自業自得
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──自業自得
フランツ教皇国での異端者狩りは続いた。
市民たちが次々に異端審問官に拘束されて、処刑されていく。
「怖いわね。異端者狩りだなんて……」
「本当に恐ろしいよ。最近じゃ異端者の定義がはっきりしてないんだから」
そう話し合うのはフランツ教皇国首都サーニアに暮らす若い夫婦だ。
名前はジーナとフェデリコ。仲のいい夫婦であることが近所でも有名で、パン屋を営んでいた。彼らのパン屋にはかつては砂糖で味付けした甘いパンなども並んでいたのだが、今はそれは贅沢品だということで販売を禁じられていた。
「この間は商業ギルドのビリオッティさんが火炙りになった。もしかすると、俺たちも誰かに密告されて……」
「こ、怖いこと言わないでちょうだい、フェデリコ! 私たちは何も光の神の教えには背いていないわよ」
市民の間には不安と不信が広がっている。
誰かが自分たちを密告するのではないか。異端審問官の拷問に屈して自分たちの名前を挙げるのではないか。罪から逃れるために自分たちに罪を着せるのではないか。
まるで大粛清時代のソ連のように、人々は隣人を信用できなくなり、不安だけが積もっていた。この夫婦も自分たちふたりは信じられても、なかなか他人を信用できなくなりつつある。
「ちょっといいでしょうか……?」
そんなときにひとりの少女が店頭に現れた。
「何かな?」
「実は私たち、シュトラウト公国の難民で、働ける場所を探しているんですけど……」
少女はそのように頼み込んだ。
「そうか。それは大変だったね。だけど、うちも人を働かせる余裕は……」
「いいじゃない、フェデリコ。雇ってあげましょう。善を成せば異端審問官も見逃してくれるかもしれないわよ」
フェデリコが断ろうとしたのを、ジーナが横から告げた。
「なら、働いてくれ。パン屋で働いた経験は?」
「ありませんが、シュトラウト公国ではレストランで給仕をしてました。接客ならお役に立てると思います!」
フェデリコが尋ねるのに、少女はそう告げて返した。
「よし。それならいいだろう。名前は? 」
「マエリス。マエリス・ムリスです。よろしくお願いします!」
少女はマエリスと名乗り頭を下げた。
「では、よろしくマエリスちゃん。今日から頑張って働いてくれ」
「はい!」
このような難民との円滑な交流ができたのは極僅かだ。ほとんどは難民と迂闊に接触することで自分たちが異端審問に遭うのではないかと恐れて、難民から遠ざかっていた。難民もまたフランツ教皇国の市民と下手に交わることで異端審問狩りに巻き込まれることを恐れていた。
「私、頑張りますから!」
マエリスはこうしてフランツ教皇国首都サーニアのパン屋で新人として働き始めた。
その可愛らしい少女が一生懸命に働く姿は人々の関心を買い、質素なパンでも買い求めるならばフェデリコのパン屋という客も増えてきた。
だが、これはのちのちに悲劇をもたらす結果となる。
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枢機卿会議。
これはフランツ教皇国の枢機卿たちが集まって、会合を開く場だ。
教皇が出席することもあるが、ベネディクトゥス3世はここ最近の激務による疲労により出席していなかった。
「フェネリアの港湾都市が襲撃された事件についてだが」
そう告げるのはパリスだ。
「海軍によるシュトラウト公国への侵攻は事実上不可能となってしまった。海軍は海賊対策に回さなければ、海上交易路を確保できない。そのことによって生活必需品の値段も高騰している」
海軍の基地であったフェネリアはアラクネアの女王によって襲撃され、生けるものはひとりとしていない無人の地と化した。そのことによってフランツ教皇国の海軍は少なからぬ打撃を受け、シュトラウト公国への海上侵攻は不可能となってしまった。
「いや。海軍によるシュトラウト公国への侵攻は実行するべきだ」
そう告げるのは枢機卿のひとりだ。
「だが、その海軍は大打撃を被ったのだ。それでシュトラウト公国に侵攻するのは自殺行為に他ならない。私は強く反対する」
パリスは信じられないという顔をして、枢機卿のひとりを見る。
「では、敵が攻めてくるまでのんびりと待つのか。パンフィリ卿には戦意が足りないのではないか。これは信仰心の欠如とみるべきだ」
「そうだ。パンフィリ卿には異端の疑いがある」
パリスは枢機卿たちが告げるのに唖然とした。
異端者狩りを提案したのは彼だったが、その彼が異端者狩りの対象になるなど思ってもみなかった。枢機卿である自分たちは、異端者狩りなど無縁のことだと思っていた。何故ならばパリスには溢れんばかりの信仰心があるからだ。
「で、では、海上侵攻を実行しよう。私は戦意が不足しているわけではない」
パリスは他の枢機卿たちに押されるようにして、侵攻に同意した。
「海上侵攻の計画は発案者であるパンフィリ卿に一任しよう。彼が全てを立案し、責任を持つべきだ」
「その通り。彼の働きに期待するとしよう。彼ならば立派な作戦を立案して、必ずやシュトラウト公国を蟲どもから解放することだろう」
パリスは枢機卿たちの言葉に胃が痛くなるのを感じた。
彼はもはや海軍によるシュトラウト公国への侵攻は不可能だと考えているのに、ここにいる枢機卿たちはまるでそれを理解していないのだ。彼らは実現不可能な夢を見ているに等しい。
「尽力はしますが軍事とは時に運によって左右されます。そのことをお忘れなく」
パリスは失敗したときに備えてそう告げておく。
「光の神が味方されるのに運が悪いことなどありえるはずがない。光の神のご加護をパンフィリ卿は信じないとでも?」
「そ、そのようなことは……」
枢機卿のひとりがパリスを睨むのに、パリスが慌ててそう返す。
「ならば、決まりだ。パンフィリ卿、期待している」
枢機卿たちはそう告げて会議は終わりだというように解散していった。
パリスも胃痛を感じながら、自分の執務室に戻る。
「私は教皇の右腕であるというのに! それが異端者狩りの危機にあるというのは! 間違っている! 何もかも間違っている! 私が異端者なはずがないではないか! 光の神のために尽力する私が神を信じぬ背信者であるはずが!」
パリスはそう叫びながら机を叩く。
彼が異端者狩りを推奨したのは、アラクネアとの戦いにおける戦費を少しでも稼ぐためであった。異端者狩りにおいて処刑されたものの財産は教皇庁のものとなる。そうであるならば、異端者狩りが進めば進むほど国庫は満ちる。
それにフランツ教皇国はいささか人が増えすぎている。シュトラウト公国からの難民もそうであれば、東部商業連合からつまはじきにされた商人たちなども溢れかえり、今や信仰の中心地というよりも、バザールの真ん中だ。
それではフランツ教皇国の名が廃ると考えて、パリスは異端者狩りを進めさせた。
だが、まさかそれが自分に返ってくるとは。
「こうなったら仕方あるまい」
パリスはそう告げると呼び鈴を鳴らした。
「御用でしょうか、猊下」
「神秘調査局の局長を呼んでくれ。大至急だ」
パリスが呼び出されたシスターにそう告げる。
「猊下。どのようなご用件でしょうか?」
神秘調査局の局長は30分ほどで現れた。
「検邪聖省を収めているベルナルデリ卿を調査してもらいたい。彼の醜聞などについてだ。どんな些細なものでもいい。いや、できれば大きなものの方が望ましいが。とにかく、彼を今の地位から引き摺り降ろせるだけの醜聞が欲しい」
「猊下。それは個人的な依頼ですか?」
検邪聖省は異端審問を取りまとめている部署だ。
「公共と神のためだ。私の個人的な情報筋からベルナルデリ卿が異端審問にかこつけて不正を働いているとの情報が手に入った。そう、異端者狩りで異端者から没収した資金を横領しているという情報が」
「なるほど。それは重罪ですな。何としても阻止しなければならないでしょう。我々も全力を上げて調査する次第です」
パリスが告げた言葉に神秘調査局の局長が頷く。
これは早い話がそのような罪をでっち上げろという指示だ。パリスは自分が罪に問われそうになったがために、異端審問そのものの信頼を落とし、火炙りにされることを回避しようとしてるのだ。
なんと卑劣な男だろうか。
「では、すぐに取り掛かります。結果は3、4週間ででるかと」
「よろしく頼む」
パリスはこれでようやく安心できると思った。異端審問官の権威が落ちれば枢機卿である自分が罪に問われるはずはないと。
「だが、もうひとつ手を打っておくか。念には念をだ」
パリスはそう告げて、次に検邪聖省のベルナルデリ卿を呼び出したのだった。
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マエリスがフェデリコの店で働き出してから6ヵ月が過ぎた。
マエリスはもうフェデリコの家族も同然で、よく働き、にこやかな笑みで接客をすることでこの厳しい時代を生きるものたちに活力を与えるとして有名になっていた。
「マエリスちゃん。何を書いてるんだい?」
「あっ。国境付近の難民キャンプにいるお父さんとお母さんに手紙を……」
ある日、フェデリコはマエリスが熱心に手紙を書いていることに気付いた。
「マエリスちゃん。字が書けるのか。凄いな」
「教会で司祭様に教わったんです。少しだけですけど書けますよ」
この世界の識字率はそう高いものではない。どこの国でも国民は必要最小限のことが読み書きできるだけだ。
「それで、なんて手紙を書いてるんだい?」
「フェデリコさんのお店で親切にしてもらってますって手紙を。……実を言うと私だけしか難民キャンプからの移動許可がおりなくて、一人でここまで来たんです。だから、両親も心配してるだろうなって思って……」
フランツ教皇国は教皇ベネディクトゥス3世の命で難民の受け入れを開始したが数に制限を設けていた。あまりに大量の難民を受け入れれば、治安が悪化し、更には敵も紛れ込むことを危惧してのことであった。
実際、難民で溢れかえった街は働き口のない難民が犯罪を起こすことも少なくなく、フランツ教皇国側は難民受け入れに慎重になっていた。
だが、その難民の受け入れ申請もいい加減なもので家族のひとりだけが許可されたりすることもあり、家族が離れ離れになってしまうことも少なくなかった。
「マエリスちゃんは毎日お手紙書いてるのよ。知らなかったの?」
「そうなのか? 知らなかったなあ」
マエリスは毎日家族への手紙を書いていた。少ない給料のほとんどは仕送りと郵便代に消えている。
「これからは俺たちが郵便代を払ってやろう。そういう事情なら親御さんたちが心配するのも当然だ。マエリスちゃんのおかげで繁盛しているし、これぐらいのことはしてやらないとな」
「そんな! 私の個人的な事情ですから……」
「気にしない、気にしない。俺たちにとってはマエリスちゃんはもう家族のようなものだから」
この荒れすさんだ世界においても慈悲は生きているようだ。
「失礼」
マエリスたちがそんな会話をしていたときに、店先で声が上がった。
「何だい? 今日はもう店じまいだよ」
「ああ。そうなのか。ここの菓子パンが美味しいと評判だと聞いてきたのだが……」
店先に現れたのは14歳ほどの少女と甲冑姿の女騎士であった。彼女たちが店先の品を眺めて渋い表情を浮かべている。
「それはすまない。菓子パンはもう作ってないんだ。菓子パンを作ると異端になるそうだからな」
「菓子パンが異端? それはまたユニークな話だ」
フェデリコが皮肉気に告げるのに、少女が小さく笑った。
「ところでそちらの娘さんは娘か? 髪の色が違うように見えるが」
「マエリスは店員だよ。家族同然だがね」
少女が尋ねるのに、フェデリコがそう返す。
「まあ、いい。それなら用はない。騒がせてすまなかった。行こうか、セリニアン」
少女はそう告げて去っていった。
「セリニアン。異端者狩りは随分とよく踊っているようだな」
「そのようですね、陛下」
フェデリコの店を訪れたのはアラクネアの女王グレビレアとセリニアンであった。
「自国民も無差別に処刑。これならば我々が手を下す間もなく、勝手に自滅してくれそうだ。だが、そうはさせない」
アラクネアの女王グレビレアは首都サーニアを見渡す。
「美しい街だ。破壊するのがもったいなくなる。だが、徹底的に破壊させてもらおう。我らがアラクネアのために」
アラクネアの女王グレビレアはそう告げてサーニアを去った。
彼女が敵情視察を行っているとき、シュトラウト公国でも動きがあった。
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