君に何もしてあげられない。奪うことしか、できなかった。


優しい君は、俺の記憶を変えたこと、きっと悩んでるだろうね。でも、君は俺を救ってくれた。運命に逆らうことを許してくれた。


それでも俺の風が、何かを与えるということはできなくて。


レオにも、君にも、“ごめんね”の一言すら届けられない。


それでも、あのときのように淡い期待を胸に、いつも待ってる。


君が、会いに来てくれるのを。




「エンツォ、久しぶりだね」


――うん。


「大変だったの。ルカは早く出てきたがっていたくせに。それになんだか、産まれてから力が強くなった気がするの。風でよく遊んでいるし……ご機嫌を損ねると手がつけられないくらい」


――でも、元気に産まれてきて良かった。ルカ……俺は君にも、謝らなくちゃいけないな。でも、もう届かないんだ。ごめん。


『んー、んー!うー』

「わっ!?ルカ……っ」


――俺の風は、何も届けられなくて、ごめん。


『んぅー、え!』

「…………エンツォ?」


――リア。俺は、ここにいるよ。君に伝えたくて。でも……


「……ほんと、に?」


――リア?


『うー』

「うん」


――聴こえるの?


「うん。ちゃんと、聴こえるよ。ねぇ、“ごめんね”は言わないで?」


――リア……っ、ごめん。


「ふふっ。ダメって、言ったのに」


――ごめ……ははっ!ルカ、リア、レオも、ありがとう。


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