川口直人 58
翌朝―
「…」
俺は絶望的な気分で目が覚めた。今日は会社に仕事を辞めさせて貰うよう、告げなくてはならないのだ。しかも1週間で辞めてこいと滅茶苦茶な事を常盤社長から命じられていた。
1週間で仕事を辞めさせて貰う…。引き継ぎ等を考えれば通常は1ヶ月の猶予は持たせるべきだと思うが、あの父娘にはそんな話は通用しない。きっとあの2人は自分達を中心に世界が回っていると思っているに違いない。
「鈴音に会いたい…」
気づけば鈴音の事を考えていた。声が聞きたい、笑顔を見たい…。側にいてもらいたい…。
だが、それはもう叶わない事なのだ。俺は常盤社長と娘によって愛しい恋人を手放さなければならなくなった。そして、その事実を鈴音は何も知らない。
「そうだ…あの女に電話をいれるように言われていたんだっけな…」
憂鬱な気分のまま、俺はスマホを手に取った。
トゥルルル…
『もしもし』
驚いた、たったのワンコールで電話に出るなんて。
「…おはよう」
『おはよう、フフフ…。言われた通り、ちゃんと電話入れてきたわね?』
常盤恵利は嬉しそうに笑っている。
「約束…させられたからな」
するとその言い方が気に入らなかったのだろう。常盤恵利はあからさまに不機嫌そうな声で文句を言ってきた。
『何よ、嫌々電話を掛けてきたというわけね?』
「…」
しかし、俺はその問いかけに答えない。それを常盤恵利は肯定と取ったのだろう。途端に不機嫌になる。
『失礼ね!やっぱり嫌々かけてきたわけね?!』
「だけど、約束は守っているんだ。文句を言われる筋合いは無い」
『な、何て嫌な男なの…?』
「だったらどうする?」
『別にどうもしないわっ!でもねぇ…いつまでもそんな態度を取って私の事を尊重しなければ、お父さんに言いつけるからねっ!そうすれば川口家電なんかあっという間に倒産間違い無しよっ!』
常盤恵利は俺の事を何て嫌な男だと言ったけれども、そっくりそのまま言葉を返してやりたい。何て嫌な女なのだと…だが、俺は川口家電を守らなければならないのだから。
「…悪かった…すまない」
血を吐くような思いで謝罪の言葉を口にする。
『ふん…分かればいいのよ…ところで今日は何をすればいいか分かってるわよね?』
「分かってる。1周間以内に仕事を辞めさせて貰うように職場に言うんだろう?」
『それもそうだけど…他にまだあるでしょう?』
「今夜19時に待ち合わせだろう?」
『ええ。そうよ。新宿南口にあるショットバー、『プルミエール』で待っているから…遅れたりしたら承知しないわよ?』
「…分かった。それじゃ仕事に行く準備をしないといけないから切らせてもらうよ」
『分かったわ。それじゃまたね』
「…ああ」
それだけ言うとスマホを切ってため息を付いた。何て朝から嫌な気分だ…。鈴音が側にいてくれれば…こんな気持も吹き飛ぶのに…。
そしてノロノロと出勤の準備を始めた―。




