風の声
――風が、吹いている。
その風に乗って、声が聞こえる。
『うー、あ!きゃはっ!』
意味を成さない言葉と笑い声。
風が通り過ぎて行くと、急に身体が熱くなった。焼けてしまうのではないかと思うくらいに熱い。
「リア!」
その声にリアが目を開けると、レオがパッと立ち上がって顔を覗き込んでくる。のろのろと身体を起こそうとすれば、背中を支えてそれを手伝ってくれた。
「リア、大丈夫か?」
リアは大きく呼吸をしながら頷いた。
「わ、たし……?」
水を飲んだら、意識が薄れてきて……頭の中が黒く染まっていくようで、自分を見失いそうになって。それでも聴こえてくるレオが自分を呼ぶ声に答えようとしたのだけれど、できなくて「助けて」と強く願った。
そうしたら……
「風、が……」
吹いた。誰かが笑っていた。
「あれは、お前がやったのか?」
リアは首を振った。ちゃんと身体が動いたのかさえよくわからなかったが、レオは理解したようだった。
「そうか……眩暈は?」
「少し、だけ」
「それなら横になったほうがいい」
レオがリアの身体を横たえようとして、リアは咄嗟にレオの腕を掴んだ。
「リア?」
抱きしめて欲しい……鼓動が、聴きたい。安心する、その生命のリズムを。
クッとレオの袖を引っ張るとレオは理解してくれたのか、リアの身体を引き寄せて腕の中に閉じ込めてくれた。リアはレオの胸に耳を当てる。レオが優しくリアの頭を撫でてくれる。
「ここにいるから……安心して眠れ、な?」
リアはレオの手に自分の手を重ね、指を絡めるようにして握った。
「レオ……このまま、いて……」
「あぁ」
安心するトーンに、リアはそのまま瞼の重みを受け入れた。
***
――リアの周囲をぐるぐると回る風。
『んー!』
楽しそうに響く声。
「誰?」
リアが問うと、笑い声が高くなった。
辺りは真っ白で、リアの周りには何もない。この空間がどれくらいの広さなのかもわからないほどの真っ白な世界だ。
夢なのだと、すぐにわかった。
キョロキョロと自分の周りを見回すリアの髪の毛が風になびく。風はその長い髪と戯れるように吹きつけ、リアの髪の毛を踊らせた。
『うー!んーう』
どうして、この風は自分に巻きつくように吹いているのだろう?
「レオ」
『あー、あー!』
リアがその名を呼ぶと、嬉しそうなはしゃぎ声が響いて風のスピードが速くなった。
「レオ?レオ、なの?」
いや、違う。レオの風はもっと緩やかな……
(会いたい)
そう思って。
「レオ」
***
――手を握ったけれど、その温もりはすでにリアを離れた後だった。
(あ……)
ゆっくりと起き上がって部屋を見回すけれど、レオの姿はない。執務だろうか……
窓の外では太陽が一番高いところに昇っていて、かなりの時間眠っていたことがわかる。
「レオ……」
そう呟いたとき、窓からサァっと風が吹き込んできた。
『……ぁ……』
それと共に微かに聞こえた声。リアは夢の中でしたようにキョロキョロと辺りを見回す。
(気のせい?)
先ほど見た夢のせいだろうか。リアはため息をついて、背中をベッドに沈めた。
熱はほぼ下がっている。また、微熱だ……
「レ、オ……」
目を瞑り、もう一度彼の名を呼ぶと、また風が吹いた気がした。
***
『ぱー!』
「――っ!?」
急に響いた声に、リアはバッと起き上がった。
「リア?どうした?」
「え……?」
声のした方に顔を向けると、レオが扉に手を掛けたままリアを見つめていた。部屋に入ったところで、突然飛び起きたリアに驚いたようだ。
どうやら少し眠っていたらしい。
「声が……」
「声?夢でも見たのか?」
「ゆ、め……?」
レオには聞こえていなかったらしい。また、夢だったのだろうか。
それにしては、身体に直接響くようなハッキリとした声だった気がするのだけれど。
「まだ微熱だな」
近づいてきたレオがリアの額に手を当てて言う。リアはぼんやりとレオの顔を見つめた。
「どうした?」
じっと見つめるリアに、レオは優しく微笑んでくれた。
「お仕事に、行っていたのですか?」
「あぁ……悪い。マーレ国王が来ていたから、少し対応しなくてはいけなかった」
リアは頷いてレオに身体を寄せた。レオもリアを引き寄せてくれる。
「甘えたになったな?」
レオがクスッと笑ってリアの頬を撫でる。
「ダメ、ですか?」
「いや……構わない」
ギュッと……レオの腕に力がこもる。リアもそれに応えるようにレオの背中に腕を回した。
静かな部屋、リアの耳にはレオの鼓動だけが聴こえる。沈黙は全く気にならない。
「怖かった……」
リアがポツリと呟く。
「外で休んでいたとき……ユベール王子とお話をしたんです」
「ユベール王子と?」
レオが硬い声を出す。
「はい。ルミエール王国にクラドールとして来ないかと。俸給ははずむから、と。それに、地位が欲しいなら……っ」
側室にしてやる、と。
それを口に出すのが憚られてリアは黙り込む。
「言わなくていい。それで、その後は……?何があった?」
「お断りしました。そうしたら、冗談だって……わ、たし、どこまで信じていいのかわからなくて、それで……」
クラドールとして欲しいのは本当だ、と言ったときのユベール王子の顔を思い出すと恐ろしくなる。あの美しい、整いすぎた笑顔の裏には何が隠されているのだろう。
「怒らせたお詫びに、と……カタリナの持っていた花束の花びらを私のグラスに……」
「花束?」
レオが怪訝そうな声を出す。
「私の快気祝いに、ノエ将軍からいただいたと言っていました」
新種の花が混ざってはいたが、普通の花束に見えた。呪文が掛けられていれば、リアはそれを感知できるはずだ。それとも、体調が悪いせいで感覚が鈍っていたのだろうか。
「私、その後グラスの水を飲んでしまって……そうしたら、だんだんと意識が、自分が、わからなくなって」
最後は声が震えた。涙が頬を伝う。
「怖かった――っ」
「リア、もう大丈夫だから」
レオはポンポン、と優しくリアの背中を叩いてくれた。それでも、止まらない涙……
すると、レオはいつかのように、瞼に口付けて涙を掬ってくれた。そのまま頬を伝って……唇が重なる。
ちゅっ、と――触れるだけのキス。
「おまじない……効いたな?」
「はい……」
レオが微笑み、リアもそれに釣られて笑みを零した。少し見つめ合って、レオがもう一度リアをギュッと抱きしめてくれる。
その温もりと、リアに伝わってくる鼓動が心地良い。
「なぁ、リア。ひとつだけ、確認したいんだが……」
「はい」
リアの背中を撫でながら、レオが口を開く。
「お前に……ヴィエントの血は混ざっていない、よな?」
「はい。私の両親はどちらもマーレ王国の者です。でも、どうして?」
なぜ、レオはそんなことを聞くのだろう。リアが純粋なマーレの人間であることは、彼もよく知っているはずではないのか。
「いや……昨夜のことと、イヴァンがお前に気を送ってもらったときに、風属性を感じたと言っていたのが気になって、な」
風属性――リアから?
「私は純粋な水属性ですよ。私の両親も。それに、仮にヴィエントの血が入っていたとしても、祖父母より前の話になります。私に風属性が表れることはありません」
「そう、だよな……」
水属性の家系に1人くらい風属性が入ったところでその力はどんどん薄まってしまう。属性には優勢・劣勢がないため、遺伝は単純に量なのだ。
リアのように純粋なマーレの家系――水属性――の者に少量の風属性が入っていたとしても、水属性が勝ってしまって表には出ないし、使えない。
つまり、どちらの力も使える者は両親がそれぞれ違う属性を持っている場合のハーフ。例えば、レオとリアの子供ならば――
レオと、リアの……子供?
「――っ」
ああ、そうか……と。ストンとすべてが心に落ちてくる。いや、どこかで「やっぱり」と思った。確かめるのが怖かったのかもしれない。ずっと……風邪が長引いているだけなのだと、思おうとしていた。
平熱に戻らない体温も、たっぷり寝ているはずなのに眠くなるのも、時折聴こえるようになった声も……
(赤ちゃん……)
苦手な桃を食べたこともあったし、呪文や薬を入れたくないと本能的に行動したこともあった。普段なら気にならない匂いに気分が悪くなって……
そして、自分を守ってくれた突風。
「レオ――っ」
『あー、あー!ぱー』
リアはレオの胸に顔を埋めた。
ああ、ハッキリと……聴こえる。自分の中から、命の声が。
「リア?」
『まー』
どうしたら、いいのだろう……
「レオ、レオ――っ」
レオのおまじないで止まったはずの涙が、また溢れた――




