崩壊
十月十九日 午前六時
あの日から、俺はナナにサバイバル術を教えるのをやめた。いや、やめざるを得なかった。
ここ一週間、ナナは俺のそばから片時も離れようとしなかった。
それまで、ナナは用務員室奥の畳の部屋で、俺は給湯室で寝ていたのだが、寝るときになっても離してくれないので、並んで寝るようになった。
困ったのはシャワーの時だが、さすがに一緒に浴びよう、というわけにはいかず、ナナにとって、心待ちだったはずの入浴時間はストレッサーになってしまっていた。
一応、平穏な日々は続いている。
物資はまだ余裕があるし、安心して暮らせる環境もある。
節制すれば、補給なしでも一か月以上はここで過ごすことができる。
その後は周囲の民家を漁り、一日から数日掛かりで遠方の物資を集めなければならなくなる。
長期的に見れば破綻は目に見えているが、キラーが餓死するという仮説が正しいとすれば、持久戦にも希望が持てる。
キラーさえいなくなれば、文明の残骸を利用してそこそこの生活ができるはずだ。
だが、俺の認識は甘かった。
その日、外には雨が降っていた。
目を覚ました時には、激しい雨が窓を叩いていた。
賢い泥棒は雨の日を好むという話を聞いたことがある。
雨は足音や物音を隠し、同時に視認性を悪化させる。
だからそ、俺は耳を外に向ける。
今のところ、異音は聞こえない。
隣のナナを見ると、まだしばらくは目を覚ましそうにない。
二度寝しようと、毛布を被りなおした時、かすかに、金属のこすれるような音が聞こえた。
風でフェンスが軋んだだけ。そう考えることは簡単だが、微かにでも悪い可能性があるのであれば、確認すべきだ。
「ごめんな。すぐに戻るから」
裾を掴んでいたナナの手をほどき、静かにベストを羽織って立てかけてあったレミトンM870を手に取る。
音が出ないようにドアを開け、廊下に出る。
校内からは物音は聞こえない。
いくつかの教室の窓から外を見るが、特に異常は見受けられなかった。
最後に、昇降口を確認する。
補強したバリケードにも異常はない。割れたガラスの隙間から少し雨が吹き込んでいただけだ。
いつのまにか雨も小降りになり、風も止んでいた。
戻ろうとしたとき、ふと視界の端でなにかが動いたような気がした。
よく目を凝らす。
グラウンドの奥、校門の外。
東の空が微かに赤みを帯びている。
雲がはれる。
雲の隙間から、朝日が差し込む。
そして、校門の外に蠢く、ソレを照らし出した。
それは、堤防に押し寄せる鉄砲水のように。
鈍い音が轟く。
およそヒトだったものがぶつかった音には聞こえなかった。
最前列を圧し潰す勢いで、後続の流れは止まらない。
窓から飛び出し、校門手前まで走る。
装填されていたダブルオーバックを撃ち尽くすが、流れは止まらない。
そもそも、こいつらは一体どこから来た?
周辺にはほとんどキラーはいなかったはずだ。
バードショットを装填しながら思考を巡らせる。
キラーが餓死するという仮説が正しいとすれば。
空腹を満たすために、獲物を求める。
路上に放置されていた無残に食い荒らされた死体。
状態から、キラーになってから食われたのだとわかった。
この世は弱肉強食だ。弱いものが強いものの餌食になる。
ここに集まっているのは、今までを生き延びた、いわばエリート。
バードショットで数体ずつ吹き飛ばす。
先頭の数十体を殺したところで、流れは緩やかにはならない。
今や、この群衆そのものが一つの意思を持っている。
錆びたレールが軋む。
鉄の門が悲鳴をあげる。
チューブマガジンに残ったバードショットを撃ちきり、後退する。
直後、轟音とともに門は破られた。
俺とナナの平和な日常が搔き消されていく。




