風が運ぶ恋
翌日、リアは1日ベッドで過ごした。まだ少し高い体温。
(来ない、のかな……)
ふと、窓に視線をやってそんなことを思う。もう夕食の時間になる。いつもならお昼、遅くとも夕食前には1度顔を出してくれるのに。
今日はレオに会っていない。昨日も来客があったようだったし、忙しいのかもしれない。セストにいろいろと任せてはいるようだけれど、王としてこなさなければならない執務は多いはずだ。それなのに、欠かさずリアに会いに来てくれる。
おそらく今日も、朝は顔を出してくれたのだと思う。遅くまで眠っていたリアは、彼の笑顔を見ることができなかったけれど。
思わずため息がこぼれて、ハッと口元に手を当てる。
(私、何を……?)
レオに会えないことを残念に思っている自分がいる……?
リアは首を横に振った。
違う。昨夜、あんな風に甘えてしまったから気になるだけだ。あれだって、体調が悪くて心細くなってしまっただけで、そこにレオがいた……だけ、で。
それから、今度は必死になって否定していることに気づく。それを誤魔化すように、リアは枕元に置いてあった本を手にとって開いた。
内容なんて、頭に入ってこない。
(もう、私は――)
***
夕食の後、湯浴みを終えて部屋に戻るとレオがソファに座って書類にサインをしていた。その姿を見た瞬間、ドキッとする。
(来て、くれた……)
「ああ、リア。湯浴みに行っていたのか。体調は大丈夫なのか?」
「はい……」
レオの顔を見ることができなくてリアは足早にベッドへと歩いていき、本を開いた。するとレオのクスッと笑う声が聴こえて、すぐにベッドがもう1人分の重みを受けて少し弾んだ。リアの、鼓動と一緒に……
「またマーレの神話か。本当に好きだな」
レオがリアの手元を覗き込んで笑う。頭を撫でてくれる大きな手が温かい。火照る身体は、湯浴みから帰ってきたばかりだから……?
「雨が降り続ければ……」
小さく呟いて、開いたページを指でなぞる。
ここのところ繰り返し読んでいる話――雨の女神の悲恋。
人間界に降りたとき、1人の男と恋に落ちる女神。けれど、存在の種類が違う神と人間が結ばれることはない。男は女神が自分のあるべき世界へ戻っていったあとも、彼女との出会いの場所で彼女を待ち続ける。雨の日も、風の日も。そんな男の姿を見て女神は雨を降らせ続ける。彼の自分への想いを流してしまおうと考えてのことだったけれど、止まない雨は人間界を疲弊させ、女神の父親は雨を止めるために男を殺した。しかし今度は男の死を嘆く女神の涙で雨が止まなくなってしまう、という悲しい物語。
「雨がどれだけ降り続いても、冷めないぞ」
リアの頭の上から聴こえてくるレオの声。
「そんなことで冷めるような気持ちじゃない。それは、もうお前もわかっただろ?」
「――っ」
本に乗せた手にレオの手が重なって、指を絡められる。リアは動けなかった。熱くて、この熱をどうしていいかわからなくて……
「怖いんだろ?」
リアの心の中を見透かしたかのようなレオの言葉に、リアはビクッとする。自分が自分でないような、心と身体の反応に怖くなる。
レオに抗えないリアは……
「俺の気持ちを受け入れてくれた夜、お前はそう言っていた。俺に触れられると身体が熱くなって、どうしたらいいかわからない、と」
同じ、だ。今のリアと。
「前に、俺が強引に迫ったことがあるって言っただろ?その後の話だ」
レオは少し寂しそうに笑った後、その思い出を話してくれた。
――レオが強引にリアの気持ちを聞きだそうとした夜の後、リアはレオを避けるようになった。
諦めなければいけないのかもしれないと、自分に言い聞かせて過ごす日々は苦しくて、いくつも眠れない夜を過ごして……そんな、ある日。リアがレオの部屋を訪れたのだ。ずっと自分を避けていたリアが自ら、しかもレオの部屋に来たことに驚いた。
「お前は確かめたいことがあると言って俺の部屋に入ってきた」
そして――
『ギュってして』
そう言って、レオに抱きついてきたリア。泣きそうな声だった。レオは戸惑いながらも、リアの背中に手を回し、リアの身体を包み込んで。
「それで、俺のことが好きだと言ってくれた」
今までの曖昧にはぐらかす“好き”とは違う意味なのだとすぐにわかった。
母親に教わったと言っていた。熱くて、苦しくて、心臓が痛いくらいに高鳴るのは、リアがレオに恋をしているからだと。
「それから俺たちは恋人になった。でも、お前はやっぱり俺に触れられることを怖がっていて……待つと約束した。お前がそうしたいと思えるときまで」
本当はすぐにでもリアを自分だけのものにしたかった。けれど、キス以上を求めると途端に怯えが映る翡翠色の瞳にレオも先に進めなかったし、リアがレオに追いつくのを待ちたいとも思った。
結局、レオが少々強引にその場所までリアの手を引いたのは否めないけれど、プロポーズをしたときのリアは優しくレオを受け入れてくれた。
「あのとき、お前は泣きながら俺も熱くなるのかと聞いてきた。答えは変わらない。俺も熱い。こうしたら、わかるだろ?」
「……っ」
レオが後ろからリアを包み込むように抱きしめ、リアはビクッと身体を震わせた。
「リア、俺が怖いか?」
リアは高鳴る心臓に手を当てた。
大きく、速く、自分のものでないように脈打つリアの鼓動。苦しくて、怖い。
でもそれは……“レオ”が怖いからではない。ただ、今までにない感情に揺さぶられるのが怖かった。
その、認めたくなかった気持ちは――
(恋……)
そう、この気持ちに名前をつけるなら、きっと。
リアは……レオに恋をしている。記憶など関係ない。今の、リアの本物の想い。
レオの告白は続いていく。
「いつだってお前に触れたいと思っている。この熱を分け与えたいと思っている。それに、雨の女神の話はこれで終わりじゃない。お前はいつもこの話を読むと俺に言っていた」
女神を想い続ける純粋な心を持った男は、その恋心を運べるように神が風の精霊としてもう1度命を与えてくれる。そして女神の元へ行くのだ。だから、2人は結ばれる。雨もきっと止む。
それがリアの作った物語の続き。
リアが初めてその話を教えてくれたとき、水の女神と風の精霊になった男――彼らにリアと自分を思わず重ねていた。リアにそんな意図がないこともわかっていたけれど、レオはずっとリアのことが好きだったから。
それに、リアは言った。
『レオも風が使えるから好きな人に想いを届けられるね』
あのときはまだ、リアに想いを告げる勇気がなかった。兄のような存在として慕われているのだと自覚していたし、レオとは年の離れたリアがまだ幼いということもあった。
だけど、今は違う。
1度は心を通わせた最愛の人。リアの心には、レオの欠片がほんの少し残っていて……こうしてレオの腕の中で静かにレオの話に耳を傾けてくれる。
「俺も、ずっと、ずっとお前を想っている。たとえ雨がお前の気持ちを流すことができたとしても、何度でも運んでくる。俺の、風に乗せて」
レオはリアの耳にチュッと口付けた。そして身を離す。
「病み上がりだ。もう寝たほうがいい」
レオに促されたリアは大人しくベッドに横になった。
「どうした?」
じっと、レオを見上げるリアの頭を撫でてやる。すると、リアが口を開いた。
「ひとつだけ、教えてください。お城で一番優秀なクラドールはどなたですか?」
「優秀な、クラドール?」
突然のリアの質問にレオは驚く。リアはその問い返しに静かに頷いて、レオの答えを待っているようだ。
城のクラドールは国のトップの腕を誇る者たちだ。全員優秀である。だが、強いて言うならば……
「セストだ」
レオの返答に確かに微笑んで、リアは目を閉じた。




