来訪者
「一体何をしにきた?」
レオの低い声が客室に響く。セストもレオの後ろに控えているが、その目は鋭くレオの前に立つ人物を睨みつけている。
「何って、公務に決まってるでしょ?ちゃんと国境警備についての案件を処理して持って帰らないと、父上に怒られちゃうんだけど」
国境警備の案件をわざわざ王子自ら検討しに来て、しかも王であるレオを指名してきた。
「わかったよ。そんなに怒らないで。じゃ、これはそっちの軍の大将とうちの元帥で決めて。ほら、ジャン。セストくんについていって」
ユベール王子はセストに書類の束を投げ、そばに控えていた年配の、しかし服を着ていてもわかるほどに鍛えられた男性の背後に回りこむとツンとその背中を突いた。
「レオ様……」
「いい。行け」
「承知しました」
セストはレオに従い、一礼をして男と一緒に部屋を出て行った。
「それで?」
「うーん、やっぱりリアのことが諦められないんだよね。どうしても譲ってもらえないの?」
ユベール王子がポスッとソファに座り、足を組む。
「リアは王家専属のクラドールでもあり、俺の婚約者でもある。そもそも譲るという表現がおかしい」
「リアと同じこと言うんだねぇ」
レオの低い声とは対照的に、クスクスと高めの笑い声を出すユベール王子。その大きな瞳がスッと細められる。
「でもさ、僕も引き下がれなくなっちゃったんだよねぇ。リアが赤い瞳の所有者だって知っちゃったし」
「お前っ!リアは争いの道具ではない!」
リアを道具としてしか見ていないユベール王子の発言に、レオは思わず大きな声を出した。怒りで身体が震える。だが、ユベール王子は特に気にした様子もなく軽い調子で続ける。
「4年前に気づけていれば、無理矢理にでも僕のものにできたのに。今じゃ抱いちゃったら心臓が燃えて死んじゃうし」
(4年、前……?)
レオはユベール王子を見た。
先日、リアとセストと推測したとおりのことが起きていたのだとしたら。
「大将が瀕死の状態だなんて、普通何が何でも助けない?それが死んだっていうからさ。赤い瞳を持ってるなんて思わないでしょ?」
ユベール王子が肩を竦めた。
「お、前……最初から、ヴィエント王国の軍を狙って……」
喉に何かが詰まってしまったような声しか出ない。そんなレオを見て、ユベール王子はクスッと笑って足を組み替えた。
「誤解しないでよ。あれは、反乱軍が“切羽詰って”やっちゃったことなんだ。僕たち王家も責任を感じてさ。だからちゃんと賠償もしただろう?」
いや、違う。
おそらくユベール王子が薬を反乱軍の手に渡るようにし、ヴィエント軍……それもマルコのみを狙うように仕向けた。もしくは最初から裏金を渡して依頼した。
マルコは軍のトップだった。そんな彼が瀕死の状態になれば、軍で雇っているクラドールではなく、王家専属クラドールが処置を行うことは誰でもわかる。強い呪文に対しての効果を確認できる。
民を庇って、という報告だった。だが、それでもあんなにたくさんの剣に貫かれるほどの隙をマルコが見せることに違和感があった。
それが、これなのだ。
最初からマルコを狙っていたのなら、民を攻撃するのはダミー……一斉にマルコに襲い掛かれば、少なくとも1人か2人の剣はマルコに傷をつけられる。そうすれば、痛みと衝撃で動きの鈍った彼を貫くのは簡単になる。
「一体、いつから……」
仕組まれていたのだろう。リアの話から、エンツォが復讐を決意したのが12年も前のことだとはわかったけれど。
それからずっと、憎しみを原動力に……彼はクラドールの最高峰といわれる王家専属まで上り詰め、さらに年月をかけて舞台を作り、役者を揃え、“呪文”と“薬”という道具を用意した。
「ねぇ、レオ。僕に言わせれば、リアに溺れてる君は王に向いてない。君は優しすぎるんだよ」
今までずっと笑顔を絶やさなかったユベール王子がスッと表情を消した。
「もっと損得を考えなよ。自分の利益のためには犠牲を払うのが当然。そうでしょ?」
「何が言いたい?」
レオがユベール王子を睨みつけると、彼の口角がわずかに上がる。
「リアをくれたら、エンツォをとめてあげる」
それを、レオが了承すると思っているのだろうか。それに……“とめてあげる。”ユベール王子のそれは、エンツォを殺してやると同義だ。
「バカを言うな」
「あんなに苦しめられておいて、まだ情けがあるの?」
ユベール王子はため息をついて立ち上がった。
「情けではない!人の命を軽く扱うなと言っている!」
「君のそういうところ、僕は嫌いだよ」
ユベール王子の声色が変わる。低く、誰もが震えるような凍りついた音。
「みんなで幸せに、って?現実はそんなに甘くない。君もそれは学んだと思ったんだけどな」
エンツォのことを言っているのだろう。
確かに彼は、幸せとは言えない道を歩いてきたのかもしれない。けれど、ヒメナと過ごしていたときのエンツォには少なくとも安らぐ場所、幸せになれる場所――ヒメナの笑顔があった。今は、憎しみにそれが覆われてしまっているだけで。
「エンツォみたいに、生まれながらにして“不幸”な人間もいるんだ」
「あいつは不幸な人間じゃない!ただ、真実を知らないだけで――っ」
レオがそう言った瞬間、シャンデリアが目の前に落ちてきた。ユベール王子とレオの間に散らばるガラスの破片。
「真実?そんなのは何の慰めにもならない!苦しみも、痛みも、現実だ!」
ユベール王子の身体が光を放っている。興奮して力が漏れているらしい。肩で息をするユベール王子を、レオは呆然と見つめた。彼がこんなに取り乱したところを初めて見た。やがて、少しずつその光が消えてユベール王子が息を吐いた。
「いいことを教えてあげる。君はいつからエンツォが準備をしていたのか気にしてたみたいだけど、忘れない方がいいよ。彼の復讐は終わってない」
ニッコリと笑ったユベール王子の笑顔は歪んでいて、しかし、それが見えたのは一瞬。
「――っ!」
部屋が眩しいほどの光に照らされ、エンツォの気配を感じたかと思ったときには、レオの目の前に風の渦が迫っていた。
渦に巻き込まれるように、身体が宙に浮く。
だが……それは攻撃的なものではなく、すぐに床に足がついた。風が小さくなって、レオの周りを回って吹く。
『うー!』
「ル、カ……?」
ハッとして前を見ると、リアがレオの立っていた辺りでエンツォの風を受け止めていた。
「アソービメント」
小さくリアが呟くと、水のベールがエンツォの風に吸い込まれるようにして一緒になり渦を巻く。いや、吸い込まれているのは風の方だ。
そしてそれが弾け飛び、部屋に雨となって降り注いだ。部屋にいる者に降り注ぐそれは優しい温度だった。それがエンツォに伝わったのかは定かではないけれど。
「エンツォ」
「やぁ、リア。セストがこんなに早く記憶修正をマスターしたとは、ちょっと驚いたな」
エンツォは濡れた髪をかきあげながら言う。
「エンツォ……もう、終わりにしよう。こんなの、悲しいだけだよ」
「俺はやめないよ。母さんのために」
リアの声も後姿も震えている。憎しみに満ちた彼を見ているのがつらいのだろう。
「お母さんのために、その大切な命を捨てると言うの!?お母さんがくれた命を、そんな風に使って、お母さんのためになんてならないわ」
その言葉に、レオは一瞬息をすることを忘れた。
リアはエンツォが“手を出してはいけない”呪文や薬を使いすぎていると言っていた。代償なしで使えるものじゃないから、本来禁止されているものなのだ。エンツォは自分の命を削って復讐を実行していた……
「あの日、貴方は私を置いていったんじゃない。連れて行くことができなかっただけ」
エンツォは、あの日までずっとカタリナに憑依していた。そして力を増幅させる薬を飲み、大きな呪文も使った。そんな、自分の限界を超えた力を使ったその後がどういうことになるかは、リアが一番よく理解しているだろう。
「言っただろう?目的のためならどんなものでも犠牲にできると。それが自分の命であってもだ」
エンツォが不気味な笑い声を上げる。
「リア、君も優しすぎるね。さすがに僕もイラッとくる」
「ユベール王子……」
リアがユベール王子に視線を移す。全身びしょ濡れの彼はソファに座って濡れた服を絞り始めた。
「まぁいいや。僕はエンツォを城に入れる手伝いをしただけだし。あとはそっちで適当にやって。あぁ、終わったらリアも一緒に帰る予定なんだけどね」
「それは貴方の予定よ。私はレオのそばにいる」
リアがハッキリと言い放ち、再びエンツォに向き直った。
「こんなことをしても、ヒメナ様は喜ばないよ」
「君に何がわかる?」
エンツォがリアを睨む。
「わかるよ。私はレオを愛してるから、ヒメナ様の気持ちがわかる。オビディオ様を愛していた彼女の気持ち」
「そんなものは役に立たない!」
リアの言葉に、エンツォが叫ぶ。
「母さんはあいつを愛していたかもしれない!でも、母さんは君みたいに愛されてなかった!」
「父上はお前の母親をちゃんと愛していた!」
「黙れっ!」
思わず口を挟んだレオを、エンツォが睨みつける。それは、リアを睨むのとは質の違うもの。憎悪の炎が燃える視線。
「何度も言わせるな!お前の父親が母さんを捨てた!そのせいで、母さんも俺もずっと苦しんだ。それなのに、お前は両親に愛されて苦しみなどとは程遠い世界で生きている」
リアは目を閉じて、息を吐いた。そして、ゆっくりとエンツォに歩み寄っていく。
「リア!?」
「来ないで!大丈夫だから……」
レオがリアを止めようとしたけれど、リアは振り返って微笑んだ。レオがグッとリアに伸ばしかけた手を握る。信じる、ということだ。
「何のつもりだ?それ以上近づくな!」
少しずつ近づいてくるリアに、エンツォが一歩下がる。だが、リアがその手を掴んだ。
「今日は、薬を飲んでいないんだね。良かった……」
本当は“飲めない”状態であるだけなのかもしれないけれど、これ以上、自分を傷つけないで欲しいから。良かったと思う。
「エンツォ……貴方は私に真実を教えてくれた。だから、私も教えてあげる」
リアがエンツォの頬に片手を添えると、エンツォがピクッと身体を跳ねさせた。
「やめろ、俺は知っている!」
そう叫ぶエンツォは、しかし、リアの“真実”という言葉にうろたえているようにも見えた。レオの言葉はエンツォに届かないけれど、リアのそれは……少なくともエンツォの躊躇を引き出す程度には重みがあるようだ。
「知らないよ。貴方は自分がどれだけ愛されていたかを知らない」
だから、それを伝えたくて。
「っ、俺は――」
「大丈夫。怖がらないで」
リアは自分の口の中で水の玉を作った。エンツォの身体をクッと引き、背伸びをして額に口付ける。
小さな水の玉はゆっくりとエンツォの額へと吸い込まれていった――




