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風に恋して  作者: 皐月もも
第五章:嵐の襲来
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不安

「レオ様、手が止まっております。そんなペースでは、ますますリア様のお部屋へ行く時間がなくなりますよ」


セストがため息混じりに言って、新しく書類の束を積み重ねた。それに、レオが顔をしかめる。


「なんだ、これは」

「4カ国会議関連の書類です」


ヴィエント王国、ルミエール王国、マーレ王国、フラメ王国――主要4カ国が毎年行うサミット。今年はフラメ王国での開催だ。


「欠席……は、無理だよな」

「無理です」


レオは頭を抱えた。なぜ、こうもタイミングが悪いのだろう。


「お前だけでも、城に……」

「無理です」


王であるレオはもちろん、レオの側近を務めているセストは政務の補佐でも重要な役割を担っている。彼を伴わずに4カ国会議に行くことはできない。


「お気持ちはわかりますが、こればかりは私もどうにもできません」


セストはレオがサインを終えた書類をテキパキと分類し、まとめながら言う。


「私たちの留守中はイヴァンとディノ、2人に対応させます。カタリナにもよく言っておきましょう。警護は……どういたしましょうか?」


セストの問いに、レオは手を止めた。


「カタリナがいるから、とりあえずそれでいい。何かあったらすぐに俺に伝わるようにしておけ」


カタリナはリア付きの侍女ではあるが、剣術が得意で護衛としての役割も担っている。

ただ今回は精神的な攻撃を仕掛けてきているから心配なのだ。カタリナは剣術に長けているが、呪文は得意ではない。実質イヴァンとディノの2人に任せることになるだろう。もちろん、2人も優秀である。だからこそ、この城で働いているのだ。

けれど……


「レオ様、リア様が心配なのはわかりますが、この会議をすっぽかすことはヴィエント王国の問題になってしまいます。そうなれば、レオ様もリア様もお立場が……」

「わかっている。だが、リアが不安定なのは知っているだろう?」


あの夜――泣き止んだはずのリアがまた突然泣き出して、レオは驚いた。精神的なショックから、ふとした瞬間に恐怖が蘇るのだろう。

レオの名を呼びながら泣き続けていたリアを、抱きしめて、口付けを落としてやることしかできなくて。

体調もあまり良くなっていないようで、眠ってばかりいるし、ぼんやりしていることも多い。


「それは、私も気になっておりました」


セストがふと手を止めて考え込む。セストもリアに記憶修正の鍛錬をつけてもらっているはずだ。リアの様子がおかしいことにも気づいている。


「もちろん、恐怖はあるのでしょう。しかし、それとは違う何かが……」


セストはため息をついた。

何か、おかしい。喉元まで出掛かっているのに決定的な“それ”にたどり着けない。何かとても重要なことを見落としている気がする。

リアは鍛錬の手ほどきをしてくれるときも、最近少しぼんやりしているところがある。

体調が悪いのかと聞いても「大丈夫」としか言わないし、微熱続きの原因を一度検査して調べてみようかと申し出ても断られる。いや。断られる、というよりは……


(嫌がって……?)


考えすぎだろうか。

この城に来てから、赤い瞳の副作用や風邪、精神的なストレスもあっただろうから体調不良が出るのは特におかしいことではない。

だが、最近はレオにも心を許し、自ら記憶を取り戻そうとしているのに“ストレス”はないだろう。他の呪いなどがかけられている様子はないし……

もう1度、今度は更に大きなため息が出た。

リアもクラドールであるから自分の体調は理解しているはずだ。何かおかしければ、自分でもそれなりの処置はできるだろうし、セストも強くは言えないのだ。

「ところでユベール王子についてですが」


セストがトン、と音を立てて机に書類を置いた。

エンツォとユベール王子が同時期に動いていることから、彼らがつながっている可能性が高いと判断し、レオはセストに調べさせていた。


「彼の母親はレオ様もご存知の通り、ルミエール王側室の1人です」

「あぁ」


ルミエール国王の寵愛を独占するのがユベール王子の母親だというのは各国でも有名な話だった。だから、正妃の子を差し置いて彼が跡継ぎとして第一王子になっている。

レオは頷いて続きを促す。


「アンナ・ブイレント、旧姓アレグリーニ――カリストの姉です。つまり、表向きエンツォとユベール王子は従兄弟ということになります」

「なるほど。確かにカリストの母親はルミエールの者だったな。だが……」


彼女はルミエール王国財務大臣の娘だったはず。

アレグリーニ家は当時、どちらかといえば貧しい部類に入る貴族だった。そんな家の、しかも他国の貴族に嫁ぐことなど許されるはずもなく、周囲の反対を押し切って駆け落ち同然で結婚してヴィエント王国で暮らしていた。

それなのに、娘をルミエール王室に嫁がせるというのは理解しがたい。

「カリストの父親には借金がありました。おそらくその肩代わりに娘を王に嫁がせることを条件とされたのでしょう」


現にアレグリーニ家が台頭し始めたのは、カリストの姉がルミエール王国へ嫁いだ後からだ。


「そうだとしても、エンツォとユベール王子が接点を持つことは難しくないか?」


ヴィエント王国の上流階級に当たる貴族の息子とはいえ、他国の王子に簡単に目通りがかなうとは考えづらい。しかも、虐殺事件で没落した家の人間だ。


「エンツォからユベール王子に近づいたと考える場合、難しいという結論になりますね。では、逆だったらどうですか?」


ユベール王子がエンツォの出生の秘密に気づいて接触を図った……?


「ユベール王子はずっとリア様を欲しがっていました。そしてエンツォの出生を知り、更に彼が復讐をしたいと思っているとわかったのなら、2人の利害は一致します」


リアを手に入れたいユベール王子。

ヴィエント王室に復讐したいと願うエンツォ、そしてその王室で大事にされているリア。


「リア様が戻ってきて最初の出来事を覚えていらっしゃいますか?研究室で精神崩壊を起こしそうになったときです」

「待て、セスト。リアが壊れてしまったら、クラドールとしてだって利用できなくなるだろ?そうしたらユベール王子には何も……」


確かに、リアがあのまま精神崩壊を起こしてしまっていたらレオへの復讐にはなるのかもしれない。レオは愛する人を壊されて、絶望へと落とされる。だが、ユベール王子の手にリアが渡るわけではない。

しかし、レオの言葉にセストが首を振る。


「1度精神崩壊を起こすと戻らない、と一般的には言われています。ですが、それは“元に”は戻らないという意味なのです」

「どういう、ことだ?」


心が壊れてしまった場合、元に戻すことはできない。人の心は複雑で、どんなに技術の高いクラドールにも、粉々に散ったピースを完全に復元することはできないといわれている。

グラスの破片は大きいものだけではない。目に見えないような粉になってしまう部分まで拾い集めることはほぼ不可能だろう。たとえそれがほんのわずかでも、違いが出る。


「意思のなくなった心を操るのは、赤子の手を捻るようなものだということです」


自分の意思をなくした心。壊れてしまった心の欠片を抜き取って、スポンジのようなそこに新たな意思を入れれば何の抵抗もなく吸収されていく。


「とはいえ、それなりに高度な呪文です。人の心を思うままにするわけですからね。養成学校ではその存在すら教えることのない禁術です」


壊れたリアに、ユベール王子の望むままの人格を植えつけて引き渡す。


「ただ、厳重に保管された古文書なんかには載っていますし、リア様の記憶操作の精巧性を見てもエンツォなら可能かと」

「なるほど。だが、もう1つ。どうやって、この城から連れ出す?」


たとえそれができたとしても、リアをこの城から連れ出すことが難しいのはセストも承知のはず。


「貴方は本当に人遣いの荒い人ですよね」


セストがため息をつく。


「仕方ない。こういう仕事はお前の方が向いているし、呪文の知識はクラドールであるお前の方が持っている」

「お褒めに預かって光栄です。これを、どうぞ」


レオがクッと笑うと、セストが胸元のポケットから何枚か紙を取り出してレオに差し出した。


「読みにくいという苦情は受け付けません。急いで写しましたので」


折り畳んであった紙を開くと、そこにはルミエールの古文書の数ページがあった。急いだ、と言った割に綺麗でハッキリと写された文字。そのうちの1枚は翻訳されたものだ。


「これを、ユベール王子が使えると?」

「はい。この古文書はルミエール王家に伝わるものです。王家の血を受け継いだ者しか入ることのできない書庫にありました」


レオは額に手を当てた。どうやってそこにもぐりこんだのかは聞かないことにする、というよりはなんとなく想像がつく。リアは諜報活動のために記憶修正を教えているわけではないのだが……


「失敗はしていないと思いますが……していたとしてもちょっと記憶障害が出るくらいでしょう。ちょうど良い鍛錬の場になりましたよ」


セストもレオの言いたいことを読み取ってニッコリと笑う。


「とにかく、1年前にリア様がこの城から忽然と消えたこと、1年もの間見つからなかったことを考えるとこの結論に至ります」


古代ルミエールの呪文、レフレクシオン。意味は、反射――光の波長吸収率と反射率を故意に狂わせて物体の色と形を変える幻術。

物体は光に当たると、その光のどの波長を反射するかによって人の目に映る色を変える。その波長自体をコントロールすることで、物体の吸収する波長と反射する波長を狂わせるのだ。

そうすることで、本来“赤”として人の目に届くものを“青”に変えることができるということだ。

つまり、リアは普通に生活していたけれど、彼女の周りの光を操作して外見が変わって見えた。おそらくエンツォ自身もこの呪文を使って誰にも気づかれることなく城を抜け、ヴィエント王国の小さな町に潜んでいた。


「気にも効果があると?」

「それなんですが……レフレクシオンは視覚的な錯覚を促すものです。私たちの属性感知能力まで誤魔化せるのかは疑問です」


属性感知とは、相手の気の質を感じ取れる能力のことだ。セストもレオもそれなりに他人の気の性質の区別はつくつもりだ。


「違う仕掛けがあるかもしれないということか」

「そうですね。今のところ、わかったのはこの程度です」


レオは頷いて古文書の写しをセストへと返す。セストはそれをポケットに入れてから、ふと気づいたようにまた顔を上げた。

「ノエ将軍についてですが……万が一を考えて、私が極秘に監視下に置いています。4カ国会議への護衛として連れて行く手配も済んでおります」


ノエ将軍はヴィエント王国の軍をまとめる、レオの信頼が最も厚い兵だ。あまり疑いたくないと言うのが本音ではあるが、皆の証言のつじつまが合わず、セストもレオも少々困惑している。

カタリナは、花束はノエ将軍からの快気祝いだと言っていた。だが、その後ノエ将軍に聞いたところ花束など贈っていない、と。

更に彼は交流会に家族を招いており、ほとんどずっと一家揃って一緒に広間にいたのが目撃されている。レオもそれは見た。だが、カタリナに接触したのも執事や侍女の証言から確かにノエ将軍だったという。

大勢の人間が集まる場所は、目撃者がいる一方で紛れ込みやすくもある。


「この、レフレクシオンを使われたと考えることは?」

「まぁ……ないとも言い切れませんが、それはレフレクシオンで気も隠せると仮定した場合ですね」


セストが顔を歪ませる。彼もまた、ノエ将軍に大きな信頼を置いている者の1人だ。


「そう、だな……」


ユベール王子が呪文を使えばすぐにわかる。彼は他国の人間、光属性を持つ者だからだ。あの場でたった1人の光属性、呪文を使う必要性のない交流会。気づかない方がおかしい。


「エンツォがノエ将軍になりすましていると思うか?」

「証拠がないので何とも言えませんが、今はリア様から遠ざけておいたほうが良いでしょう。それに、会議に連れて行けばユベール王子と接触するかもしれません」


セストの意見は尤もで、“ノエ将軍”から花束を受け取ったという事実がある限りは仕方ない。


「だけど、俺もお前も……リアだって、こんな近くにいるのに気づかないというのはおかしいだろ?」

「ええ……」


セストはふいにレオから視線を逸らした。

実は、セストには心当たりがあった。けれど、その“呪文”はお伽話のようなもの。今まで誰かが使ったという記録もないし、現実的にそれが可能かどうかと言われると答えはノー。


「セスト?」

「あ、はい」


レオに声を掛けられて、ハッと顔を上げる。


「とにかく、リア様も今はエンツォに対して警戒心を持っています。彼女が優秀だということはレオ様もおわかりでしょう?」


エンツォと十分に渡り合える。


「何かあれば、すぐに私たちに伝わるようにしていきます」

「わかった、それでいい。今夜の夕食は食堂に用意させろ。リアも呼べ」

「承知しました」


そう言って仕事に戻ったレオを見て、セストは軽く頭を下げて執務室を後にした。



***


その夜。


『ぱー!ぱー!』


リアの部屋で、レオとリアはソファで寄り添って緩やかなときを過ごしていた。父親に会えたことがよほど嬉しいらしく、お腹の子の機嫌は良い。


「体調は、大丈夫か?」

「はい」

「ならいいが……眠り姫は相変わらずのようだな?」


レオはそう言って、リアの頬に唇を寄せた。そして、リアの唇にそれを重ねようとする。


「ま、待って……」

「リア?」


咄嗟にレオの身体を押し返してしまったリア。レオが不思議そうな顔をしてリアの瞳を覗き込む。


「あ、あの……」


子供が……とは言えず、リアは口ごもる。

本当は、言いたい。貴方の子供がお腹にいるんです、と。

けれど、怖いというのも本音。この子の力の強さは、今のコミュニケーション能力や交流会のときの突風から相当のものだとわかる。そして、レオとリアからそれぞれ風と水の属性を受け継いで……もしかしたら赤い瞳、も。

正直に言えば、産みたくない、という気持ちがある。自分の子を産みたくないなんて言われたら、レオはどんな顔をするだろう。

赤い瞳が能力者にとって疎ましい力だということを、リアは身を以って知っている。そんな他人だけが欲しがるような力を……この子にも与えてしまったら?

そんなことを考えているリアの心がわかるのか、お腹の子の声はリア以外に聴こえていない。

もし、このまま――…


(そんなの……できるわけ、ないのに)


リアはそっと自分の下腹部に手を当てた。もう、生きている命。母親であるリアに話しかけてきて、父親であるレオに会うと嬉しそうに笑って。


「リア?」

『まーま』


黙ったまま俯いていると、レオにクッと顎を持ち上げられた。


「ぁ……待っ――」


同時にグイッと腕を引かれ、少し強引に唇が重なる。


『うー!きゃはっ!まー、まー、ぱー!』

「っ、んっ……レ、オ………っ、ふ」


舌がもぐりこんできて、熱く重なる吐息と身体に、だんだんと頭がぼうっとしてくる。思考が吹き飛ばされる。


「明日……会えない、分…………欲しい」

「レオ、まっ――」


ソファに押し倒され、更に深い口付けが続いていく――そのときだった。


『やぁぁぁ!!』

「――っ」


突然、お腹の子が泣き出した。


「リア?悪い、怖かったか?」

「え……」


レオがリアの頬に触れ、自分が泣いていることに気づく。

「あ、違……」


泣いているのは、自分じゃない。けれど、涙が止まらない。お腹の子が泣き止まないように。


「あ、あの……ごめんなさい。明日会えないって……だから、その、さみ、しく……なって」


咄嗟の言い訳だった。けれど、本心も、入っている。

レオはフッと笑ってリアの涙を拭う。


「ごめんな?すぐ、戻ってくるから。ほら、泣くな……」

「ん……」


レオはもう一度、優しく口付けをしてくれた。


(な、に?どうしたの?)


『ふぇっ、うっ、ぱー、ぱー!』


明日レオに会えないことが、この子にもわかったのだろうか。


「レオっ――」


その子もリアも泣くのを止められなかったけれど、レオはずっと優しく頭を撫でて、安心させるように甘い口付けを繰り返してくれた。リアが眠るまで――


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