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風に恋して  作者: 皐月もも
第三章:風に揺れる水面
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雨の呪文

――セストに話を聞かされてから。

リアは食事と湯浴み以外の時間をほとんどベッドにもぐって過ごしていた。セストの話がぐるぐると頭の中で渦巻いて、何もする気にならないのだ。

それに、なんだかここ最近とても眠い。本を読んでいても、いつのまにか眠ってしまっている。


「リア」


うとうとしていたところに、レオの声が聴こえてリアは少しだけシーツを下げた。


「夕食は?」


リアは頷いて食べたことを伝える。レオは少し微笑んでリアの頬に触れた。


(熱い……)


セストから事情を聞いているのだろう、レオは何も言わずにリアを気遣ってくれている。変わらず毎日何回かリアに会いに来るし、こうして優しく触れてくる。そして毎回、リアの体温を上げていく。

こんな風に熱くなるのは、どうしてなのだろう?


(私……)


リアが。


(好、き……なの?)


レオのことを……?だから、こんなにも苦しいのだろうか?

エンツォのことは?好き?

それは、偽りの想いで……でも。

うまく考えられない。火照った身体のせいだ。

「熱があるな」


レオが眉根を寄せて、リアの額に手を当てる。

熱と言っても、平熱より少し高い程度。それ以上に熱いのは、レオが触れる場所で。


「セストはマーレ王国との定例会議に行かせてて、あぁ、ディノも今日は講義だったか……なら、イヴァンを呼んでやるから」


そう言ってレオは胸元から紙を取り出した短く言の葉を乗せてフッと息で飛ばす。


「レオ様、コット家のご当主がお見えです」

「今行く。リア、すぐにイヴァンが来るだろうから悪化する前に処置してもらえ」


カタリナがレオを呼びに来て、レオは彼女と共に慌しく部屋を出て行った。


「熱……」


閉まった扉を見つめて、リアは呟く。そして、レオが触れた頬と額を自分の手でなぞって……


「あつ、い……熱い、の……」


リアはふらりとベッドから抜け出した。おぼつかない足取りで、部屋のバスルームの扉を開けて、シャワーカーテンの奥へ。

この熱は、どうしたら引いてくれるのか。自分の身体に灯るその炎は……


(水……)


「冷まして」


その言葉と共に、リアはシャワーの水栓をひねった――



***



「レオ様!!」


バン、と大きな音を立てて客室のドアが開く。コット家の当主、アーロンから南地区の状況について報告を受けていたレオは思いきり顔をしかめた。


「イヴァン、取り込み中だぞ。それにお前にはリアの様子を診るように言ってあったはずだろ」

「失礼は承知しておりますが、そのリア様が、シャワールームに閉じこもって出ていらっしゃらないのです!」


イヴァンは息を荒げながら早口で捲くし立てた。


「なんだと?」

「リア様が?一体どうして?」


アーロンが訝しげにイヴァンを見つめている。


「私にも何がなんだか……とにかく、レオ様にいらしていただかないと、リア様の呪文は解けないのです」


どうやらドアに呪文をかけているらしい。優秀であるということは、こういうとき対応するこちらも大変なのだ。

レオはため息をついて立ち上がった。


「わかった。アーロン、すまないが少し待っていてくれるか?夕食を用意させるから」

「ええ。私は構いませんから、早く行って差し上げてください」


レオはそれに頷いて、イヴァンと共にリアの部屋へ向かった。


「リア」


部屋のバスルームの扉をノックしながらレオが呼び掛ける。しかし、聴こえてくるのはシャワーの水が流れる音だけだ。レオはもう一度ノックした。


「リア、出てこい」


何度か呼びかけたが、リアは出てくるつもりはないらしい。イヴァンがレオの少し後ろで落ち着かない様子で扉を見つめている。

レオは呪文を唱えて手に風を集めた。そうして出来た手のひらの小さな竜巻をバスルームのドアの鍵に押し付けてそれを壊せば、パンと音がしてゆっくりと扉が開いていく。


「リア?」


シャワーの音が大きくなり、カーテン越しにリアがうずくまっているのが見えた。急いで駆け寄ってレオがカーテンを開けても、リアは膝を抱えたまま。リアの長い髪も、白いナイトガウンも濡れて肌に張り付いている。そして何よりも、リアが身体を震わせている。

レオは急いで蛇口をひねってシャワーを止めた。


「リア!」


レオがリアの腕を引いて立ち上がらせようとするが、リアの身体は力が全くはいっておらず、レオはリアを抱き上げた。リアの身体はとても冷たくて、唇も紫色だ。

「いや……ピオヴェーレ……」


リアが呪文を唱えると、シャワーから勢い良く水が噴き出した。バスタブに溜まっていた水も2人に向かってしぶきを上げる。


「リア!やめろ!」


レオはリアを抱きかかえてバスルームを出ようとするが、リアは何度も何度も雨の呪文を唱えていて、その度に水の勢いが増していき、水のベールがバスルームの壁を覆ってしまった。

レオがリアの身体を一度床に降ろし、壁に押し付けてその唇を塞ぐ。すると、リアが呪文を唱えられなくなって水が少しずつ引いていった。


「んんっ」


リアは抵抗しなかったけれど、レオはしっかりとリアの後頭部を抱え込み、深く舌を差し込んだ。

冷たかった唇が熱を帯び、リアがようやく抵抗を見せ始めた頃、レオは唇を離した。濡れた唇は、

雨の呪文の水しぶきのせいなのか、レオとのキスのせいなのか……

頬を伝う雫も、涙との区別がつかないくらい。

レオは親指でリアの唇をなぞり、そこから漏れるのが吐息だけになったのを確認してもう1度リアを抱きかかえてバスルームを出た。


「リア様!レオ様!」


ずぶ濡れでバスルームから出てきた2人を見て、イヴァンが慌ててクローゼットからタオルを取り出してくれた。イヴァンからそれを受け取ったレオは、リアの身体を包んで濡れた身体を拭いていく。


「ピオヴェーレ……」

「っ、リア!イヴァン、扉を閉めろ!」

「は、はい」


イヴァンが急いで扉を閉めるが、リアが震える声でなおも呪文を唱え続けるせいで隙間から漏れ出てくる水。


「ソプレ」


それを、レオが吹き飛ばしてバスルームへと押し戻す。


「いや、水が欲しいの…………冷まして」

「ダメだ、リア」


レオは床を這ってバスルームに戻ろうとするリアの腰を掴んだ。リアはそれでもレオから逃れてバスルームへ入ろうとする。


「リア!」


思わず大きな声を出してその細い手首を掴むと、リアが今までになく乱暴にレオを振りほどいた。


「いや!触らないで!」

「リア、水はダメだ。こんなに震えているのに」


レオは優しくリアを引き寄せてリアの頬に張り付いた髪の毛を耳にかけてやる。

――触れないで。


熱くて、おかしくなってしまう。

リアは自分の肌に触れてくるレオの手を払い、熱を持つ部分を拭った。それでも、1度上がってしまった温度が冷めることはなくて。


「熱い、熱いの……水が欲しい」


泣きながら呟くのに、呪文はレオの唇に吸い込まれ、レオはリアの濡れた身体をタオルで拭いていく。


「熱い、の……」


リアはレオの手を退けようと身を捩った。


「俺が触れると熱いのか?」


レオの問いにリアは大きく頷いた。

そう、いつだってリアの中に炎を点すのはレオなのだ。熱く、リアのすべてをかき乱すような風をどう扱ったらいいのかわからない。リアの水面を揺らしていく……

心が、揺れる。

怖いのに、触れて欲しい。

会いたくないのに、会いたい。

声が聴きたい。


「わかんな……っ」


わかりたくないのに。

「リア、熱いのは俺の想いだ。お前への、想い」

「……っ、うっ」


リアは堪えきれずに嗚咽を漏らした。


「それから、その想いに答えてくれるお前の心。俺は、お前の中にはそれが残っていると信じている。だから、熱いんだろ?」


レオがリアを抱き締める。

熱い――


「いやっ!み、ず……冷、まして、っ……欲しい、の」

「俺の気持ちもお前の気持ちも、水なんかでは冷めないし、冷まさせない」


冷たくなってしまったリアの頬を包み込むレオの大きな手はやはりとても熱くて、顔を上げさせられて視線も上げれば漆黒の瞳がリアを映す。


「どうやったって、冷めない。いや……もっと、熱くしてやる」


そしてレオの唇がリアの唇と重なった。冷たかったはずの身体がじわりと温かくなっていく。


『もっと、熱くしてやる』


その、言葉に……リアはゆっくりと目を閉じた。

苦しいのに、抱きしめて欲しくて。

冷まして欲しいと思うのに、どこかでレオの熱を求めていて。

そんな自分を否定したくて雨の呪文を使ったのに、こうしてレオと……唇を重ねると彼の体温に安心する。

矛盾している。けれど、自分はこの気持ちを知っている――


それからリアは大人しくレオに身体を拭かれ、着替えさせられ、ベッドに戻された。冷たい水に打たれたせいで熱が上がってしまったようで、リアの呼吸は荒い。

一通りのことを終えてから、レオは一旦外に出していたイヴァンを部屋に入れた。イヴァンはリアの熱と脈をはかり、カルテに書き込み始める。


「まだ熱が上がるかもしれませんね。あんなにずぶ濡れだったのですから仕方ありませんが……」

「悪い。俺が目を離したのがいけなかったな」


レオはリアの髪をそっと梳いた。リアはぼんやりとした表情でレオを見つめている。


「解熱の呪文を入れてやれ」


今回は風邪だろうから、呪文はきちんと効果を発揮するだろう。先日副作用のせいで苦しんだのだ。少しでも楽にしてやりたい。


「承知しました」


イヴァンが頷いて、リアの腕を取る。


「待って!」


すると、リアは勢いよく起き上がりイヴァンの手を掴んだ。レオもイヴァンも突然のことに驚いて、呆然とリアを見つめる。


「リア、様……?」

「呪文は入れないで……大丈夫、です……だからっ」


必死なリアの様子にレオは少しうろたえる。

呪文を入れなければ熱が上がって苦しいのはリアだ。最近は赤い瞳の力を使おうとしたことで寝込んだばかり。今回は呪文で身体が楽になる症状なのだ。拒む理由がない。


「リア、呪文を入れるだけだ。楽になるし、その方がよく眠れる。それに呪文を入れるのは痛いものでもないだろ?」


レオはリアの背中を擦って宥めるように言う。


「呪文がお嫌いなのでしたら、お薬にしますか?効くのに少し時間はかかりますが……」


イヴァンがそう言って、薬箱の中から小さな瓶を取り出した。


「薬も飲みたくないんです。お願い。どうしてもつらくなったら、自分で呪文を入れます。それくらいなら自分でも処置できますから、だから……っ」


イヴァンが困ったようにレオを見てくる。レオも頑ななリアにどうするべきか少し迷ったが、結局リアの希望を聞くことにした。

自分で処置できるというのは本当だし、どうしても我慢できなければ、きちんと対処するだろう。


「わかった。イヴァン、明日の朝また来てくれ」

「はい」


イヴァンは軽く頭を下げて部屋を出て行った。

イヴァンが出て行くと、リアはホッと息をついてベッドに横になった。レオもベッドの端に座ってリアの頭を撫でる。


「リア……本当に大丈夫なのか?」


レオに問われて、リアは頷いた。

身体が重くて、熱が上がってしまったせいで少し頭がボーっとするが、この熱はすぐに下がる気がした。


「それならいいが……眠れるか?」


その問いに、リアは視線を上げてレオを見上げた。

“眠れるか?”

答えはイエスだ。でも1人ではきっと眠れない。レオの鼓動が聴きたい。そうしたら、眠れる気がする。


「人を待たせているんだ。すぐに戻れると思うが……」

「待って」


咄嗟に、そう言っていた。レオが驚いたようにリアを見つめている。リアはベッドに手をついて起き上がり、レオにギュッと抱きついた。


「リ、ア……?」

「少しだけ……もう少しだけ、ここにいてください」


レオの胸に頬を擦り付けるようにして、レオの鼓動が一番大きく聴こえる場所に耳を当てる。

トクン、トクン、と。

レオの鼓動は規則正しくリアの耳に届き、子守唄のようにリアを優しく包む。



***



――それからすぐに、リアはレオに抱きついたまま眠ってしまった。レオがそっと腕を解いてベッドに横たえると、安心しきった顔をしている。

呼吸が少し熱っぽいけれど、さほど苦しくはないようだ。

冷たいリアの唇に自分のそれで触れた後……リアは1つ心の葛藤を捨てたように思えた。


(都合良すぎ、か?)


いや、たった今もリアからレオに触れてくれた。体調が悪くて心細いだけなのかもしれない。けれど少なくともレオの腕の中は安心して眠れる場所だと、思ってくれている。

そうでなければ、こんな風に無防備に身を任せてはくれないだろう。

始めからでも構わない。このまま、もう一度リアと心を通わせることができるのなら――


「おやすみ」


レオはリアの額にキスを落として部屋を出た。


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