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風に恋して  作者: 皐月もも
第四章:旋風と守りの風
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美しい花の棘

リアはテラスに出て、ぼんやりとここに来る前にもらってきた水の入ったグラスを見つめていた。月明かりに照らされて、ゆらゆらとグラスの向こう側が揺らめいて見える。

リアはそれを一口飲んで、ホッと息を吐いた。外は優しい風が吹いていて、気分も大分落ち着いてきた。レオも心配していたし、そろそろ戻ったほうがいいかもしれない。

そう思って振り返ると、ちょうど1人の男性がテラスへのガラス戸を開けて外にでてくるところだった。


「やぁ、リアじゃない。こんなところでどうしたの?レオは?」


彼もリアに気づいて、近づいてくる。

ユベール王子――ルミエール王国の第一王子だ。先ほどレオと挨拶の対応をしたから顔と名前は一致するが、少しまずい。

レオが少し教えてくれた話では、彼とはそれなりに関わりがあったらしいから、不用意に会話してしまえばリアの様子がおかしいことに気づかれてしまうだろう。


「少し、外の空気を……今、戻るところでした」

「病みあがりだしね。大丈夫?」

「はい。ありがとうございます。では、失礼します」


リアは軽く頭を下げてガラス戸へと歩を進めた。

「ねぇ、リア」


ちょうど、リアが戸に手をかけたとき、ユベール王子に呼び止められる。


「はい?」


リアが振り返ると、ユベール王子は笑顔で近づいてきた。


「ルミエール城に来る気はない?クラドールとしての待遇は保証するよ。俸給も倍、いや……君が欲しいだけ、出す」


彼は何を言っているのだろう。突然の申し出に頭が回らない。


「それに、地位もあげるよ。僕の……側室としての、ね」


リアはその言葉に首を振った。


「ご冗談を。私はヴィエントの王家専属クラドール、そしてレオの婚約者。貴方もご存知のはずでしょう?」

「もちろん知ってるよ」


ユベール王子は何がそんなに面白いのか、クスクスと笑いながら続ける。


「紋章のことを気にしているのなら心配ないよ。別に最後の一線を越えなければ問題ないんでしょ?子供を産める女なら城にたくさんいる。それに、男女の楽しみ方はその“一線”だけじゃない」


リアはカッと身体が熱くなるのを感じた。怒りでグラスを持つ手が震える。


「私はそういうことを言っているのではありません!この城を、レオのそばを離れるつもりはありませんから。失礼します」


一気にそれだけ言うと、リアはガラス戸を勢いよく開けて会場に身体を滑り込ませた。

けれど――

「ああ、ごめん。リア、そんなに怒らないでよ」

「離してください」


ユベール王子に手を掴まれて、リアは顔だけ振り返って彼を睨む。


「僕が悪かったよ。ちょっと言い過ぎたね。でも、今日は虫の居所が悪いの?冗談だってわかってるでしょ?」


冗談……リアはどこまで彼の言葉を信じたらいいのかわからず、グッと黙り込んだ。

もし、リアが今までユベール王子のこうした冗談を軽く流していたのだとしたら、すでに彼に違和感を与えてしまったことになる。これ以上、その疑いを深くするようなことはできない。


「それに今は誰もいないのに……随分他人行儀だね?」

「――っ」


ユベール王子の笑顔にリアはビクッと肩を揺らした。

自分はユベール王子とそんなに親しかったのだろうか?レオの口ぶりではヴィエント国王の婚約者と他国の王子という、決して近くはない関係だと感じたのに。

それは、リアの思い込み……?


(怖い……)


ユベール王子がリアを知っているというだけではない。何か……もっと、違う恐怖。


「リア様、こちらにいらしたのですか?」


そのとき、カタリナが会場の入り口の方から歩いてきた。リアはホッと身体の力を抜く。カタリナが声を掛けてくれて助かった。

カタリナは桃色のリアの見たことがない花がメインの大きな花束を持っている。新種なのだろうか。


「カタリナ。綺麗な花だね、どうしたの?」

「こちらはノエ将軍からリア様への快気祝いでございます。城下町で珍しいお花を見つけたと。裏で花瓶に分けて飾ろうと思いまして……」

「そうなんだ。美しいリアにピッタリだね?」


ユベール王子はそう言って、花びらを一枚ちぎってリアのグラスに入れた。淡い桃色の花びらが水に浮かぶ。


「さっきのお詫び。まぁ、側室の話は冗談だけど、クラドールとしては……本気で君が欲しいと思ってるから」


その笑顔が……ゾッとするほど美しいと思った。


「し、失礼します」


リアはこれ以上ユベール王子と一緒にいるのは危険だと思い、お辞儀をすると足早にレオの元へと向かった。


「ふふっ、でも妬けちゃうなぁ……記憶がないのにあんなに懐いちゃって、さ。あぁ……美しい花には棘があるんだよって教えてあげるの忘れちゃったな」


そのユベール王子の呟きは、リアには届かなかった。

ユベール王子から離れたリアは、グラスの中の花びらを掬って水を一気に飲み干した。冷たい水が喉を伝っていく。それから深呼吸をして、レオにそっと近づいた。


「ああ、リア。大丈夫か?」

「席をはずしてしまってごめんなさい。外の空気を吸ったら落ち着きました」


レオに心配を掛けまいと、微笑んでみせる。レオもそれに安心したように微笑み返してくれた。


「リア、お前もベルトラン卿に会うのは久しぶりだろう」

「はい。こんばんは、ご無沙汰しております」


リアが丁寧にお辞儀をすると、その老夫婦は目を細めて笑った。


「リア様がお元気になられて嬉しいですよ。故郷に帰られたのが良かったのでしょう」

「ああ。リアの故郷は空気の澄んだいい所だ」


そうしてしばらくベルトラン卿たちと談笑していたが、リアはだんだん意識が朦朧としてくるのを感じていた。


(おか、し……)


だんだんと呼吸が苦しくなってくる。あまり体調が良くなかったのは確かだが、こんなになるほどではなかったはずだ。それなのに、先ほど水を飲んでから――


(水……?)


リアはハッとして思わず手を口に当てた。

どうして何の疑いも持たずに口をつけてしまったのだろう。ユベール王子が、花びらを入れたのが故意だとしたら……?

咄嗟にレオの手をギュッと握ってしまった。頭が痛い。リアはレオを見上げたけれど、涙が溜まって彼の表情がよく見えない。


「すまない、ベルトラン卿。リアが疲れてしまったようだから、休ませてやりたいのだが」


すぐに状況を理解したらしいレオがリアを抱き寄せて、話を切り上げようとする。


「ええ、もちろんです。病み上がりなのに大勢の人に囲まれて大変だったでしょう。さぁ、早くお部屋へ」


ベルトラン卿もリアの顔色が悪いことに気づき、心配そうな顔を向けてくれた。

レオは素早く向きを変えると、リアの肩を抱いて出口へ歩いていく。


「ぁっ……はぁっ、はぁっ、うっ」

「リア、もう少しだから」


呼吸が荒くなっていくリアに声を掛けるが、それが届いているのか定かではない。


「ぐっ、ぅっ……」


だが、扉までもう少しというところで、ふらふらしながらもレオに支えられて自分の足で歩いていたリアの膝がガクッと折れ、床に座り込んでしまった。


「リア」

「ころ、して……」


リアの口からそう呟きがこぼれ、彼女の細い手がレオの首へと伸ばされる。


「リア、しっかりしろ。自分を見失ってはダメだ」


この会場でオビディエンザは使えない。こんなに多くの貴族たちの前では誤魔化しも通用しないだろう。

オビディエンザは人間の意思を無視して服従させるもの。それが当たり前のように使われていた昔と違って、今は暗黙のうちにではあるが禁止されている呪文だ。奴隷制度が今はないように。

けれど、赤い瞳のことを知られるわけにもいかない。


(どうすれば……っ)


レオは自分の首に伸ばされたリアの手を掴む。


「リア、頼む。もう少しだけ歩けるか?」

「っ、う、はぁっ……こ、ろ……」


レオがリアの身体を強く引っ張っても、リアは床に張り付いたようにビクともしない。呪いのせいで彼女の力が増幅していて、抵抗されると抱き上げることも困難だ。

そのとき、自分の手がレオの首に届かないと判断したリアがレオに視線を合わせてくる。


「リア、ダメだ」


赤く染まっていく彼女の瞳。幸い、会場の扉の近くにいる2人――リアは扉のほうに顔を向け、レオに向かい合っているため、他の者たちにはリアの後姿しか見えない。体調を崩して座り込んでしまっただけのように見えるだろう。

だが、それも時間の問題だ。何事かと、貴族たちの注目が集まってきている。


「リア!」

「ころし、っ……や、いや……助け、て……」


レオが名前を呼んだことで、ほんのわずかに正気を取り戻したリアがそう呟いたとき――

バンッ!!!


と……大きな音と共に広間の扉や窓が一斉に開いた。突風が大広間に吹き荒れ、貴族たちの悲鳴が広間に響く。


(なん、だ?)


そのとき、リアがレオの胸にドサリと倒れこんできた。どうやら意識を失ってしまったようだ。レオはその身体を抱きしめる。

しばらくして風は止み、シンと静まり返る大広間。キィ、と窓が音を立てて揺れて、大広間の床にはテーブルに綺麗に並べられていた料理や食器などが散らかってしまっている。


「何だ?」

「どうしてこんな季節に……?」


会場が騒がしくなり始める。

確かにヴィエントは一年を通して風の強い日が多いが、今はあんな嵐のような突風が吹く季節ではない。第一、今日はとても穏やかな天気だったはず。

それに、たとえ突風が吹いたとしても城の窓が全部開くなどありえないだろう。まして、廊下と広間をつなぐかなり重い扉までも開いたのだ。

とにかく、考えるのは後だ。

レオは皆の気が削がれているうちに広間を出たほうがいいと判断し、リアを抱き上げて足早に廊下を進んでいった。交流会の方は執事たちが小広間に場所を移す準備をしていたのを確認したし、あとでセストに事情を伝達すればうまくやってくれるだろう。

誰もいない廊下には、レオの焦る足音とリアの荒くなっていく呼吸の音が響いた。階段を上がり、また長い廊下を歩いてリアの部屋に入るとベッドにリアを座らせて背中を支えながらティアラをとり、結っていた髪も解いた。

ドレスの背で編み上げている紐も解き、呼吸がしやすいように緩める。そうしてリアをベッドに横たえてからクローゼットへと向かい、ナイトガウンとタオルを取り出した。

リアの着替えとセストへの連絡を済ませると、レオはベッドの淵に座ってそっとリアの頬を撫でた。


「ごめん……」


自分が目を離してしまったから、またリアを苦しめることになってしまった。あのとき――自分の予感を信じていれば良かった。リアの体調が悪かったのなら、すぐにでも退席させるべきだった。レオの判断ミスといってもいい。


「ごめん、な……」


謝っても、リアの苦しみが軽減されるわけではないけれど。

それでもレオはリアの手を握り、何度も何度も「ごめん」と呟いた――



***



――それと時を同じくして。

めちゃくちゃになった交流会の会場を整える喧騒を聞きながら、ユベールはテラスから少し離れた大きな木に寄りかかっていた。


「本当だったんだね?リアが赤い瞳を持ってるって話」


ユベールは手に持っていた一輪の花をくるくると人差し指と親指で回しながら楽しそうに笑う。


「これで、信じていただけましたか?」

「うん。信じるよ」


思い出すのはリアの翡翠色の瞳がじんわりと赤く染まっていった光景。血が滲むようなそれは、まるで破壊の宴の始まりだった。

これほどに欲しいと思った力は今までなかった。ユベールにはない力――ルミエール王国に本当に必要な神の力は間違いなく“赤い瞳”だ。


「ていうか、別に疑ってたわけじゃないし。でも、君の計画は失敗しちゃったね?」

「いえ……そちらの方はいいのです。代わりに、とても良い収穫がありましたので」


ユベールと同じようにクスリと笑ったその人影。その手を開くと花びらが風に舞った。

淡い桃色の、花びらが――


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