この世界で
十月二十日 午後三時
気温が低いおかげでまだ腐敗は始まっていないが、このままあの死体を放置するのは衛生的によくないのは目に見えていた。
あの後、泣き疲れて眠ってしまったナナをLAVに寝かせ、クリアリングをした後にとりあえず校舎内の死体を片付けた。
バリケードは補強しなおしたが、損傷と血液による汚染がひどかった向かい校舎は放棄し、途中に構築していたバリケードに使っていた資材をこちらの補強に回した。
校門は一応は塞いだものの、また襲撃されたら五分ともたないだろう。
それから、今日一日をかけてグラウンドに穴を掘った。
圧倒的に人手が足りないので死体を外に運び出すのは難しく、しかし重機があるわけでもないのでこのおびただしい数の死体を埋設できるだけの穴を掘ることも難しい。
水の供給をあきらめれば井戸に捨ててもよかったのだが、この世界で水を失うことは死に直結する。
そこでいろいろと考えた結果、燃やしてしまうことにした。
ガソリンは残っていないが、理科室に残されていたアルコールランプの燃料を使えばなんとかなるだろう。
これならば深い穴を掘る必要はなく、グラウンドの中央に浅く広い穴を掘るだけでよかった。
近くの死体は穴に放り込んだが、日が落ちる前にシャワーを浴びたかったので、作業は明日に持ち越すことにした。
***
LAVの運転席で目を覚ますと、左足がわずかに重く感じた。
あの後、左足を確認すると小さく引っ掻いたような傷があった。
間違いなくあの時キラーにつけられた傷だ。塩素消毒はしてみたが、おそらく手遅れだろう。
ナナはまだこのことを知らない。言えば、ナナは自分を責めるだろう。
それでも言うべきなのかどうかは分からない。
この先、自分自身がどうなっていくのかも分からない。
とりあえず今のところ大きな影響は出ていない。
動けるうちにできるだけのことはしておきたかった。
ナナはまだLAVの後部座席で眠っている。
自分がいつ自我を失うのか。もしかしたら次の朝は迎えられないかもしれない。
そうなったとき、俺はナナを襲うだろう。
昨晩は運転席にシートベルトで身体を固定して寝たが、できるならばナナと隔離された場所で眠ったほうがいい。
今日中に死体を片付け、居住区を確保してから考えることにし、昨日の続きをする。
キラーの服装から元の人物像をある程度推測できるが、学校を襲ったキラーは若い男が多いように感じられた。
高齢者や子ども等、生命力の低い個体は淘汰された、と考えることもできた。
基本的にどんな生物も自己の生存と種の保存を主目的に活動する。
それはキラーも同じなのではないだろうか。
例えば、異様に瞬発力の高い個体がいた。
以前の身体能力を継承しているようにも思えた。
もし、身体能力だけでなく知能も継承できるとすれば。
だとするならば、集団で行動するキラーにも説明がつけられるような気がした。
例えば、リーダー的個体が全体の指揮を執っている、という可能性もある。
税関の時、はじめは集団で襲撃を行っていたが脱出時には集団としての意思のようなものは感じられなかった。
今回も、大集団とナナを襲った集団を排除した後もまだ敷地内には数体のキラーが残っていたが、意思のようなものは感じられなかった。
もっとも、今更そんなことが分かったところで何かが変わるわけではない。
「あの……おはよう、ございます」
いつの間にかナナが起きてきていた。
「おはよう。ごめん、もうしばらく車にいてくれる?」
「私も、なにか……手伝えることはありませんか」
できればナナにはこういうことはさせたくない。少なくとも俺がまだ生きているうちは。
「いや、大丈夫」
「手伝いたいんです」
ナナの目から、昨日までとは違った強い意思を感じる。
「じゃぁ……理科室と準備室でアルコール燃料を探してほしい」
「わかりました」
一応クリアリングしたとはいえ、M870を持っていく。迎えに来るまで鍵を閉めておくように言い、グラウンドに戻る。
死体の中には学生服やランニングウェアを身に付けたものもいた。
荷物や服装から、あの事件がはじまってそう遅くない内にキラー化したように見える。道端にあった外傷のほとんどないキラーの死体は、おそらく餓死したものだと思われるが、ここにいるのは今まで生き延びた、いわばエリートといったところだろうか。
再びそんなことを考えながら死体の処理を続ける。
「お?」
死体が残り数えるほどになり、グラウンドを見回してみると、警察官を見つけた。
死体を運ぶ手をとめ、装備を漁ってみる。
折れた警棒と壊れた無線。手錠は無かったが、目当てのものを見つけることができた。
ヒップホルスターには、多少血はついているものの無事なM37エアウェイトが一丁。弾は五発とも残っていた。銃を抜く間もなくやられたのか、キラーを薬物中毒者かなにかと間違えて近づいてしまったのかは分からないが、おかげでまた拳銃を使うことができる。
散弾銃があるとはいえ、閉所や至近距離では扱いづらく、また散弾銃が故障しないとは限らないため、予備があるに越したことは無い。
よくみると、近くにもう一体警察官の死体がある。散弾にあたったのか上半身の損傷が激しく、血液によって一見警察の制服には見えなかった。
装備の損傷はこちらの方が激しく、ランヤードにぶらさがったM360Jはラッチが歪んでいた。
シリンダーをなんとかこじ開けてみると、撃発済みの薬莢が三発と、未発砲の実弾二発があった。
ポケットを漁るとさらに九発の実包が見つかった。恐らく事件の後、ある程度は生き延びていたのだろう。
これで38スペシャル弾が十六発手に入った。
元々ナナが持っていたM360Jに弾を込め、無事なM37からはとりあえず弾を抜き取っておく。同じ口径の拳銃が二丁あったところで同時に使うことはないだろう。
***
全ての死体を穴まで運び終わったのは、太陽が昇りきった頃だった。
理科室までナナを迎えにいく。
「どうだった?」
「これぐらいでいいですか?」
机の上にはアルコールランプ十一個と燃料用アルコールのボトル四つが置かれていた。
「それからこんなのも見つけたんですけど……」
ナナが取り出したのは黄色い液体が入れられたビーカーだった。蓋がされずに放置されていたにも関わらず残っていることから不揮発性の何かだろう。
ナナからそれを受け取り、慎重に匂いを嗅いでみると、軽油だとわかった。
「ほかにもこれあった?」
「はい、向こうに少し」
準備室のほうへ行くと、黄ばんだポリタンクがあった。
中身はビーカーと同じ軽油。
これが使えればまた車を走らせることができるのだが、石油は精製されるとあまり長くはもたない。それに、底のほうになにか沈殿物がみえることから、ろうを溶かすなどの用途に使われていたのだろうか。
勿体ないがせっかくなので死体焼却の足しにすることにした。
アルコール燃料はすぐに揮発してしまうのでちまちま撒いていられないため、一つの容器にまとめておく。
これで準備は整った。
***
グラウンドに戻る。
まだ腐敗臭はほとんど感じられないが、血液の匂いが広がっていた。
「ナナ、中で待っててくれ。すぐおわるから」
「いえ……大丈夫、です」
ナナに下がっているように言い、軽油とアルコール燃料を穴の淵から流し込む。
一つだけ残しておき、予め火をつけておいたアルコールランプを投げ入れ、自分も距離をとる。
気化したアルコールと軽油に引火し、爆発的に燃え始める。
この分だと夜まで燃え続けるだろう。
ナナと二人、用務員室に戻った。
***
安全を最優先にするなら、最低限必要な時を除いて装甲車の中で過ごすのが最善なのだが、軽装甲機動車にはまともに横になって眠れるだけのスペースはない。居住性との兼ね合いを考えれば、用務員室に戻らざるを得なかった。幸いこの部屋は襲撃時も無事だった。
部屋に入り、装備を下ろす。
「あの……大丈夫、ですか?」
大丈夫、というのは疲れていないか、ということだろうか。
「うん。大丈夫だよ。ナナこそ、疲れてない?」
「はい……私は、大丈夫です」
それっきりナナが黙り込んでしまったので会話もなく、ただ時間が過ぎていった。
***
夜。
グラウンドの炎はまだ燻っていたが、ほとんど燃え尽きたようだった。明日の朝から埋め戻そうと思う。
ナナには見回りに出るからと先に寝ているように言い、部屋を後にした。
外周を一周まわり、フェンスに異常がないかを調べる。
校門周辺にもキラーの影はなかった。
あとは、部屋へ戻るだけなのだが、俺はどうしようか迷っていた。
朝目覚めたとき、自分が自分であるという確証がないからだ。
しかし、突然別の部屋で寝るなんて言ったら、ナナに怪しまれる。できれば最後までナナにはこのことを知られたくなかった。
結局、部屋に戻った時にナナがすでに寝ていればそのまま、まだ眠っていなければ寝るのを待ってから外へ出ることにした。この敷地内で自分を隔離できるのは外に置いたLAVの中だけだ。
見回りを終え、用務員室へと戻った。
静かに扉を開けて様子をみる。
明かりが消され、物音はしない。そっと扉を閉じようとしたとき、すすり泣くような声が聞こえた。ナナのものだった。
「ナナ?」
奥の部屋の扉を開ける。
「おにい……さん?」
暗闇の中に、目を赤く腫らし、布団の上で泣くナナの姿があった。
「わ…わた、わたし……」
「どうしたんだ?」
銃を置き、ナナの傍による。
「ごめっ、なさ……ごめん、なさい……」
「大丈夫。大丈夫だから」
ナナをそっと抱き寄せた。
「あ、あの……わたし、あ、ぅ…………」
ナナの涙は止まらない。どころか、次から次へと溢れ出てくる。
「ごめん。もう一人にしないから」
俺はそれをナナを一人にしてしまったからだと思った。しかし、それは違った。
「み……たんです」
「なにを?」
「お、あ……あ、足に……けがが、あるの……わ、私の、せいで……お兄さんが、し、死に……」
いつのまに、見られていたのか。
「大丈夫」
そう言う他なかった。
「で、でも、それ、その傷……治らない、いつか……」
ナナは知っているのだ。奴らに傷を負わせられるとどうなるのかを。
「大丈夫だよ。俺はまだ死なない。ナナが、この世界を一人で生きていけるようになるまでは」
そう言った俺の目を見て、ナナは再び泣き出した。俺は、ナナをずっと抱きしめ続けた。
***
「あの……もう、落ち着きました」
一時間ほどそうしていただろうか。ナナが顔を上げた。
「それ、やっぱりあの時の傷、ですよね」
「……うん。でもナナのせいじゃない」
「でも! 私が、せめて自分で自分を守れるぐらい、力があったら……守られるんじゃなくて、守れたら……」
再びナナの視線が下がっていく。
「君は知らないかもしれないけど、俺はナナにいっぱい助けてもらったんだよ」
ナナが顔を上げる。
「お兄さん。私に、銃を教えてください」




