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風に恋して  作者: 皐月もも
第七章:嵐が去るとき
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運命に逆らって

シン、と静まり返った部屋。

ゆっくりとエンツォの瞼が上がり、記憶の再生が終わったのだと思った。あまり彼に負担にならないよう気をつけて水の玉を入れたのだけれど、やはり少し息が上がっている。


「くだらないね」


静寂を破ったのはユベール王子だった。先ほどリアの水を被っていたから共鳴を起こしてユベール王子やレオにもヒメナの記憶は見えていたようだ。


「リア、お前、エンツォの母親に……?」

「うん。さっき帰って来たんだよ。間に合ってよかった」


そう、リアはヒメナに会いにいったのだ。

ヒメナはリアを見てとても嬉しそうに笑い、出てきたルカの風と戯れていた。ヒメナの母親に許可をもらい、彼女の記憶を覗かせてもらって帰ってきたのだ。

帰り道、ルカがぐずり出したのには冷や汗をかいたけれど……


「力を与えたから父親面なの?めでたい人たち」


フッと、ユベール王子がため息をつく。


「なぜ……」

「エンツォ、レオが幸せなのはヒメナ様との約束なんだよ」


かすかに声を出したエンツォに、リアは微笑んだ。

もちろん、オビディオがその約束のためだけにマリナやレオを愛していたわけではない。でも、ヒメナもそれを望んでいた。そんな彼女がエンツォにそれを壊して欲しいと思うわけがない。


「もうやめよう?ヒメナ様ね、エンツォに会いたがってたよ」


エンツォはいつから彼女に会いに行かなくなったのだろう。城に入ってからは、実家に帰る様子はなかった。 


「なぜ……なぜ、母さんはあいつを恨まない!?」

「エンツォ……」


リアは心が痛かった。どうしても、リアの言葉はエンツォに届かないのだろうか。


「約束、だと?お前たちは幸せかもしれない。幸せになれるだけの環境があった。だが、俺はどうだ?母さんも、俺も、あんな人間の屑のような男のもとで幸せ?笑わせる!そんな約束は果たされない!」


エンツォの瞳に、激しい憎しみの炎が戻っていく。


「これは運命だ。あの男に嫁がされた母さんの、そしてあの男のもとで育った俺の運命。俺が、王家への復讐を果たすことも何もかも、最初から決まっている!」


逆らえない運命に飲み込まれてしまったエンツォ。もうきっと、彼は自分で抜けることができないところまで溺れてしまった。

それならば……


(ルカ……お手伝い、できるよね?)


『まー、ん、んー!』


リアが心で呼びかけると、レオの近くで風を吹かせていたルカがリアのもとにやってくる。


「何を、するつもりだ?」


エンツォが急にリアのもとにやってきたルカに警戒してリアから離れようとした。しかし、ルカの風は素早くエンツォの身体に巻きついて動けなくなる。


「エンツォ。貴方が逆らえないというのなら、私が逆らってあげる」


運命に逆らえる力。

助けたい、救いたい、と思う気持ちは同じだけれど、マルコのときとは違う。記憶が戻ってからずっと方法を考えていた。そしてリアはそれを持っている。

ヒメナの記憶を見せても納得しなかったら、それを使おうと決めていた。


「リア!?」


レオがリアに駆け寄って肩を掴んだけれど、すでにリアは力を解放していた。「大丈夫」とレオに微笑んで、エンツォに向き直る。

エンツォの目の前に立ち、熱くなる瞳で彼のダークブルーのそれを見つめた。


「俺を、殺す気?」


リアは首を横に振った。


「殺さないよ。あのときの私とは違う。一時の感情の高ぶりに流された、幼い私とは違うの」


そして、リアはとても優しくエンツォに微笑んだ。


「エンツォ。私、偽物の記憶なんてなくても貴方のことが好きだよ。お母さん思いの、とても優しい人……貴方の運命は、破壊じゃない」


ふわり、と。

身体が浮くような感覚、その後に全身に水が行き渡るようにすべてが揺れた。

エンツォの視界には、リアの綺麗な温かい笑顔があって。


(母さん……)


ヒメナもこんな風にエンツォに微笑んでくれた。そして、理解する。自分が求めていたのはそれだったのだと。

偽物の記憶を持ったリアと1年間過ごして……本当は、記憶操作自体は1年もかからずに終わっていたのに、足りなくて。

リアの向けてくれる笑顔が、城にいた頃と違うから。だから……それを見られるまでもう少し、もう少し、と。

あんなに必死になってリアの笑顔を探していたのに。そんなことすら忘れていた今、彼女はそれを自分に与えてくれている。偽物じゃなく、本物の、心からの笑顔を。生まれてからずっとそれを与えてくれていたヒメナが壊れてしまって、もう誰も自分にその気持ちを向けてくれる人はいないのだと絶望した。だから、羨ましかった。

エンツォの経験したことのない家族全員の笑顔があふれる家が、自分を見てくれる人間を持っているレオが……


(俺は……)


愛情が、欲しかった――



***



意識を失ったエンツォを、ルカがゆっくりと床に横たえる。そしてパチンと弾けて消えた。かなり力を使っていたから眠りに入ったのだろう。


「……っ、はぁっ……ふ、ぅっ」

「リア」


レオは大量に汗をかいてその場に座り込んだリアの身体を包み込んだ。


「だい、じょ……ぶ」


息が荒く、頭が痛いのかギュッと目を瞑っているリアは大丈夫には見えなくて。


「へぇ。記憶操作はかなり負担がかかるはずなのに、それだけで済むんだ?ますます欲しくなった」


ユベール王子がスッと立ち上がり、レオとリアに近づいてくる。レオはリアを背に庇った。


「エンツォのために犯人を仕立て上げた時の奴はあれで五感の機能がすべて半分以下になってさ。使いにくくて仕方なかった」

「なんだって?」


レオは思わず身体を硬くした。すると、後ろでリアがレオの服をギュッと握った。“大丈夫”と言っているのだと、理解する。


「さて。今の状況、どう見る?レオ、君1人の相手なら僕にも勝算があると思わない?」

「ルミエールの王子がヴィエントの王と争うという意味を、わかっているのか?」


ユベール王子の戯れ、個人の問題では済まされない。王国間の問題になる。


「じゃあ、そこに倒れてるエンツォがやったことにすればいい」


パッとユベール王子の体が光ってエンツォの姿になった。


「だとしても、セストがいる。お前がこの城にきたことはあいつが知っている」

「だから?セストくん1人が何と言おうが、そんなのは油にしかならない。戦争は世論だよ。“言いがかり”をつけられたらうちの国民の火は燃え上がる」


楽しそうに笑うユベール王子の手に、光が集まって剣の形になった。

狂っている。

ユベール王子はたった1人の人間を手に入れるために戦争をすると言っているのだ。これが、赤い瞳の魔力。誰もが喉から手が出るほど欲しがる神の力。

マーレ国王も、リアの両親も、彼女を道具にしたくなくて守ってきたのだ。オビディオとレオも。けれど今、リアの側にいてやれるのは、守ってやれるのはレオしかいない。

レオは呪文を唱えて剣を呼び寄せた。グッと、右手に力を込めてそれを握ればユベール王子がクスッと笑い、レオと睨み合う。


その緊張の糸が、切れる寸前――


「お戯れが過ぎますよ。ユベール様」


ガチャリと客室のドアが開き、背の高い細身の男が部屋に入ってきた。長めの黒髪をきっちりとセットし、黒いスーツを着ている。眼鏡の奥の瞳は冷たい。その後ろにはセストも立っていた。


「クロヴィス……」


ユベール王子は舌打ちをして姿を元に戻し、剣を収めた。光が散っていく。レオも剣を床に置いて、クロヴィスがユベール王子に近づいていくのを見つめた。

クロヴィスはルミエール国王の側近だ。彼がここに来たということは、王のストップがかかったということ。


「これ以上は困りますね。今のルミエール王国にヴィエント王国との戦争をする余裕があるとお思いですか?」


眼鏡の奥、瞳が鋭く細められる。


「そりゃ、ないかもね?父上があんな小さい紛争にいちいち構うから」


ユベール王子が大げさにため息をついてみせた。クロヴィスはそれを冷ややかに見つめた後、レオに向き直った。


「申し訳ございません。私の監督不行き届きでございます。どうか、寛大な措置を……」


クロヴィスが深々と頭を下げ、今度はユベール王子がそれに冷ややかな視線を向けている。


「こちらに争う意思はない。速やかにルミエール王国へお帰りいただければそれで結構だ」

「感謝いたします」


レオの言葉にクロヴィスがもう1度頭を下げ、ユベール王子に厳しい視線を向けた。


「わかったよ。今日は帰る。それでいいんでしょ?」

「では参りましょう」


ユベール王子がまた舌打ちをして、部屋を出て行く。そのすぐ後にクロヴィスが続いていった。

ユベール王子がクロヴィスに連れられて帰った後、レオは副作用で苦しむリアをすぐに自室に運び、濡れた服を着替えさせてベッドに寝かせた。エンツォは別の部屋に寝かせている。


「レオ……」

「リア、本当に何ともないか?普通の副作用だけか?」


ユベール王子の言ったことが頭から離れなくてさっきから何度も聞いてしまう。


「ほんと……だから。平気」


その度に、リアはレオを安心させようと微笑む。


「レオ……エンツォの、こと……許して、あげて?」

「……っ、リア。それは……」


リアの願いは叶えてやりたい。けれど、エンツォは罪を犯しすぎた。


「1ヶ月、なの……」


リアがギュッとレオの手を握る手に力を込める。


「目が、覚めても……きっと、歩け、ない……」


リアの頬に涙が伝い、リアが“優しすぎる”と言ったユベール王子の言葉を少しだけ理解する。レオはそこまで温情をかけてやる気にはなれない。自分の大切な人を傷つけられて、エンツォがそれを許せなかったように、レオも許せないと思う。

余命が1ヶ月だとしても、自業自得だと思ってしまう。エンツォはそれを承知で行動していたのだ。


「お願、い……」

「……わかった。努力、する。だからお前は眠れ」


リアの涙は穢れを知らなくて……レオの黒い感情を洗い流してしまう。


「うん……」


ホッとしたように、リアが身体の力を抜く。


「ねぇ、レオ……ギュってして?」

「あぁ」


レオはリアの願いを聞き入れた。

そっとリアの隣に身体を滑り込ませて抱きしめる。額にキスを落とせば、リアはレオの胸に頬を寄せて眠りに落ちた。


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